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ものすごいひと

 先日、ふとおもいたって小倉鉄樹『おれの師匠』(島津書房刊)を読み始めた。おれの師匠、とは山岡鉄舟(1836-88)のことである。幕末、清河八郎らとともに幕府浪士隊を組織して、尊王攘夷運動を盛り上げ、また西郷隆盛と勝海舟による江戸無血開城会談に先立ち、西郷との間に了解を取り付けたのが鉄舟である。

 著者、というか談話の口述者小倉鉄樹(1865-1944)は、越後の人。二松学舎に学んで漢学を修めたのち、軍人たらんとして士官学校を受験するが、身長が足らず不合格となる。明治14年、鉄舟門下に入って春風館道場にて三年立ち切り(道場で座ることなく、誰彼となく相手をする修行)、京都の八幡円福寺で三年参禅といった荒行を重ねる。そのご明治45年、中野に一九会道場を建て、みそぎの修行を主催する。一九会というのは、山岡鉄舟の命日七月十九日にちなんだのである。

 一九会道場におけるみそぎの修行の詳細はほかに譲るが、ともかく山岡鉄舟という人は桁外れの傑物であった。はじめ剣を学び、その上達のために始めた禅でも允可を受けるまでになり、剣禅一如の極意に達して、無刀流の一流を開く。ひと睨みすると、棟のネズミが落ちてきた、という彼の剣は無論「鬼鉄」と仇名を取ったほどの腕前であり、禅の方でも並みいる師家を感服せしめるだけの得力があったという。

 具体的にどのくらいすごい人であったかというと、ある日尊王攘夷派の人士数人で酒宴を開いていたとき、胃の悪い鉄舟さんはビールを飲んでいた。すると大草多起次郎という人物が、異国の酒を飲むとはけしからんとばかり、「我は大草にあらず、天誅なり」と叫んで殴りかかった。鉄舟さんは「天誅なら受けよう、お気に召すまで殴れ」といって、頭を差し出し、目鼻が分からなくなるまで、ぼろんちょに殴らせた。

 またある日、友人がゆで卵は十個も食べられないというのを聞いて、「五十や百などわけない」とうそぶいた。友人が本当に百個のゆで卵を用意すると、それは相当の嵩で、さすがに不安になったが、後へは退かない人で、塩をつけて食べ始めた。それが次第に喉を通らなくなるが、「なんの、こればかり」といって、しまいには丸呑みしてともかく百個平らげたという。しかし、直後に便所へ行って吐き戻し、家に帰ってからも三日間吐き続けたという。

 とまあ、これくらいすごい人であった。『おれの師匠』には、もちろん偉人としての側面や、聖人と思えるような業績も載せられているが、まずはこの逸話を読んで、ぼくは鉄舟が真にものすごい人であったと得心したのであった。

    風海

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