宇宙文化研究

歴史学について―システムとしての国家―

 「歴史」学とは、何を書くものだろうか。どうも最近の傾向を見るに、現在では、「史料紹介」が論文に偽装してまかりとおってはいないだろうか。ぼくが学生の頃、「独創性」ということが盛んに言われたものだが(今でもそうか)、明らかに「その史料」を使うだけのためや、当該問題のみにしか有効でない論文が多くなっている印象であった。

  信じ難いことであるが、ある事象Aを調べる⇒結論「Aという事象があることがわかった」式の論述が結構あるのだ。苫米地英人さんがどこかに書いていたが、発明とは、道具と用途が一対一対応であってはだめなのである。例えば波板の釘を抜くくぎ抜きは、「そのこと」にしか使えないので「発明」とは言わない。では十徳ナイフはどうか。これはもう少し用途の幅が広いが、ナイフに栓抜きなどをくっつけただけで、これがあるために音楽ライフが豊かになるといった特典はない。

  つまり、普通はそこに何の連絡も見いだせないようなところに道をつけるから面白いのであり、首-尾が初めから一貫して見えているものはつまらないと思う。
  これを無理やり歴史の話に接続すれば、歴史論文でよいと思われるものは、全く気付かなかった展開へと視点が開かれているものだと思う。

 昨年末、上田耕造「シャルル7世の顧問官―フランス王国の転換を導くものたち―」(『西洋史学』第238号,2010.9)を読んだ。彼はこの論文で何を考えようとしていたのだろうか。どこへ向けて問いを開こうとしているのだろうか。彼の問いかけに「乗って」みようとしたとき、われわれはいったいどこへ導かれるのだろうか。

  単にある事実を明らかにするのではなく、そこを考えさせるのが、論文における「ナレーション」の技術であろう。自然科学では、すでに主観と客観は分けられないことになっている。ならば、歴史事実とそれを物語るストーリーも、不可分のはずである。このことはすでに、ヘイドン・ホワイトが指摘している。彼は全く正しかったというほかはない。だからかどうか、ホワイトを懐疑主義者と言って、徹底的に批判したカルロ・ギンズブルグの最良の仕事は物語的である(『ベナンダンティ』、『チーズと蛆虫』など)。

  上田論文は、15世紀のフランスにおける国制の展開を述べたものである。そこでは、シャルル7世がいかにして顧問官と共同し、「国家」を作り上げていったかという点が眼目となる。この論文はそこへ至る動向をかなり正確に跡づけているが、しかし筆者の意図に逆らって、そこから浮かび上がってくるのは「かたち」の決定した「国家」などではなく、流動的でどのようにも形を変える可能性を持った、あやうい「バランス」なのである。

  ぼくは以前、イギリス中世史研究者のアーサー・G・ケイゾー氏と会話した折、氏からジャンヌ・ダルクの時代にフランスという国家の礎が出来上がったとするミシュレ的見解はでたらめである、と伺った。知っている人は知っているあの例の早口でまくしたてたから、ことの詳細は分からなかったが、ミシュレの解釈はロマンにすぎず、実情は流動的で、はなはだ頼りないシステムしかフランスにはなかったのであり、到底「国家」と呼べる代物ではなかった、ということらしい。

  上田論文の描き出す顧問官の動向は、まさのこの危ういシステムの一側面なのである。国家とは、一つの虚構である。シャルル7世にはそのことが肌感覚として分かっていたのではないか。だからこそ、顧問官をはじめとする利益共同体の上に立つだけでなく、もう一つの柱を聖性に求めることで、ランスにおける戴冠を果たす。そのバーターがジャンヌ・ダルクであった。

  シャルル7世とオルレアンの少女の同時に見た夢が現実となり、あるシステムが離陸してゆくと、少女は元の少女に戻ってしまう。動き出したシステムは、自身の生き残りをかけて、少女を犠牲にする。それはすでに動き出し、バランスのうちにあるために、個人ではもはや手出しができないのである。

  この自動で動いてゆくシステムのことを、人々は「国家」と呼びたがる。シャルル7世と顧問官が、何かの機能を果たしたとすれば、それはシャルル7世の思惑が通ったのでもなければ、顧問官たちの目的が一致したためでもない。システムの中に取り込まれ、流れの中へと放り出された結果である。

