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祖父の武勇伝

 最近テレビを見るという悪しき習慣に染まり、朝のNHK連続テレビ小説「おひさま」を、見るともなく見ている。昭和二十年、東京大空襲があり、近親者や知人などで出征し消息のわからないものも多い。そういう緊迫した時代状況の中、安曇野にて勇ましく生きてゆく女性教師の物語である。

 太陽の陽子ちゃんと呼ばれるヒロインが、戦争末期というとき、未だにふくよかなままなのはどうした訳だろう、というようないちゃもんはさておき、見ていると何となく懐かしいような気分になる。

 ぼくの祖父は、昭和十四年に赤紙が来て出征したから、足かけ六年戦地にいたが、途中病気になったりして上等兵以上には出世できなかった。復員してから勤めたいくつかの会社でも、まったく地位が上がらなかったようなので、軍隊での出世が滞ったのは、病気のせいだけではないだろうが、後年それが心残りだったと繰り返し言っていた。

 しかし、面白いことに軍隊というところは、長くいればいるほど偉いという裏の規則もあって、六年もいるとずいぶん後輩に先を越されるのだが、自分より兵役の短い伍長や尉官などから、先に敬礼を受けて「中村(仮名)上等兵殿」と恐縮されたそうである。

 祖父は大変気がやさしくて、身体も強くなく、荒くれたところがなかったが、その反面プライドが高くて激情的なところがあった。赤紙が来た時には「喜んで」出かけて行ったそうだし、初年兵のときにあんまり殴られるので、「ええいくそ、殺すなら殺せ」と居直って、古参兵をたじろがせたことがあった。

 終戦間際に中支にいたが、そこで「特別攻撃隊」の募集があった。特攻は、何も沖縄や知覧などばかりではなく、大陸の方でも行なわれていたのである。まず、夜陰にまぎれて大型の輸送機を飛ばし、敵の飛行場へ胴体着陸する。
 そうして、相手方の飛行機に「アンパン爆弾」というのを取り付け、時限発火で爆発するのを待ち受け、その物音に驚いて敵が出てきたところをチャンチャンバラバラに持ち込み、ひとしきり戦って死に切れなかったら最後は手榴弾で自殺する、という形で行われるのである。

 その隊員の募集があったとき、誰も志願しなかった。もう終戦間近であり、皆疲れ切って戦う気力を失っていたのだ。この特攻は、強制ではなく、志願者を募って行われるというものであった。そして誰も名乗りでなければ、隊長は自分ひとりでも作戦を遂行しなくてはならない。刻々と出撃のときは迫り、志願者は出ない。

 そういう状況で、隊長が困り果てているという話を聞き、ぼくの祖父は志願したそうである。階級も上がらないし、戦況もよろしくない。ここでパッと死んで靖国神社に祭られたら本望だ、と思ったのである。
 名乗り出ると、隊長は泣いて喜んだという。しかし、祖父が出撃することはなかった。その当日、待っても待っても輸送機が来ず、結局その作戦自体がお流れになったのである。

 後年、戦友会などで出会うと、隊長はやはり泣きながら、「中村、おりゃ、あん時は、本当に嬉しかった」と言って、祖父の肩をたたいたそうである。これが、祖父の唯一の武勇伝であった。

   風海

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