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2011年5月

ものすごいひと 其の二

 このところ、ずっと小倉鉄樹『おれの師匠』を読んでいる。
 読んでいると段々山岡さんが身近に思えてきて、関係ないはずの自分までその門下に入っているかのような気がしてくるから不思議である。

 彰義隊が東叡山上野の寛永寺にたてこもって、乱暴狼藉の限りを尽くすから、新政府側が討伐軍を差し向けた。山岡鉄舟は騒ぎをおさめて隊を解散させ、何とか戦闘を回避しようと躍起になっていたが、隊長がだれかも分からないようなありさまで、鎮静のしようがなかったのである。

 新政府軍がやってくる前のこと、山岡が反動的な人間だというので、彰義隊側が、山岡邸を夜襲をかけようとしている、という情報が入った。鉄舟は、門人を集めて、安全なところへ逃げるようにと言ったが、一人が逃げ出したほかあとはだれも従わず、屋敷の扉を開放して宴会となった。来るなら来てみろ、というデモンストレーションである。

 ところが、彰義隊がいざ襲撃しようとしているところへ、たまたま行きあった長谷川という人物が山岡の人格とその骨折りを伝え、襲撃を戒めたので、隊士の面々は気勢をそがれて上野へ帰って行ったのだという。

 山岡がたでは、待っても待ってもだれも来ないので、そのうちに夜が明けた。鉄舟がまず目を覚まし、あたりを見ると、門人たちは鍋をかぶったり、まな板を胴に巻いたりして寝ていたという。決死の覚悟をした門人たちであったが、いざその時になるとなかなか平気ではいられなかったのだろう、と、鉄舟は笑って話したと言うが、ポイントはそこだろうか。

 夜襲と聞いて、丸腰で寝ていたらしい鉄舟の豪胆はいまさら言うまでもないことだが、門人たちにしても、鍋こそかぶっていたとはいえ、「眠っていた」というのだから、よほどの胆力ではあるまいか。いつ襲撃されるか分からないという状態では、気になって絶対に眠れないと思う。たぶん、ぼくだったら、鍋をかぶって起きていただろう。

 いや、運よく門人の列に加わっていたとしても、師匠に逃げてよい、といわれて逃げ出したという一人は、恐らくぼくだったに違いない。

  風海

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ものすごいひと

 先日、ふとおもいたって小倉鉄樹『おれの師匠』(島津書房刊)を読み始めた。おれの師匠、とは山岡鉄舟(1836-88)のことである。幕末、清河八郎らとともに幕府浪士隊を組織して、尊王攘夷運動を盛り上げ、また西郷隆盛と勝海舟による江戸無血開城会談に先立ち、西郷との間に了解を取り付けたのが鉄舟である。

 著者、というか談話の口述者小倉鉄樹(1865-1944)は、越後の人。二松学舎に学んで漢学を修めたのち、軍人たらんとして士官学校を受験するが、身長が足らず不合格となる。明治14年、鉄舟門下に入って春風館道場にて三年立ち切り(道場で座ることなく、誰彼となく相手をする修行)、京都の八幡円福寺で三年参禅といった荒行を重ねる。そのご明治45年、中野に一九会道場を建て、みそぎの修行を主催する。一九会というのは、山岡鉄舟の命日七月十九日にちなんだのである。

 一九会道場におけるみそぎの修行の詳細はほかに譲るが、ともかく山岡鉄舟という人は桁外れの傑物であった。はじめ剣を学び、その上達のために始めた禅でも允可を受けるまでになり、剣禅一如の極意に達して、無刀流の一流を開く。ひと睨みすると、棟のネズミが落ちてきた、という彼の剣は無論「鬼鉄」と仇名を取ったほどの腕前であり、禅の方でも並みいる師家を感服せしめるだけの得力があったという。

 具体的にどのくらいすごい人であったかというと、ある日尊王攘夷派の人士数人で酒宴を開いていたとき、胃の悪い鉄舟さんはビールを飲んでいた。すると大草多起次郎という人物が、異国の酒を飲むとはけしからんとばかり、「我は大草にあらず、天誅なり」と叫んで殴りかかった。鉄舟さんは「天誅なら受けよう、お気に召すまで殴れ」といって、頭を差し出し、目鼻が分からなくなるまで、ぼろんちょに殴らせた。

