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2011年10月

偏愛するアニメ

 アニメ『ルパン三世』の声優陣が一部交代するという。 ルパンの栗田貫一さんと次元の小林清志さんはそのままで、銭形警部が納谷悟朗さんから山寺宏一さんへ、石川五右衛門が井上真樹夫さんから浪川大輔さんへ、峰不二子が増山江威子さんから沢城みゆきさんへ、という変更である。

 これが吉と出るか凶と出るか。『ルパン三世』は今日までぼくの偏愛する数少ないアニメの一つであるから、色々な思い入れがあって正確には評価できないところもあるが、ルパンの声優は、俳優と同じ価値をもつと思っている。

 つまり、実写ドラマの俳優陣がストーリーの枠だけ残して入れ替わった感じなのである。故
山田康雄さんは、自分は役者であると言い続けておられたという。事実そうだったのだろうが、それが反映して、ルパンのオープニングのテロップは、映画などの出演者紹介のような作りになっていた。

 こういう、トランスする作りになっているものが、ぼくはどうやら好きらしい。しかし、出来上がっている世界を、どう崩し、何を入れるかというのは、案外難しいのである。

   風海

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偏愛する音楽

 以前マルタ・アルゲリッチ(体調不良で来日中止ということだが、それよりも思った以上に高齢だったのには驚いた。なんとなく四十代後半から五十幾つくらいという印象だったので)のショパンを紹介してくれた友人に、ロマン派はいそがしくてついていけない、というようなことを言ったところ、彼も音の飛躍はモーツァルトなどに比べてはるかに多いが、そこにこそ特徴があるのだというような意見であった。

 もっとも、しばらくショパンを聴いているうちに、音の飛躍には慣れて、そのタイミングや間の取り方の妙に感心するようになってきた。確かに音階を多用するモーツァルトの安定感はないものの、繊細で優美な音の戯れが実現されている。ショパンでもシューマンでも、優美である。

 しかし、遠い記憶をたどってみると、ぼくは少年のころフランツ・リストを偏愛していたのである。なぜこのマジャール人のピアニストをそんなに好きだったかは思い出せないが、今改めて聴いてみると、ショパンなどの悪く言えばお気楽な優雅さではなく、もっと質実剛健な切れ味のようなものがある。この人は、本当にピアノがうまかったんだろうなと思う。それも、情緒に流されるようなひき方ではなく、しっかりとした土台の上に、職人的な誠実さをもって「情感」を表現できるタイプだったのだろう。

 聴いていてそう思うのである。有名な「ラ・カンパネラ」(『パガニーニ大練習曲』)でも『ハンガリー狂詩曲』でも、そのような技術の上に出来上がったものである。なんにせよ、やはり土台が必要だなと、しみじみ思う秋の宵である。

   風海

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