   風海

 

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雑貨屋としての文化史

 シマノフ夫妻と、大阪市内の某所にて会談する。最近、雑貨屋でも経営して暢気にディレッタントライフを満喫しようかと思っているといったら、彼らもそう考えていた所だ、というお話になって、ひとしきり、いかなる雑貨屋をやるべきかという議論に花が咲いた。

 ラ・レーヌ・シマノフの仮名子さん(仮名)は、香港の雑貨を扱いたい、といわれた。それに異存はないのだが、まずはコンセプトありきの方がいいのではないか。何かを構想するとき、個物ではなく包括する概念をまず規定しておいた方がいい。そこから、次元を下る形で個物へと入れば、間違いなく正解にたどりつくだろうと思う。

 雑貨屋のことはまた別に書くとして、雑貨とは何か。これが問いである。

 雑貨とは、まさに雑多な貨物であり、ジャンルの本流ではないもの、という印象がある。
 たとえば、雑貨屋にはいろいろな楽しい柄のお皿はあるが、ジノリやウェッジウッドなどはあまりお目にかからない。ファンシーなアクセサリー、小物はあるが、ティファニーやスワロフスキの商品は置いてない。手作りの曲がった陶器は置いているが、人間国宝の作品を見ることはできない。

 すべて、二流以下のものばかりである。しかし、それこそが、正しい都市生活者の「生活」ではあるまいか。ぼくは一流品が大好きで、一生持つものは大体百貨店で買いたいと思っているが((まだ、手帳をどう位置付けてよいか分からない。シマノフに勧められた「モレスキン」は高価すぎて手が出せない。しかし、主張を全うしようと思えば、これを使わない手はないのだ。中村真一郎が少年の頃、ご父君に作家になりたいと告げたところ、最高級のノートとシャープペンを与えられた、という話がある。一生の仕事とするための道具を持つなら、一流品を持たなければ意味がない、という教育方針だったのだそうな))、雑貨屋の雰囲気は捨てがたいのだ。

 で、タイトルの文化史であるが、これは大文字の「歴史」ではないし、またその語りも大文字の「文学」であってはならない。大文字の文化史や、美術史の範疇からこぼれおちたもののなかに、本当の生きた文化を伝えるものがあるのではないか、と思うのである。

 近世美術でいえば、浮世絵などはもはや高騰しているが、どこかの蔵にしまってあった、落款の文字も読めないような、三流四流以下末流の掛け軸など、誰も見向きもしないようなものや、おもちゃのような工芸品など。骨董屋でも、二束三文で投げ売りしているようなものがいい。こういうものを集めて、あるコンセプトに従って並べて見せる文化史の在り方を模索してもいいのではないだろうか。そういうものこそ、庶民がたしなんだものたちであって、狩野派の上等の絵を正月にかけることのできる町人がいくらいたか、心もとない。

 雑貨屋の位置づけもそういうものではあるまいか。美術品は美術館に任せておき、上等品はブランドショップに任せておき、その下の、中学生のお小遣いでも買えるけれど、あまり見かけたことのない思わず目を引かれる、手に取ってみたくなるような品々を置く。それが外国のものであれ、日本のものであれ、作った人の心が伝わり、その土地の空気が感じられればなおいいように思う。

 文化史が書かねばならないのも、本当はそういうことどもなのではないだろうか。

         風海

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HHR養成講座

 ホースヒップライダー(HHR)というジャンルがある。尻馬に乗る特性を技化して、何か面白いことをしようという訳である。

 「他人の尻馬に乗る」というと、なにか自分のない、後手に回ってしまう印象を受けるかもしれないが、そうではない。本当に尻馬を乗りこなすためには、高度に研ぎ澄まされた「動感察知力」を必要とするのであり、「バランス」(確固たる軸)「リズム」(流動的な知性)「ラージネス」(拡大された認識範囲)が達成されて初めてなしうることだからである。