 またある日、友人がゆで卵は十個も食べられないというのを聞いて、「五十や百などわけない」とうそぶいた。友人が本当に百個のゆで卵を用意すると、それは相当の嵩で、さすがに不安になったが、後へは退かない人で、塩をつけて食べ始めた。それが次第に喉を通らなくなるが、「なんの、こればかり」といって、しまいには丸呑みしてともかく百個平らげたという。しかし、直後に便所へ行って吐き戻し、家に帰ってからも三日間吐き続けたという。

 とまあ、これくらいすごい人であった。『おれの師匠』には、もちろん偉人としての側面や、聖人と思えるような業績も載せられているが、まずはこの逸話を読んで、ぼくは鉄舟が真にものすごい人であったと得心したのであった。

    風海

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ZAZ、軽快なシャンソン

 過日、友人エス氏とエヌ市で一杯飲んだ折(注1:飲んだのはコーヒーだった)、大型商業施設NG(注2:通称「デンズ」)へ行き、CD屋さんに立ち寄った。エス氏が気になる歌手がいるということで、そのアルバムを探しに行ったのである。

 誰だか訪いてみると、「ZAZ(ザーズと発音する)」だという。その名はぼくも聞いたことがあった。クラシックの教養を身に付けた後、何を思ったか流行歌に転じ、パリの町で辻歌いをしていたのを見出されたという。その歌声が、故エディット・ピアフにそっくりだというので、最近とみに評判をとっているらしい。そういう情報は得ていたから興味はあった。

 ところで、ぼくは歌は流行歌なら、あまりノタっとしたのは好きじゃない。CD屋で、近くの棚にシャキーラが置いてあり、シャキーラならこの数年来愛聴している。その歌は声をひっくり返して激しく叫ぶように歌い、テンポは速くてビートが効いている。こういうのを、四股をするときなどにかけていると、リズムに身体を動かされる感じがして、心地よいのである。 

 しかるに、シャンソンというのは、大体しっとりした曲調が多いような印象であった。エディット・ピアフも、持ち歌は速いテンポのものは少ないように思う。「パダン」等は早い方だが(映画『エディット・ピアフ』で、体調を崩したピアフがオーケストラを前にして、「パダン」を歌い始めた途端、バタンと倒れてしまったのは、エスプリの利いた場面であった)、どっちかといえば哀調のまさった、ハスキーな声を存分に利用したような歌が多かったように思われる。

 だから、ピアフの再来と言われるザーズも、そういった曲を歌っているのだとばかり思って、購入を躊躇し、シャキーラなら間違いはないだろうと判断して、こちらを買ってしまったのである。エス氏は、シャンソンはしっとりしたものだから、そういうのがいいと言って、所期の目的通り、ザーズのアルバム『モンマルトルからのラブレター』を購入していた。

 その後少し経って、何となくザーズのことが気になり始めた。理由もなく、そのCDのことが思い浮かび、なんだか買わなくてはいけないような気がしてきたのである。こういう予感には従っておいた方が後悔しなくて済むと思って、先日思いきって再びCD屋を訪れた。

 家に帰ってかけてみると、はじめ澄み切ったオルゴールの音がして、そのあと、急にテンポの速いメロディーが流れ始めた。その曲は完全にぼく好みの歌であり、アルバム全体を通じて不満に思うような歌は全くなかった。ぼくは大いに喜んだ。しかし、逆にしっとりした曲の方が少なくて、エス氏はがっかりしたのではないかと、今少しく心配しているのである。

       風海

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六甲にて

 先日、六甲山にある別荘に招かれた。そこは絶景の望める山上の邸宅であった。これまでぼくは神戸の景観は、神戸大学にある額縁校舎からの眺めがいいと思っていたが、別荘からの眺めはそれを優に超えていた。次元が違っていた。

 その御屋敷の素晴らしい眺めのテラスにて、空味さんのご友人方が、結婚祝賀パーティーを催して下さったのである。詳細は空味さんが前項の記事でレポートしているのでここには書かないが、あまりの歓待ぶりに驚ろかされた。
 
