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いんたあみっしょん

  久々に論文を読んだ。論文を読むことが日常だった時期もあったから、かなりの激変である。まあ、論文というものは読むのも書くのも心身の状態に良い影響を及ぼさないことが多いから、現在は健康的に過ごしているともいえるだろう。

  今回読んだのは、嶋中博章「17世紀フランスの回想録(メモワール)」(『関学西洋史論集』第35号、2012.3)である。

  何故この論文を手に取ったかは、この際どうでもいい。何かの必要あって読んだわけではない。だから、どこで放り出しても良かったのであるが、最初から最後まで一気に通読した。なぜなら、文章がうまかったからである。論文を読んでこういう具合に愉しく読めることはあまりない。だから、もしかしたら、この文章は、論文に偽装したエッセイなのかもしれない。

  内容は、17世紀フランスにおける回想録の概説である。ただ、普通の概説のように、こういう作者がこういうことを書き、このような趨勢でした、というような展開にはならず、いつの間にか、歴史記述と文学的技巧についてのお話となる。
  この展開のさせ方は、魔術的に巧みである。歴史論文と文学的技巧が矛盾するものではないという実例として書かれたような文章で、すんなりと議論に入っていける。無論専門家は異論もあるだろうが、よほど「巧く」書かないと、クリストファー・コロンブスが報告書作成時に下手を打って、新大陸に名が文章の巧かったアメリゴ・ヴェスプッチからとられてしまったかのような事態となるに違いない。

  内容とはあまり関係のないどうでもいい話だが、冒頭から二ページ目に、懐かしいプルーストのヴィルパリジ夫人に再会するとは思わなかった。ぼくが夫人のサロンに出入りしていたのは、一体いつのことであろうか(語り手である「私」の滑稽なような活躍を愉しんでいたのである)。
 

  あの重厚長大な物語が、小説として読むに足るものであったのは、やはり文学的技巧のなせる技であったのだろう。歴史は事実が大切であり、真実を語ればそれで足りると思っているならば、なおのこと文学的技巧は必要である。回想録が今に残ったのは読者を獲得したからであり、読む人がいなければ、歴史の渦に消え去っていたに違いない。

  最後に、嶋中氏の文章術を少し解説しておく。氏は、引用がうまいのだ。自説をしゃべりながら、読者が疑問を抱きそうになる寸前で誰かの言葉を引用する。すると、言葉の温度が変わって、すんなり通り過ぎてしまうのである。ただこれは、相当な「技」の使い手でなければうまくいかないので、初心者は真似をしない方が安全であろう。

   風海

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