 それは、武道のことじゃありませんか、というご指摘が聞こえてきた。ご名答である。おもに剣術で言われることに「後の先」という概念がある。相手が「先手必勝」のはずのタイミングで打ってきたのを、「機」とみて、それに合わせてこちらも動くことで、結果的には自分の方が先に相手を打っているという状態を作り上げる。そのためには、相手の「打とう」という心が動いた瞬間を狙わなくてはならない。

 相手は、自分が打とうと思ったところにこちらが合わせてくるものだから、一瞬自分の方が早いと錯覚するが、結果的には打ち込まれてしまうのである。「ホースヒップ」も、このようにして「ライド」する必要がある。誰かがまだ言語化されない心の動きとして、あるものへ惹きつけられているその心の動きを「動感」として性格に把捉し、自分の方が一瞬早くそれを「発見」したことにしてしまうのである。

 またたとえば、誰かが「今このアーチストが面白いんだよね」などと、ポロっと言ったのを忘れないでおき、それをすぐさま精査して、そのはじめに言った人物よりも高度な理解を以て教えてくれた本人にレクチャーするという、庇を借りて母屋を乗っ取る手法も、「後の先」であろう。

 そのような「ホースヒップライド」の技を駆使して、おもろいことをしようじゃないの、と思われる方は、ぜひご一報ください。体系的な養成講座開講します。一級「尻馬騎り」(初心者は五級から)の資格を取れば、「ファンシーファウンダー」(FF)への道が開けます。

 ※ファンシーファウンダー(FF)は「面白開祖」のこと。何か面白いモノ、事、方法などをどこからか見つけてきて世間に開示する人のことを言います。

      風海

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宝塚の基本構造

            (ジャン=クロード・ヴァカイエ著)

                      

一 はじめに

 宝塚市は北に中山連峰、東に加茂丘陵を望む六甲山の東端に位置する地方都市である。街の中心部を貫流している武庫川は、かつてこの地が二つの郡に分けられていた時、その境界をなしていた。「宝塚」という地名は、以前当地にあった古墳に付けられた呼称がもとになっているという。その宝塚古墳は、川面村川面安場つまり現在のJR宝塚駅北の台にあった。古墳自体は宅地開発によって原形を失い、辛うじて江戸時代の古い絵地図によって、その存在が知られるのみである。古墳の規模は、都市全体の名となるにはあまりに小さいものであったが、「宝」という字が何か豊かなものを連想させるためか、石器時代からの遺跡の多いこの地の代表的な名称となっていたようである。

 宝塚市はもともとしょうきぼな温泉地に過ぎなかったのだが、阪急電鉄の開発事業によって大々的に発展していった。それにはここを根拠地とする「宝塚歌劇団」の存在が大きく関わっている。この劇団は演技者がすべて女性であり、それを取り巻く観衆も殆どが女性であるという特殊なものである。演じられるのは日本、アジア、西洋の恋愛を中心とする物語で、時代は古代、中世、近世、近代、現代をカバーし、地域も時代も広範囲にわたり、バラエティーに富んだものである。ただし、それらの物語はすべてどれをとってもあるひとつのイメージへと向かう演出がなされており、宗教的な儀式にも比せられるような整然たる様式をそなえているのである。

 演技者間の秩序は、かなり厳格に規定されており、レヴューにおける服装ひとつでその演技者の序列が分る仕組みになっている。それにより、圧倒的な統率がなされ、非常な様式美を生みだすに至っているのである。それはあまりにも独特の世界である。その閉じられた性質により、宝塚歌劇はしばしば「秘密の花園」とも言われる。この小論では、閉じられた「宝塚」の構造を分析することにより、その極度に形式化された美の様態について考察していきたい。

二 概要

 宝塚歌劇団は、阪急電気鉄道株式会社によって大正二年(一九一三)七月、「宝塚唱歌隊」として設立された。もとは温泉町に人を呼ぶための余興であった。名称は後に「宝塚少女歌劇団」となり、昭和十五年(一九四〇)に現在の「宝塚歌劇団」へと改められた。本拠地は宝塚栄町にある宝塚大劇場である。

