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おかげ参りの記①

 伊勢参りに行くことができた。晴れて念願かなって、と言う次第だが、お伊勢さんに行きたいなと思いはじめたのは去年の暮れくらいからだから、望みの叶うのが速かった。速ければいいというものではあるまいが、ともかくも、行って帰ることが出来たのはめでたいと思う。お招きくださった天照太御神様に御礼を申し上げたい。

 昔は約六十年に一度のおかげ参りブームがあって、その時に丁稚や奉公人が柄杓を帯にさして「抜け参り」をすることができ、道中の食料やわらじなど全て施してもらえるということであった。ありがたい話である。これくらい「おかげさま」を実感できることも、ちょっとなかろうと思う。昔はいいシステムがあったものだ。

 詣でたのは、2月2日と3日の二日間である。今年は旧正月が3日になっており、大晦日元日とおまいりしようと思ったのである。参詣は、一応定めに従って外宮‐内宮という順序で行なった。

 伊勢参りを、なぜ「おかげ参り」というのか。知ってるようで知らない薀蓄。おかげ横丁でお会いした五十鈴塾塾長の矢野憲一先生によると、内宮では、分け隔てなくこの世を照らしてくれるお日様、天照太御神の「おかげ」に感謝し、下宮では、食べ物というエネルギーを与えてくださる豊受太御神の「おかげ」に感謝するというところから、「おかげ参り」の名がついたそうである。お参りをするのに、「おかげ」というのは、お伊勢さんだけのことである。

 矢野先生にお会いしたのは、ほんの偶然だった。地図を見るとあちこちに「○○の世古」という字が書いてあり、こりゃどういうことかしら、と思っていたので、「五十鈴塾」なるところへ行けば教えてもらえそうだということで、実際に行って事務の女性に尋ねたのである。

 答えは「路地」ということだった。しかし、ぼくはいつも一言余計なことを言ってしまう性分で、今回も「世古、というのは、(狭いという意味から派生した)『セコい』からきてるんですか」と訊いてしまったのである。するとその人は手に負えないやつが来たと直感されたのか、即座に「塾長~」と奥へ呼ばわった。

 出てきたのが、七十才くらいのおじさんで、それが矢野先生だった。先生は手にスクラップブックを持っていた。そこにはかつて先生が書かれた新聞記事が貼り付けてあり、そこで「世古」について講義していただいたのである。世古は京、大阪で小路、江戸で横丁というもので、幅が荷車の通れる一間程度、長さが百メートル以内で、向こうに通り抜けできる小さい道、というのがその定義だそうである。

 伊勢には世古が多いというのは江戸時代には有名で、ある伊勢人が船で漂流して朝鮮に流れ着いた。その地で取調べやなんかがあって、その後、家に手紙を出していいということになるのだが、この人は字をあまり知らなかったようで、あて先に「○○世古」とだけ書いた。この手紙が長崎に着いて、長崎奉行が思案の末、「伊勢には世古が多いから、大方伊勢であろう」といって転送し、その手紙は無事に着いたのだった。

 これが矢野先生から伺ったお話の概略である。少々長くなったので、参詣についてはまた後日……。

   風海

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