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手の記憶

 ぼくはこれまで、必ず手書き原稿を作ってからでないと、ワープロを使うことができなかった。しかし、諸般の事情で直に打ち込むことをし始め、それに慣れてくると、案外文章を書くことができるようになってきた。文体も、それほどおかしなものではないと思う。

 しかし、文章家としての体力は、徐々に落ち始めているようである。最近頓にそれを実感し始めた。まず、言葉に詰まりだした。適切な措辞が出てこないことがあり、また言い回しもいい加減で考えることを中止している。

 一番大きな変化は、書いた文章を覚えていないという点である。これまで、いやしくも誰かに供覧するための文章を書いた場合、書きつつあるうちからある独特の集中が起こり、書き終わってからも、書いた内容をほとんど全文記憶していて、道を歩きながらなど、「あそこはこう書けばよかった」などと推敲することがよくあったのだ。

 ところが最近、こまめにこのブログ記事を更新していながら、まったく推敲していないということに気づいて愕然とした。推敲が始まろうにも、自分で書いた文章を覚えていないのだから仕方がない。

 様々な異論(年のせい、勉強不足による脳機能の低下など)はあると思うが、絶対にこれはワープロのせいである。これまで手で書いていたときには、手が記憶していたのである。それが、文字を打ち始めてから、手が記憶しなくなった。やはり、脳だけでは足りないのである。おそらく、脳は中枢でありまたモニターではあるが、そこから何かを「生み出す」ための器官ではなく、創造行為はそれぞれの特殊な身体部位にゆだねられているのではないだろうか。

 歩くことは脚が記憶し、投げることは腕肩が、そして工作や書くことは手が中心となって脳を制御して利用し、必要な電気信号だけを送らせているのである。コンピュータは脳のメタファーであり、人はモニターをモニターに映して、何かをしていると錯覚しているだけなのである。脳自体は何も生み出さない。だから、文章は手で書かなくてはならないのである。

    風海

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