 ここでは先に述べたように演技者のすべてが女性であり、宝塚音楽学校(二年制、大正七年設立)の卒業者以外は、舞台に立つことが出来ない制度になっている。この「学校」という形は歌劇団全体に浸透する象徴であり、有形無形の影響力を持っている。それゆえ、舞台に立つ演技者はどんなに高齢になろうとも、退団するまで「生徒」と呼ばれるのである。

 音楽学校を卒業したものは、余程の事情がない限りみな宝塚歌劇団に入団し、「研究科○年」となる。研究科七年になると、一応全員退団という形をとり、八年からは「女子演技者」として歌劇団と個人的に契約をする形となる。生徒たちは小さい劇団ともいえる五つの組に振り分けられ、そこで各組ごとの公演に参加するのである。年齢を加えて主だった役や若者の役を演じることが困難であると判断した/された者は、本当に退団するか(宝塚では「卒業」といわれる)、「専科」と呼ばれる脇役専門の部署に移る/移らされる。ただし平成十二年(二〇〇〇)から、各組の二番手が専科へ移り、どの組の公演にも出演できるという制度に改められ、これまでのイメージを一部刷新した。

三 「組」という組織

 ここで重要なのが、先ほど若干触れた「組」と呼ばれる内部組織の存在である。現在のところ「組」は五つあり、それぞれ「雪」「月」「花」「星」「宙」という漢字一文字による名称がつけられている。これらの名称がトーテムでないことはもろもろの理由から説明できる。ともすればこれらの「組」は、「雪」や「花」というトーテムによって統制された団体で、各自何かしら雪や花に関連した象徴を持つことによって、ひとつの氏族的な集団を形成していると思われるかも知れない。

 しかし、それは大変な誤りなのだ。「花」という文字と「花組」とその編成者の間には一見密接な関連があるようにみえて、実は単に互いの、或いは観客へ向けられた認識のためのコード以上のものではないのである。生徒(演技者)たちにしても「花」や「雪」といった文字そのものへの思い入れはそれほど強くない。ただしこれらの漢字が適当に、何の考えもなしに選択されたのでないことは確かである。

 他の四組よりかなり遅れて発足した「宙組」(平成十年〔一九九八〕一月)の名称はその前年一般公募されたが、宝塚歌劇団は公募にあたり「無作為に抽出する」といいながら、次のような限定を設けたのである。

「現在の各組とのバランス上、平仮名、カタカナ及びローマ字のもの、漢字二文字以上のもの、あるいは平仮名で四文字以上のものは対象外とする。具体的な動物名又は植物名のものは対象外とする。宝塚歌劇団のイメージから相応しくないとおもわれるもの(土・芋・哀・鬼など)は対象外とする」

 最後の「宝塚歌劇団のイメージ」という部分は世界観の表象ともいえ、相当に重要な要素である。直前の項目で「具体的な動物名又は植物名のものは対象外とする」と断っておきながら、次に「イメージから相応しくないもの」として、敢て「芋」を挙げていることからも分るように、「宝塚的」イメージというものが厳然として存在するのである。

 そして「芋」という単語は(漢字一文字で発音が平仮名二文字で構成されるこの語は、殆どあらゆる点で「花」や「月」などに酷似しているのだが)甚だしく宝塚のイメージを損なうものとして忌み嫌われているのである。組の名前にはそういったややこしい基準をすべて満たしたことばが選ばれ、組全体を象徴するという役割を担っているのである。従って、「芋」や「臭」といった夢やロマンではなく、どちらかといえばユーモアを感じさせる名前を付けるわけにはいかないのである。この世界は徹底してイメージ優先なのである/でなくてはならない。

 各組には平均約八十名ほどの生徒が所属する。組全体を統率しているのは最年長者の「組長・副組長」と呼ばれる人たちであるが、彼女らが表に現れることは滅多にない。常に前面に出て人々の視線にさらされるのが「トップ」という役割の生徒である。おおむね研究科八~十二年くらいの生徒がこの役割を担うことになっている。「トップ」は各組に一人ずつで、合計五人いることになる。ここで注意を促したいのは、女性ばかりの歌劇団であるため、男性の役も女性がこなすということである。こなす、というよりも、宝塚で最も特徴的なのがこの男役の存在であり、地位も注目度も娘役に比べて高い。

