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親族の陰は涼しい―おかげ参りの記②

 伊勢では外宮、内宮のほか伊雑宮と倭姫神社へお参りした(朝熊山の金剛証寺へは行かなかったが、「伊勢に参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り」という歌があるのを後で思い出した。行くべきだったかと思ったが、後の祭りである)。

 神社というのは大体清々しいところが多いものだが、やはり伊勢神宮は格別だったと思う。もっとも、清々しい、というよりも、ぼくにとっては「涼しい」と言ったほうがしっくりくるような気がする。それには、お釈迦さまがコーサラ国の軍隊が故郷釈迦国へ進軍しているのを見て、その道すがらの木の下で瞑想をして、進軍を三度止めたという話があるのだが、その時に「どうしてそこで座禅しているのか」と問われ、「親族の陰は涼しいから」と答えられたという逸話が、遠い反映として響いているのである。

 その場所にある神氣としか形容できないある感じが、伊勢神宮の場合非常に気持ちがよく、涼しいものだったと思う。また、どこかよその家にお呼ばれした時のような、ちょっとした居心地の悪さが全くなく、非常に安心してリラックスできる場所であるようにも感じられた。
 余談になるが、ぼくはうちに帰って昼寝をしていて、寝入りばなの意識が遠のきかけるとき、いつも奥の部屋の誰かがいるような気配を感じていた。これまであまり気にとめていなかったが、これは確かに誰かがいるのだと思う。
 恐らくご先祖様のどなたかが、奥の部屋で何かをされているのであろう。その気配というのが、自分のおばあちゃんやおじいちゃんがそこにいたときのような感じなので、全く安心できるのである。やはり、家族はその固有の振動数というものがあり、それが似ているのだろう。会ったこともないご先祖様でも、振動数は変わらないのである。

 そこから翻って考えると、天照太御神さまは、先祖の先祖の先祖・・・(以下略)であって、親神様と言ってもいい(@黒住宗忠)。
 その、ご先祖さまのおうちへ行っているのだから、気分良くリラックスできて当然なのだ、と言っても失礼には当たらないのではないだろうか。
 できれば、これからもちょくちょくお会いしに行きたいものである。

   風海

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