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2011年4月

春の椿事

 このごろ少し変である。
 山口つとむ君が、ではない。

 なにがどう、とはっきり言えるわけではないが、強いて言うならばこの空間の具合がである。感じ始めたのは、あの震災以来だと思う。まあ、あれほどの災害があったのだから、「何か変」どころではないのかもしれない。それにしても、この春の空間組成というか宇宙の肌合いは、なじみが薄い感じなのだ。

 私事にわたるが、ぼくはぎっくり腰に続いて風邪をひいてしまった。先日高野山へ行った折、山上がやけに寒く、奥の院の墓地で、お江さんのお墓に詣でた際、前の石の鳥居をくぐって高野山最大という五輪塔を見上げた瞬間、肩甲骨の間に何かの感じを覚えたのだ。

 この感覚は、数年前、友人と川遊びをしていて感じた感覚にそっくりで、その時翌日にひどい風邪をひいたから、今回ももしやと覚悟していたら、案の定引き込んでしまったのである。

 ぼくは風邪をひいてもあまり熱が出ることはなく、これまで38度5分くらいが最高であったが、今回に限って39度を超え、しかもそれが丸二日続くという、自分のなかでは「未曾有」の寝込み方をしてしまった。

 本当は、だからどう、と、ここで簡単に丸めてしまってはよくないのかもしれない。とはいえ、こういう事例を幾度か体験していると、どうもこの春の肌合いはいつもと違う、と考えざるを得ないのだ。とはいえ、ぼくは「困った話」を書いているわけではない。そうではなく、この春の椿事をどう解釈するか、という回答案を書こうとしているのである。

 ぼくは今こそ物事をプラスに解釈する「言語論的転回力」を試される時ではないか、と感じる。だから、これこれの目にあった、と書いているということは、これからその「反転」がおこって、そこでマイナスに流れただけの同じパワーで、プラスの事象がおこるのだ、ということを主張しているということである。

 最近、「言霊」が現実化してきている。今のこの状況をうまく使って、楽しくて素敵な「現実」を創造していこうと思う。ぼくはこのごろ頓に、そういうことをする人こそが、真のクリエイターなのだと思うようになってきた。

          風海

 

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引っ越しとぎっくり腰

 ここ一両年、ずっと掃除とか引っ越しをしている。

 実家がリフォームするというので、自分の住んでいるアパートの片づけを何気なく始めたところ、やましたひでこさんの『断捨離のすすめ』という本を読み、掃除に拍車がかかった。はじめは、ちょっと見た目が良くなればというくらいだったが、本格的に大掃除となり、蔵書も三分の一くらい売るか捨てるかした。2010年の一月後半から二月にかけてである。

 その作業が終わったら、三月に実家のリフォームが始まり、母屋から離れへの引っ越し作業を手伝い、さらにそこから再び母屋へ戻る引っ越しとついでに大掃除が夏に行われた。箱を運んだり、車庫の中を整理したり、ともかく三人分くらいの引っ越し作業であった。

 そうして、満を持して今年の三月二十六日、自分の引っ越しがやってきた。さる事情で長年住んでいたS市はB・K公園の近くから、N市のS川沿いの桜の名所へ引っ越したのである。引っ越しや掃除などについては、だからもういっぱしの経験者であり、何の憂いもないと思っていた。

 ところが、伏兵は思わぬところにいたのである。
 ぎっくり腰である。

 引越す前に、九州某所に住む友人とメイルのやり取りをしていて、彼から、

 「腰などを痛めないように気を付けてください」

 と、忠告されていた。しかし、彼もそのすぐ後に、「ま、大丈夫だろうけどね」と、軽く流していたことだし、自分でもまさかこの時期にそうなるとは思ってもいなかった。

 忘れもしない三月二十二日。一度温かくなって寒の戻り、強烈に寒かった日に、先輩の某氏のうちで漢文を読んだのである。それも十時間近く、ほとんど動かずにやっていて、その時はよかったのだが、体は相当冷えていたのだろう。帰って上着をハンガーにかけようとしたとき、思わずくしゃみが出た拍子に、腰から背中にかけて冷たい激痛が走ったのである。

 ぎっくり腰のような腰痛は何度か経験があるが、今回はかなりひどかったようで、はじめて腰が抜けて立てない、という経験をした。一度座ると、心は立とうとし、足のつま先には意識が通るのに、腰と大腿部辺りにまったく力が入らず、どうやっても立ち上がれないのである。

 あれには参った。歩くのもそのほかの作業も、スロー再生のようにしか行えず、引っ越し当日までにやらねばならない残りの箱詰めなどを考えると、気が遠くなるようであった。

 ともあれ、無事に引っ越すことができ、本の詰まった五六十箱もの段ボールの山脈も取り片付けることができた。大きな変化があるときには何かしらアクシデントめいたものが付きまとうものであるが、今回はかなりすれすれであったと思う。まあ、この強烈な厄落としのおかげで、新生活の出発が祝福されたと思えばいいのである。

       風海

 

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