 そして「トップ」は必ず男役の中から選抜されるのである。「トップ」の次は「準トップ」或いは「二番手」といい、「四番手」までこの種の呼称が使われる。娘役にも「トップ」はあるのだが、席次においては三番目であり、娘役の「二番手」は事実上存在しても、「トップ」としての席次がつけられることはないのである。

 この原則は五組すべてで守られており、決して破られることはない。誰がそれらの地位につくかは、厳格に規定されてはいない。入団した年次、人気、歌や踊りの実力などが考慮されることは確かであるが、歌劇団から通達があるまでは分らないのである。システムが一般に公開されておらず、時に頗る恣意的と思われる選抜がなされることもあるが、その決定は絶対であり、覆されることはまずない。

「トップ」という地位は、全てではないにしても大多数の生徒の目指すところであり、そこへ至る道のりは長く険しく時に莫大な金がかかる。そして一度輝かしい上昇のコースを外れると、個人の力で立ち直ることは不可能である。

四 宝塚音楽学校

 演技者として宝塚歌劇団という独自の機構へ入るには、ひとつの道しかない。すなわち演技者養成機関としての宝塚音楽学校へ入学することである。受験資格は義務教育を終了した中学卒から高校卒まで(十五歳~十八歳)の女性であれば誰でも「受験資格」を有するが、「入学資格」にはさまざまな条件が付加されるため、それらをクリアしなくては(していなくては)ならない。合格の倍率は年々上昇の傾向にあり(二〇〇一年現在)、近年では「東の東大、西の宝塚」といわれるほどの難関となり、他に類を見ない突兀たる倍率を誇っているのである。

 試験は一次から三次まである。一次は面接、二次は声楽、バレエの実技、面接、三次は面接である。面接が、三度ある。宝塚歌劇団へ入るには、極度に「容姿端麗」が求められるのである。「顔なんて。人間は中身で勝負だ」といった言説は、ここでは徹底的に排除されるのである。宝塚歌劇団のモットーは「清く正しく美しく」である。最後の「美しく」が、扇の要のごとく前の二つを束ねていることが分る。つまりいくら「清く正しく」ても、「美しく」なければ相手にされないのである。逆に言えば「美しく」ありさえすれば、少しくらい「清く正しく」なくても、受け入れてもらえるというわけだ。そういった身もふたもないことをこの音楽学校は平気で行なうのである。いやこういったことが行なわれるからこそ、現在の高倍率があるのである。ともあれ、三度の面接によって、入学者は慎重に選ばれる。

 宝塚音楽学校は二年制で予科と本科がある。予科生は入学と同時にさまざまな規則/規則化した慣習に縛られる。上級生である本科生に対しては絶対服従で、この一年間ありとあらゆる締め付けが行なわれる。寮に入った予科生が、本科生を恐れるあまり、しばらく風呂にも食堂にも近寄れなかったという報告がしばしばなされているのはその現れであろう。
 そのかわり本科生になると、上下関係にまつわる多くのしきたりから一度に解放され、一転して天国のような日々が待っている。事実この時期が一番愉しかったと回想する生徒もいるくらいである。授業内容は殆ど全て演劇、声楽、舞踊など舞台技術に関するものである。国語や数学といった教科教育は一切行なわれない。この過程を終えたものが、晴れて宝塚歌劇団の一員として大劇場の舞台に立てるのである。

五 構造

 宝塚の構造の特徴は、大体において相対する二つの項に分けられる、双分組織的な形態が認められるところである。先ず音楽学校と歌劇団という項があり、音楽学校の中で予科と本科、歌劇団の中で研究科生と女子演技者、組所属者と専科所属者、男役と娘(女)役、若者役と老け役といった対立項に分解できる。この二項は概ね先輩と後輩といった上下関係であると理解され、きっちりと半族をなしている。

 細かく分けていけばきりがないが、以上のような生徒内での上下関係の他に、演出家(脚本家)と演技者、または声楽、ダンスの先生と生徒という区分もある。これらは幾重にも重なった入れ子構造となっているのである。そしてこの入れ子は、上の方に「理事」「演出家」「各種の先生」「観客」と、下の方に「研究科」「専科」「本科」「予科」という双分組織モデルを形作っている(同じ双分内では、先に書いたものがあとに書いたものよりも力を持っている)。