 はじめ空味さんの口ぶりでは、友人が集まって昼食を、というような簡単な感じであった。初めての人々に会うのは緊張するが、簡単な昼食会ならそれほど気を遣わなくてもいいか、と思っていた。また、YOUMAママさん(空味さんによる呼称)が小学生の男の子をつれてくるということだったので、その子と遊んでもらえば、みんなが話している邪魔をせずに済むだろう。ところが、行ってみると「メインゲスト」と呼ばれ、高級レストランに招かれたような雰囲気と料理の数々に、集まった方々の心温かな歓迎が加わって、ぼくはほとんど面喰ってしまった。

 生来貧乏性で、何かしてもらうのに慣れていないせいだろうか。ありがたいという気持ちをどう表現したものか分からず、ほぼ自分を見失っていたようであった。その慌てぶりは、スピーチを、と言われたときに頂点を迎えた。

 あのような場に招かれて、ありがたい心づくしを受けた場合、まずはそのことに満腔の謝意を示すべきであり、一つひとつ感動した点をお伝えするのが義務である。しかるに、ぼくは自分の口下手なのを宣伝するだけで終わってしまった。

 <ぼくは口下手でお礼を上手く言えなくてすみません。この口下手は、ほとんど奥義を極めたようなもので、大学で授業をしていると、学生がどんどん帰っていきます。この間は、教壇の目の前を通って帰っていく学生までがおりました。その学生に「お忙しいようだね」と声をかけましたが、見事に無視されました。>

 などということを言ったのである。何のスピーチだか、わかりゃしない。本当は、こう言うべきだった。

 <このたびはお招きいただき、ありがとうございます。新参の私を皆さまの輪に加えていただくことができて、大変うれしく思いました。そして、お心のこもったおもてなしの数々に、感動の連続でした。小心者ですから、何もせず座っていることに耐えがたく、「メインゲストは動かなくていいです」と言われるたびに、私の心臓は縮みあがっておりました。そうまでしていただける資格が私にあるかどうかはともかく、空味さんと皆様の美しい友情のおこぼれを今日いただくことができて、本当によかったと思います。これからも、変わらぬご厚誼をいただければ幸いに存じます。>

 すべて後知恵であるが、言わないよりも言ったほうがいいと思って、この場を借りて載せてみました。GAY'Sさんご夫妻、ニャーリーさんご夫妻、UTAさん、YOUMAママさん、改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

     風海 拝
 
 PS:いただいたマッサージクッションは、私のほうが喜んでおります。自分では手が届かないところも多いので。
 
 

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春の慶事 -Good News-

心地よい天気と新緑のなか、高校時代の親友たちが六甲山でお祝いのパーティーを開いてくれました。

キッシーモ家の別荘=焼肉という記憶が定着していたので、今回もてっきり鉄板ジュージューtaurusという趣向かと思っていたのですが大いなる勘違いでした。
サプライズ・パーティーと言っていいぐらいの素敵な演出。そして皆さんの温かいお心遣いに空味・風海ともども感激しました。

ホントのところは、私たちがお披露目会にご招待すべきなのに、会場をはじめ、お料理・音楽・プレゼントetc.最高のパーティーを創っていただいて、この場を借りて改めてお礼申し上げます♪

悪代官を演じればアカデミー級の私ですが、主役で、しかも高砂に座るのは初めてのこと。何だか「ふわふわ」として宙に舞い上がるかんじでした。

それもそのはず。
グッチ氏ご尊父の、ノーリオ・キッシーモ邸は六甲山上。ニャーリー氏曰く、「韓国ドラマに出てくる豪邸」のイメージ。しかも、青く晴れ渡った空の下、神戸の街、海、山の緑が広がる風景です。

Rokko_2

また、グッチ主人の心のこもったお料理。厳選された素材をそろえてくださったことは言うまでもありませんが、焼き加減&風味がよく、堪能しました。それに加えて、グッチ夫人が披露宴さながらのメニューリストを作成。これには心憎い仕掛けがありまして、なんと、「風」「海」「空」「味」の文字が隠れているのです(写真下)。

Menu_2

ほかにも、ケーキ入刀、ファースト・バイトといったつきものの演目を用意していただき、披露宴をやらない私(たち?)にとっては本当に嬉しいプレゼントでした。

旧交を温め、また新しい出会いを喜び、人生の宝を再確認したパーティーになりました。
グッチ夫妻、ニャーリー夫妻、ユウママさん、タクママさん本当にありがとう happy01

   空味

Kumufum

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