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2012年3月

輝ける島―獅子国紀行③

 スリランカというのはインドの南端に位置する島国で、ちょうど中国に対する台湾のような位置関係だから、台湾人が中国語を話すようにインド語(ヒンディー語)を話すかというと、そうではない。人口は八割がシンハラ人、二割がタミル人であり、使用言語はシンハラ語とタミル語である。

 タミル語は、大野晋先生が日本語の期限として比定した南インドの言語である。文法単語ともに日本語に似ているということであるが(大野晋『日本語の起源』)、今度の旅行ではそれらしい言葉を聞くことはなかった。一方、シンハラ語が、どういう系統の言語であるか不勉強にして知らない。こちらの方はよく耳にし、テレビでも聞いた。文字はジャガイモのような形の表音文字で、サンスクリットやアラビア語などの文字がくるっと丸まったような感じである。だからといって、それらと同系統であるかは不明で、テレビのアナウンサーの話す言葉は、どこか韓国語のような響きであった。

 もしかして、韓国語の起源はシンハラ語ではないか。そんな妄想がふと浮かぶ。多分99%妄想だが、根拠がないわけではない。ヴィマーラ師のお寺および本場キャンディの劇場で見た「キャンディダンス」が、韓国の伝統舞踊「サムルノリ」に、あらゆる点で酷似していたからだ。

 この文章は、あちこち前後しながら(意識の流れ重視)、蛇行して進むことにしてあるので、キャンディダンスについては今は書かない。ただ、男のダンサーが上のとがった丸い帽子をかぶっており、その先端についた紐を自ら旋回しながらくるくる回してゆく、その踊り方と、首から下げて両側からたたく太鼓、時折入るシンバル(ドラ)のリズムが、やはりサムルノリに似ている部分がある。

 無論全てが、ではない。ただ、その構成要素の大きなものに、かなりの類似が認められるので、もし無関係だったとしても比較してみると面白いと思う。韓国の方は、次第に日本の雅楽のような雰囲気も帯びているので、そこから日本は一息であるが、スリランカは少々遠い。キャンディダンスの太鼓の音も、はじめはサムルノリに聞こえていたが、聴いているうちにだんだんと木々が深くなってゆく。派手な色の鳥が飛び始め、呪術師がリズムに乗って踊り始める。正確に刻まれる太鼓のリズムによって、トランスは次第に深まり、背景に隠れていた精霊たちの姿が浮かび上がってくる。そういう力が、キャンディダンスの音楽にはあった。

 ・・・以下次項。

   風海

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輝ける島―獅子国紀行② 序章そのⅡ

  旅に出かけたところで、いきなり帰ってくる旅行記というのが存在するのかどうかわからないが、ともあれこの文章の場所は日本である。

  弟子の別荘で三里に灸をすえたり、位の高い女性に翻弄された顛末を語って無常観を表現したりといった手続きなしに、旅に出るところから書き始めて違和感がないのが現代の旅行記だが、もっと言えばこの文章は旅行の備忘録的なものですらない。

  備忘録として優れているのは、なんといってもミシェル・ド・モンテーニュ殿のイタリア旅行記だろう。原文を読んだことはないが、堀田さんの抄録を眺めただけでも、その詳細さ、目の付け所の面白さがうかがえる。そういうものが書きたいなと思って、ヒコーキの中でノートを付け始めたのである。

  ところが、詳細にいろいろ書くことができたのは行きのヒコーキの中だけであった。初めの意気込みだけが勝って、次第に尻すぼみとなり、三日坊主でやめてしまう筋トレのようなものとお考えいただくと、それは少し違う。
 書きたい気持ちだけはあったのだが、時間がなかったのである。とにかくタイトな日程で、朝が早く夜も遅いし、移動が多いと来ては、落ち着いてノートを広げる時間がない。だから、ひとところに座って落ち着いていたヒコーキの時間が終わると、あとは単なる出来事の羅列となった。

 それで、今旅行記を書くと大見得を切ってしまったものの、どうしようかと迷っている。旅行の日程を載せてみても仕方がないし、断片的なメモを再録してもつまらないだろうし。・・・というわけで、まだぼくは日本にいる。この際、しのごのいわないで、強制的に出発してしまった方がいいのかもしれない。・・・

 コロンボの空港に降り立つと、いきなり夏であった。北半球だから、スリランカも冬のはずであるが、日本の7月くらいの気温である。ゆっくりと流れてくるあの暑熱を含んだ空気が、見知らぬ土地のにおいを運んでくる。
 偉いお坊さんの招待客であったぼくたちは、経済担当大臣という人のとってくれた特別室に案内され、入り口でサリー姿の女性からブーゲンビリヤに似た花のレイをかけられた。甘い香りに、疲れた体が一瞬元気を取り戻す。

―以下次項。

     風海

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輝ける島―獅子国紀行① 序章

 突然ですが、スリランカへ行ってきました。その経緯は以下の通り。

 空味さんのお父さんはK山の大徳(だいとこ)である。昔日本に留学して一緒に修行していたスリランカ人のお坊さんが故国に帰って社会福祉事業を始められ、今年がそのM社会福祉センター設立三十周年に当たっていた。その式典が二月末に行われることになり、奈良にある世界遺産G-G寺がツアーを企画して団体でそれに参加することになったから、お前らも一緒に来ないかと言われ、二つ返事でついて行った次第なのである。

 スリランカは、首都の名が「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」だと中学生の時に記憶したくらいで、あとは紅茶の産地としてしか知らず、これまでほとんどなじみのない国であったが、この度行ってみて非常にいい印象を持った。

 そのことについてはおいおい書いていくつもりだが(多分)、今日はその序章ということで。このたび、一番大変だったのは移動である。時差三時間半というのは近くもなく遠くもないといったところで、それほど苦労するとは思っていなかった。ところが、朝十一時にヒコーキが飛んで、ついたのが現地時間の午前零時過ぎなのである。日本時間でいえば明け方の三時半過ぎ。

 台北経由、香港乗り換え、バンコク経由で、ようやくコロンボに入る。スリランカは国際線は夜中しか入れない決まりになっていて、どこから言っても必ずこの時間以降になるという。どういう訳でこんなはた迷惑な決まりを作ったのか知らないが、実際乗っている時間と空港で待っている時間を足して十六時間というのはかかりすぎである。

 とはいえ、そういうデメリットも影をひそめるくらい、スリランカはぼくの性に合っていた。寒いところから暑いところへ行くので、体調の変化に気を使っていたが、気にすることはあまりなかった。ちょうど日本の6~7月くらいの気温で、蒸し暑かったが緑が多いせいか空気が澄んでいて息苦しい感じはしない。昔中国では、中原の寒いところにいた人たちは南方を瘴癘の地と呼んで恐れていたが、確かにマラリヤなど怖いことは怖いのだが、スリランカは熱気も湿度も実に気持ちのいいものである。 

  ところで、「スリランカ」とは、「スリ(輝ける)」「ランカ(島、国)」という意味だそうで、首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(コッテ地方の輝けるジャヤワルダン(前大統領の名前)の街という意味)である。ただ、ここには国会議事堂だけがあり、事実上の首都機能はコロンボが担っている。(以下次項)

   風海

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