 同期生の間では、公的には成績によって序列が決められる。入団時及び研究科一年、三年、五年の成績は、これによってよい役が付くかどうかが決まるので、重要である。

六 ファン、藝名

 上記の双分組織モデルの中に「観客」を入れたのには訳がある。一般の演藝であれば、観客は無視して差し支えないかも知れないが、宝塚には「タニマチ」ともいうべき熱狂的なファンが存在するのである。彼女ら(と性を限定するのは、男性はいくら熱狂的な支持者でも、こうしたファンのなかに入れてもらえることは構造的にあり得ないからである)はある特定の生徒(自分がこれぞと思った人)のファンクラブを結成し、以後盲目的ともいえる愛情と献身的な奉仕をその生徒に捧げるのである。余程のことがない限り、それは生徒の退団(卒業)まで続けられる。

 まさに女王様と忠実な家臣にも比せられる関係で、アプリオリなマゾヒズムさえ感じられる。ファンクラブの会員、特に幹部会員の入れあげようは凄まじいもので、普通一般の者には到底信じられないだろう。朝夕の送迎から食事(弁当であるがしばしばあまりにも巨大で、生徒ももてあますことがあるという)、劇場における着替えの差し入れ、掃除洗濯に至るまでファンクラブ会員の手で行なわれるのである。

 勿論そんな事をしたからといって、一文にもなりはしない。まったくのボランティアである。第一ファンクラブ自体が非公式な団体なのである。彼女らは好きな生徒と関わっていられるだけで嬉しいのだ。珍しいといえばこれほど下心の少ない奉仕も珍しい。仕事は他にチケットの買い付け(買い占め)、化粧前(楽屋の小道具類)の充填、楽屋外での出待ち入り待ちなど多岐にわたる。その中でも、楽屋口での送り迎えは圧巻である。そのあまりの「激しさ」に、何も知らない一般人は必ずカルチャーショックを受ける。

 生徒が登場すると同時に周囲を十数人(多ければ数十人)の女性が取り囲み、一斉に「いってらっしゃい」または「おつかれさまでした」と叫ぶのである。問題は数ではなく、そこに流れる空気の密度である。彼女らは一騎当千の強者たちであり、そこらのアイドルやロックバンドに群がる女の子たちとは比較にならない。彼女らは生徒の送り迎えをするためにわざわざ大劇場近くに部屋を借り、時には生徒のためにマンション(億ション)を買ってプレゼントし、「いってらっしゃい」の一言を言うために始発電車でやってくる人たちなのである。アイドルのコンサートなどで、「追っかけ」「親衛隊」などと称するコアファンの一群が観察されるが、これとて宝塚ファンクラブの濃密さには比べるべくもないのである。

 なぜなら、アイドルの親衛隊や追っかけは、どんなに熱狂的であっても、プロモーターやプロダクションスタッフなどによってほぼ完全に個人的関係を遮蔽されているからである。それ対して宝塚のファンクラブの幹部と生徒の間には、その遮蔽幕がないのである。殆ど家族以上の繋がりであり、彼女たちが生徒を「養っている」とさえいえるのだ。そこまで行き着いたファンはすでにただの観客ではない。宝塚という組織の同心円のひとつとして、内部に繰り込まれているといえるだろう。

 宝塚の複合的入れ子構造を形成する要素のひとつに、藝名がある。藝名は基本的に自己申告制で、音楽学校本科の文化祭の時発表される。およそ皆「春日野八千代」や「鳳蘭」、「初風緑」、「花影アリス」といった、およそ宝塚的としか形容できない、ある種独特の名前を付ける。「芋野つる子」といったようなマヌケな名前は認められない。
 この時点で彼女らは本名・藝名・ニックネームという三種類の名前を持つことになる。ニックネームは音楽学校へ入学するとすぐ、ホームルームのような時間に予科生全員が集まって決める習わしがあるほど大きな存在であって、無視できない。ファンは藝名ではなくニックネームで生徒を呼ぶのがステイタスのようになっている。

