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文楽について

  橋下大阪市長が文楽を鑑賞し、技芸員の方々との会談で、守るべき文化財であることは分かったが、ラストにぐっとくるものがなかった、というような論評をし、これを何とかできない限り金は出せない、と言ったそうである。

  この橋下発言について、賛否両論あると思うが、ぼくはどうも根本がおかしいと感じている。橋下さんは市長であり、市長と言えば行政のトップであって職分は政治家だろう。政治家は施政方針の決定や賄賂をもらって私腹を肥やすのが仕事であり、文化や芸能について論評を行うことではない。

  行ってはいけないというのではない。市長として発言するのであれば、それは全て政治的な発言となるわけで、そうでなければ正式な劇評論ではなく、ただの感想のはずである。劇評論にはその筋の専門家がいて、彼らに任せておけばいいのである。どこそこ大学の文学部教授とか、文芸評論家とか劇評論かとか、いろいろ居そうではないか。そういった連中に意見を求めれば、「専門家」として、正しく文楽を批評してくれると思う。

  それを受けて、文楽を評価するというのが政治家としての在り方で、橋下氏個人の見解を政治家としての発現にかぶせるのは、この際ルール違反ではないか。そうではなく、もはや問答無用で文楽をつぶそうというのであれば、「ぐっとくるものがない」程度の胡乱な言い方ではだれも納得しないだろう。もっと厳密に学問的な批評をしてもらわなくては収まらない。

  つまり、橋下氏の発言は職責を超えた単なる感想であり、政治的な効力は全くないと思う。文楽側の対応は、いたずらに軽挙妄動して右往左往するのではなく、何百年続いてきた確固とした伝統芸能である、というようにどっしり構えていればいいだろう。心配しなくても文楽はつぶれない。そういう意味では、「守るべき文化財」という言い方も間違っているのではないか。

  文楽は、日本が誇る世界の文化的共通貨幣である。新劇や映画は、まだ世界のメジャーをうならせるには程遠いけれど、文楽は堂々の横綱相撲、外国のどんな文化人でも頭を下げるという代物である。ロラン・バルトの『象徴の帝国』は、文楽を見た哲学者の驚きが発端となって出来上がった本である。

  どうしても、金が大事というのなら、金では買えないほどのものをあえてつぶすことで生じる損失を計上してみればいい。後世の人から、世界レベルの日本文化を一つ奪おうというのである。そうまでして微々たるお金に執着する橋下氏が、その多大な負債に堪え切れるというのであれば、ためしに潰してみるのも一興かもしれないが。

    風海

 

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