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汗をかきに来ているのではない

 道場の帰りに、I先生と一緒になり、道々どのような稽古が望ましいかということを話しあった。ぼくが習っているのは合氣道であるから、やはり氣というものが問題になる。氣の交流、導き、といったことを技の効きと言う観点から妥協なしに稽古するためには、たんに動くだけでは不十分である。

 I先生は、汗をかきに来ているわけじゃあないからね、と言われた。まあ、それも大事なんだけど。でもきちんとした稽古をしなくては、身につくものが違ってくる。

 道場にはいろいろな人がいて、確かに妥協なしに稽古をする人も多い。しかし、ぼくの感覚で、今自分が求めている「達成」に焦点を合わせている人は少ない。たんに強くなるとか、健康になると言うにとどまらず、ある種の次元転換をぼくは考えている。

 技がうまいとかということとは違う。そういう、評価や測定の次元を超え、つきぬけた、としか言いようのない状態である。そこでは、すべての相対的な価値観が無効化されるはずである。

 はずである、というのは、まだ自分がそこへ至っていないから、明言できないのだ。そして、こういう人一倍高い(あるいはズレた)目標を立ててしまったために、かなりの「壁」につき当らざるを得なくなっている。しかし、壁があるということはありがたいことだ。

 少なくとも、考えさせられるからである。おもえば、考えるという脳を中心とする身体運動がぼくは好きであった。知的好奇心が、これまで色々なところへ連れて行ってくれた。だから、つい考えてしまう。「考察」だけなら、ぼくは奥義を会得している。でも、氣を中心とした身体運動は、そういう次元では到達不可能である。その困難さが、また知的な感興を呼ぶのだろう。

 合氣道への興味は、身体運動とかスポーツ性とか、武道的な技術とかではなく、氣というものを中心とした、ひとつの人間の在り方への知的好奇心に支えられているのである。

    風海

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