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産学連携 その二

  前項で産学連携の悪口を書いた。「批判」というような高級なものではないから、まず悪口と言っていいだろう。そこで、学は産の奴隷になったというようなことを書いたが、歴史的には長いことその逆であった。なぜなら、学問は貴族のものであり、農民や商人は彼らの生活を支えるために労働を提供していたからである。

  だから、長い間学問といえば哲学であり、別けても形而上学であった。形而上学とというのは純粋な思考思弁の産物だから、身体を忘れられる人だけに許される特権であったのだ。この傾向は、ほとんど近代まで続く。ビンボー人が労働として学問を選択し始めるのは、ようやくマックス・ヴェーバーからである(まあ、よう知らんけど、大体・・・)。
 二葉亭長谷川辰之助は、通っていた外国語学校が商業学校と合併すると聞いて激高し、卒業まで半年を残して退学した。そのくらい、商人は蔑まれていたのだ。今そんなやつはいない。

  大学においても、外部資金を調達する先生が偉いという評価基準が出来上がっているから、むしろ商行為に長けた人の方が上位に位置づけられている。現在歴史学や文学などは一部を除いて不人気で、絶滅危惧種などと呼ばれている。まあ早晩なくなるだろう。そして、そのうち年商何億何百億という会社の、社長だかCEOだかという人がやって来て講義をするようになるだろう。いや、現にそうなりつつあるか。

  ぼくはそれが悪いと言っているのではない。いいとも言っていないが。それが学問をとりまく現状であり、今後それに拍車がかかるだろうと思う。そもそも、政治の中心が経済政策になったのはいつごろだろうか。昔も経済活性は政治の重要課題ではあった。しかし、それは国土に暮らす人民を飢えさせないためであり、「企業」というバーチャルな法人格を肥えさせるためのものではなかった。

  資本主義というのは世界中どこもそんなものかも知れないけれど、特に日本型のそれは企業メインでありすぎる。二億円くらい売り上げて、年収が数百万円というサラリーマンは多いと思う。だからどうだという話ではない。企業というものの性格上そうなるというだけである。

  産学連携も、そうした企業側の要求を学校が受け入れたのである。学の方は、ただ資金がもらえるとばかり思っていたら、いつの間にかおかしな方向へ引っ張られ、3.11に代表されるような犯罪的行為の片棒を担がされていたことになる。ただほど高いものはない、という。俚諺としては月並みな方だろう。しかし今は「フリー」を仕掛けて、巨利を博するというビジネスモデル全盛の時代である。フリーだからと言って、ホイホイなんでももらっているとそのうちドカッと持って行かれる。

  研究費をあげます。はいそうですかありがとう。これで完了である。あとは時期を見て回収するだけ。何を取られるかはその人次第である。しかしはっきり言えるのは、一番大切なものを持っていかれかねないということだ。学者研究者の皆さん、フリーには十分お気を付け下さいませ。

    風海

PS:今ふと思い出した。科学研究費をもらった人に請われて、メンバーに入れてもらい、お金やその他の利益供与だけいただいて報告書に論文を書かない人がいる。ぼくはこれを「科研金詐欺」と呼んでいるが、実はこれが一番うまいやり方かもしれない。研究代表者にはできない芸当だが、また次から入れてもらえない可能性も大であるが、もらうだけもらって何もしないというのは、貴族の常套手段である。学者は今一度先祖返りして、貴族的な心性で過ごしてみてはどうだろう。そのうち没落すると思うが、原発事故のような致命的なミスも生まれないだろうから、結果的にはその方がはるかにいいのではないだろうか。

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