 ニックネームは、例えば「美咲ゆり」という藝名の生徒の本名が「山田多子」であったら、「ターコ」といった具合に決定される(無論名前からの連想だけでなく、さまざまな要素がニックネーム決定には入り込み、定式化は出来ない)。ファンは「ゆりさん」というよりは「ターコさん」といったほうがより「通」であり、その生徒になじんでいることになる。「美咲ゆり」を「ターコさん」と呼ぶことによって、ファンは生徒の家族のような位置につくことができるのである。他の藝能界ではこういう現象は起こりにくい。
 せいぜい親しい友人のように錯覚することはあっても、そのタレントの家族と同等の位置を占めることは先ずないからである。宝塚のファンは「美咲ゆり」を「ターコさん」と呼び、ファンクラブの会員になったとき、生徒の亜家族になると同時に、歌劇団の組織の一部に事実上取り込まれたことになるのである。事実上、というのは歌劇団がどういうわけか未だにファンクラブの存在を公式には認めていないからである。

七 結びにかえて

 宝塚はテレビタレントなどが所属する所謂藝能界と違い、常に内へ内へと収斂してゆく性質を持っている。藝能界はテレビという非常に円熟したメディアと直結しているため、どうしても外へ開き、突出する方向へと向かわざるを得ない。

 宝塚の特殊性は、女性だけの集団という実体と関わりがあるようである。宝塚は異常なほど「男」の存在を隠そうとする。理事をはじめ脚本家、演出家、楽団など、演技者を除くほぼ全ての重要なポストが男性(原理)で占められているにも関わらず、その隠蔽工作は完璧で、殆ど藝術的ともいえる完成度に達している。例えば理事であり脚本家でもある植田紳爾など、『歌劇』や『宝塚グラフ』などの雑誌にも実に頻繁に登場するのだが、存在感はきわめて薄い。載せられている顔写真も、どこか立体感を欠いているのである。名作といわれている『ベルサイユのばら』は彼の脚本であるが、そこから「男」の視線を感じることは難しい。それだけ隠れ方が技神に入っているといえるだろう。

 あるいは自分たちが動かしていると思っていた宝塚に、いつの間にか動かされるようになっていたともいえるかも知れない。結婚した男が、いつの間にか妻の尻に敷かれていくように、養分だけを吸い取られた彼らは、徐々にその存在感を薄れさせていったのである。実際に権力を持っているのは彼ら理事のはずなのだが、宝塚という巨大なエネルギーに飲み込まれてしまい、動かしているのか動かされているのか判然としない状態になってきたのである。

 その点、藝能界は様子が違う。どんな美少女アイドルの後ろにも、彼女を操る「男」の存在を確認することができるからである(「男」は実際には女性である場合もあるが、ここでは「男性原理」に当たるものとして「男」と表記した)。これはその社会構造と、そなえている性質の違いである。つまりジャック・デリダが『尖筆とエクリチュール』において述べたことを当てはめれば、藝能界は外に開かれているという点で男性的であり、宝塚は内へと収斂するという性質において女性的なのである。

 宝塚の誇る様式美は整然たるものである。「可視化された王権」の様態を彷彿とさせるかのように、舞台上の立ち位置、服装、登場する場面などによって、厳格な序列化が行なわれている。それがかの大階段、羽根付きの衣装に象徴される豪華絢爛たるエクストラヴァガンツァなのである。にもかかわらず、ある一点では完全な論理かが行なわれることを拒否するところがあり、舞台は厳密な概念規定によって作り上げられるのではなく、あるひとつの方向性を示すイメージによって構成されているのである。 

 宝塚の舞台は、確実な論理の構築によって成り立っているのではなく、煌めくようなイメージの断片の織物(テクスト)として構成されている。それをただ無作為に並べるのではなく、さまざまな秩序を定め、点を線とする工夫が凝らされているのだ。しかし、実際には個人の力量というよりも、そういったこと全てを統合した全体の迫力が観衆を圧倒することになる。厳格に様式を定められた集団が一斉に動くとき、煌めくような断片の数々は端的に我々の身体へと作用し、夢うつつのうちに、あらゆる論理を超えた立体的な情感として知覚されるのである。

(風海 訳)

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