« 親族の陰は涼しい―おかげ参りの記② | トップページ | 引っ越しとぎっくり腰 »

アラビアン・ナイト

 この頃新刊書を買い控えていて、書棚の本を引っ張り出すことが多い。幸い積ん読本がたくさんあるから読むものには不自由しない、はずなのだが、読まずに置いておいたのにはやっぱりそれなりの理由があって、難しすぎたり気分に合わなかったりで、どれを読むかの選択には苦労する。

 こういうとき、たまに天啓がひらめいて、これだという本が見つかることがあるが、先日も本棚の奥から『千夜一夜物語』(ちくま文庫、全11巻)を発掘した。院生のとき、ブックオフで買っておいたのである。ずっと気にはなっていたが、あまりにも長大なので取りかかるきっかけがつかめないまま、月日が過ぎていた。

 これを手に取って、今がその時だ、と直感した。
 読み始めてみると、思った以上に面白かった。エログロナンセンスが混ざり合い、波乱万丈の不思議の世界がこれでもかと展開していく。

 これは語りの原点でもあると思う。まず、シャーリヤル王に対してシャーラザッドが物語るお話という形で始まり、その中の登場人物が、「実は私が体験した(耳にした)これこれの話では・・・」という具合に、別の話が挿入され、その中でもまたほかの登場人物が全く違う話を始めるといった具合に、何重にも重なった入れ子構造になっていて、うっかりすると元の話を忘れてしまう。

 辻講釈とか、囲炉裏端の昔話といったものは、こういう風にあちこち飛んだりしながら、ゆっくりと物語の円環が形作られていくのだろう。

 『千夜一夜物語』というと、大体アラジンの魔法のランプとか、シンドバッドの冒険とか、少年読物で断片的に紹介されているものしか知らなかった。しかし、この度読み始めて、『三銃士』とか『指輪物語』なんかにも負けないくらいの、面白い物語の連続で、これはやっぱりすべて読みとおさない手はないと感じたのである(バカ長いから気楽に進めるしかないいが)。

 そのほか氣づいたのは、話自体の面白さとともに、読んでいて情景が鮮明に浮かんできて、下手な映画よりも映像的だということである。もっとも、中に頻繁に出てくる詩は訳者の趣味なのか、奇妙な文語文になっていて、古典文法でも現代文法でも意味が取れないところが散見され、その珍妙さに閉口することもしばしばだった。ぼくだったら、現代語でリズムにだけ気をつけて訳すがなあ、と残念に思う。

 しかしともあれ、後しばらくはアラビアン・ナイトの不思議な世界に浸っていられるかと思うと、そんな瑕疵に目くじら立てることもないだろう。そろそろ潜在意識に入ってきて、魔神の夢を見そうである。

    風海

 

|
|

« 親族の陰は涼しい―おかげ参りの記② | トップページ | 引っ越しとぎっくり腰 »

宇則齋志林」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1321750/38991482

この記事へのトラックバック一覧です: アラビアン・ナイト:

« 親族の陰は涼しい―おかげ参りの記② | トップページ | 引っ越しとぎっくり腰 »