« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

をの屋の会

 昨夜、以前行きつけだった学際的国際的居酒屋「をの屋」の常連が集まって、往時をしのぶ会が行われた。この度、をの屋のもと女将であり、現在KO大学の方向にお勤めのAyayaさんが、こちらへ来られるとのことで、急遽ビヤ王をはじめ、当時の常連が顔をそろえたのだった。

 メンバーは、そのほかハンドルネーム・ヒサ氏、、燻屋さん、ジェイ・Yダ氏にAS(「アツコ・スガ」ではない)氏であった。大阪キタの繁華街にある某生命ビルに入っているフランス系の居酒屋と、ワインバーをはしごして、日ごろにない飲み方をした。ぼくは日常一滴も飲まないので、かなりのアルコールを摂取した感じである。

 をの屋のメンバーがそろうと、なにがいいといって、話が学問的になる点である。むろん皆それぞれ専門分野が違うので、「ミトコンドリアの分子構造が云々」というような具体的な話にはなりにくいのだが、何かの事象を切り取って話す、その時の方法が「学問的」なのである。メタ的なものだが、そこにだいご味がある、というポイントが外れていないので、そこにエラン・ヴィタールのようなものが生じる。

 つまり、独自の見方を提示し、論理的にそれをあとづけながら、あるところでふっと飛躍するのである。その飛躍の瞬間が心地よいのだ。ブレイクスルーというのは、実体験としてぼくは経験はしていないが、こういう突き抜け方をしたら心地がよいだろうというのは、このような対話体験から類推ができる。

 翌日、つまり今日、S市内の大学で行われたあるシンポジウムにちょっとだけ顔を出した(U先生に用事があったのと、K先生にご挨拶するためであった)が、なんだか場違いのところへ来てしまったような気がして、早々に辞去してきた。ずいぶん行きなれた場所だったはずなのに、そこに生息する人々の視線も冷たいような気がし、自分がそこを遠く離れた実感があった。

 をの屋は、またしばらく開店しないだろう。そしてぼくはアカデミックな研究をやめてしまったが、次にをの屋が開くときのために、研究的な姿勢だけは堅持しておきたいと思う。それは実際に文献を読むなどではなく、知的にいつでも飛べる用意のことである。

      風海

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

商売成功の秘訣

 ぼくが毎日出入りしている建物の管理人さんと話をしていて、何かの拍子に話題が商売をするということへ移った。管理人さん曰く、「商売で成功するには、どれだけ営業努力をするかではなく、どれだけ人に助けられるかですよ」と。

 けだし、これは至言であろう。しかし、「どれだけ人に助けられるか」、というのは単に「どれほど多くの顧客や援助してくれる人を見つけられるか」ということではあるまい。これは個人の覚悟の問題なのである。

 つまり、どれだけ「人に助けられるという状況」に堪えうるかということである。他人の援助をいただくのは、ある意味大変な心の負担になる。それを、どれほど感謝とともに持ちこたえうるか。そこに人間の度量が現れる。

 自分に才能が豊かで、何でも出来てしまう人がいる。こういう人は、あまり他人を信用せず、ワンマンになってしまう。反対に何となく頼りなくて、助けてやりたいと思わせる人のほうが、案外成功しやすいのかもしれない。そして、そういう人に、感謝を持続する能力があれば最高である。漢の高祖などは、さしずめそういう人物だったのではないだろうか。

 某氏は、「他人に貸しを作るのはいいが、他人に借りを作りたくない」と公言してはばからない人であった。ぼくはその言葉を聞いた時、まず違和感を覚え、次になるべく近寄らないようにしよう、と思った。あまりにも人間が小さいような気がしたからである。

 これを他山の石として、ぼくは人に助けていただける人間を目指したい。無論、他山の石としての某氏にも感謝をしている。

     風海

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

Happy maker in 高野山

高野山で開催中のアートイベントに行ってきました。
宣伝を兼ねて、写真だけでも取り急ぎ公開します。

Photo_3

会場はHappy maker 提灯が目印です。

Photo_2

お米展
お米とお米文字の不思議で楽しい世界です。
お米文字で憲法9条、般若心経そして、お米論etc.

Photo_4

高野山は涼しくて、紫陽花もこれから咲くところです。
写真は泰雲院の入り口。

Photo_5

このお部屋、ふわふわと空中に浮かんでいるような気持ちになります。
これ何だと思いますか?
すすきの穂を球体にして天井からつるしてるんですよ。

10日(日)までやってます。
詳しい情報はHappy makerのウェブサイトをご覧くださいね。

http://happymaker-koyasan.info/

     空味子

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

腰と股関節

 相撲の四股の体制で、そのまま両足を曲げるスクワットを「腰割り」という。腰が割れるというのは、腰方形筋などが分裂するのではなく、膝が十分曲がって、「股関節がはまった」状態(白木仁『驚異の1分間コアトレーニング』(学研新書 2011)など参照)をいう。

 言うのは簡単であるが、股関節がはまるとか、腰が割れるというのは、実感としては極めてつかみづらい感覚ではなかろうか。しかも、四股の腰割りは、足をターンアウトして完全に外股の状態にするので、かなり不安定である。昔の人が、これで安定していたのは、嘘じゃないかと思えてくる。

 これはすべて、バランスとの関わりなのである。この足腰の状態で、完全にバランスが取れると、足腰に力がみなぎり、非常に強い身体感覚が醸成される。四股や腰割りは、いわゆる筋力トレーニングではなく、これによって筋肉をつけるという目的でやるのは正しくない。

 四股の目的は、不安定を使いこなして、腸腰筋や大腰筋に氣(意識、血液などの流れ)が通るようにするための訓練であり、それ自体がバランスの稽古である。バランスをとる練習をしていると分かってくるのだが、不安定な場所で一瞬でも静止することができたり、ふと気付くと完全なバランスの中にいることを実感したりするとき、ある種の快感を覚えるのである。

 この感じが、リラックスに繋がり、強い土台を構築する契機となるのだと思う。その土台を生かして、「自然体」といわれる姿勢が形作られるのである。

  風海

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

オフ・ビートの時代

 先日、S市内某所で、上海万博などをプロデュースされた淀野隆氏、ファッションデザインの清水忠氏のお二方の講演を聞いた。

 そのお話の中で、淀野さんが言われた、現在は「オフ・ビートの時代である」という言葉に、感じるものがあった。オンあるいはオフ・ビートというのは、ジャズなどの用語らしく、どこに強調があるかということである。

 たとえばラッパで、「パッパッパッパラー」、という音を出すとき、オン・ビートでは、「パッ」パッ「パッパ」ラー、となる。前に強調が来るのである。それがオフ・ビートではパッ「パッ」パッ「パラー」となり、後ろに強調がある。ここから、溜めやじらしが生まれるわけで、派手さは出ないが、非常に粘りのある音楽が生まれる。

 現在はオフ・ビートの時代だというのは、たとえば一品しか出さない定食屋が繁盛したり、これまでの常識ではメジャーになれなかった人が人気を博したり、といった現状を分析してそう言われたのである。こういうことは、個々別々に、脈絡なく起こっているようであるが、そうと分かれば、オフ・ビートを前面に出して行ってもいいのではあるまいか。

 日本特有の「腰・腹文化」(齋藤孝『身体感覚を取り戻す』NHKブックス)などはさしずめ、オフ・ビートの代表ではあるまいか。腰が決まり、腹ができると、動きに溜めが生まれる。そこへドンと力が乗るので、筋力ではない別の体系の力強さが生まれるのである。

 運動系の分野でも、これまでのオン・ビートつまり筋力全盛時代は、もはや終わろうとしている。ということは、経済においても、「金力」の時代が終わろうとしているのではないか。震災以来、「復興」の二文字を掲げて挙国一致の体制ができつつあるが、完全に元へ戻すのはありていに言って不可能だろう。

 そうではなく、視点を切り替え、オフ・ビートに乗せて、溜めとじらしを利用しつつ、これまでとは違う価値、そして文化の創造がなされなくてはならないと思う。どういうものを作っていくべきなのかというヴィジョン、そこにこれからの復興の可能性がかかっている。

   風海

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »