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2011年2月

アラビアン・ナイト

 この頃新刊書を買い控えていて、書棚の本を引っ張り出すことが多い。幸い積ん読本がたくさんあるから読むものには不自由しない、はずなのだが、読まずに置いておいたのにはやっぱりそれなりの理由があって、難しすぎたり気分に合わなかったりで、どれを読むかの選択には苦労する。

 こういうとき、たまに天啓がひらめいて、これだという本が見つかることがあるが、先日も本棚の奥から『千夜一夜物語』(ちくま文庫、全11巻)を発掘した。院生のとき、ブックオフで買っておいたのである。ずっと気にはなっていたが、あまりにも長大なので取りかかるきっかけがつかめないまま、月日が過ぎていた。

 これを手に取って、今がその時だ、と直感した。
 読み始めてみると、思った以上に面白かった。エログロナンセンスが混ざり合い、波乱万丈の不思議の世界がこれでもかと展開していく。

 これは語りの原点でもあると思う。まず、シャーリヤル王に対してシャーラザッドが物語るお話という形で始まり、その中の登場人物が、「実は私が体験した(耳にした)これこれの話では・・・」という具合に、別の話が挿入され、その中でもまたほかの登場人物が全く違う話を始めるといった具合に、何重にも重なった入れ子構造になっていて、うっかりすると元の話を忘れてしまう。

 辻講釈とか、囲炉裏端の昔話といったものは、こういう風にあちこち飛んだりしながら、ゆっくりと物語の円環が形作られていくのだろう。

 『千夜一夜物語』というと、大体アラジンの魔法のランプとか、シンドバッドの冒険とか、少年読物で断片的に紹介されているものしか知らなかった。しかし、この度読み始めて、『三銃士』とか『指輪物語』なんかにも負けないくらいの、面白い物語の連続で、これはやっぱりすべて読みとおさない手はないと感じたのである(バカ長いから気楽に進めるしかないいが)。

 そのほか氣づいたのは、話自体の面白さとともに、読んでいて情景が鮮明に浮かんできて、下手な映画よりも映像的だということである。もっとも、中に頻繁に出てくる詩は訳者の趣味なのか、奇妙な文語文になっていて、古典文法でも現代文法でも意味が取れないところが散見され、その珍妙さに閉口することもしばしばだった。ぼくだったら、現代語でリズムにだけ気をつけて訳すがなあ、と残念に思う。

 しかしともあれ、後しばらくはアラビアン・ナイトの不思議な世界に浸っていられるかと思うと、そんな瑕疵に目くじら立てることもないだろう。そろそろ潜在意識に入ってきて、魔神の夢を見そうである。

    風海

 

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親族の陰は涼しい―おかげ参りの記②

 伊勢では外宮、内宮のほか伊雑宮と倭姫神社へお参りした(朝熊山の金剛証寺へは行かなかったが、「伊勢に参らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片参り」という歌があるのを後で思い出した。行くべきだったかと思ったが、後の祭りである)。

 神社というのは大体清々しいところが多いものだが、やはり伊勢神宮は格別だったと思う。もっとも、清々しい、というよりも、ぼくにとっては「涼しい」と言ったほうがしっくりくるような気がする。それには、お釈迦さまがコーサラ国の軍隊が故郷釈迦国へ進軍しているのを見て、その道すがらの木の下で瞑想をして、進軍を三度止めたという話があるのだが、その時に「どうしてそこで座禅しているのか」と問われ、「親族の陰は涼しいから」と答えられたという逸話が、遠い反映として響いているのである。

 その場所にある神氣としか形容できないある感じが、伊勢神宮の場合非常に気持ちがよく、涼しいものだったと思う。また、どこかよその家にお呼ばれした時のような、ちょっとした居心地の悪さが全くなく、非常に安心してリラックスできる場所であるようにも感じられた。
 余談になるが、ぼくはうちに帰って昼寝をしていて、寝入りばなの意識が遠のきかけるとき、いつも奥の部屋の誰かがいるような気配を感じていた。これまであまり気にとめていなかったが、これは確かに誰かがいるのだと思う。
 恐らくご先祖様のどなたかが、奥の部屋で何かをされているのであろう。その気配というのが、自分のおばあちゃんやおじいちゃんがそこにいたときのような感じなので、全く安心できるのである。やはり、家族はその固有の振動数というものがあり、それが似ているのだろう。会ったこともないご先祖様でも、振動数は変わらないのである。

 そこから翻って考えると、天照太御神さまは、先祖の先祖の先祖・・・(以下略)であって、親神様と言ってもいい(@黒住宗忠)。
 その、ご先祖さまのおうちへ行っているのだから、気分良くリラックスできて当然なのだ、と言っても失礼には当たらないのではないだろうか。
 できれば、これからもちょくちょくお会いしに行きたいものである。

   風海

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おかげ参りの記①

 伊勢参りに行くことができた。晴れて念願かなって、と言う次第だが、お伊勢さんに行きたいなと思いはじめたのは去年の暮れくらいからだから、望みの叶うのが速かった。速ければいいというものではあるまいが、ともかくも、行って帰ることが出来たのはめでたいと思う。お招きくださった天照太御神様に御礼を申し上げたい。

 昔は約六十年に一度のおかげ参りブームがあって、その時に丁稚や奉公人が柄杓を帯にさして「抜け参り」をすることができ、道中の食料やわらじなど全て施してもらえるということであった。ありがたい話である。これくらい「おかげさま」を実感できることも、ちょっとなかろうと思う。昔はいいシステムがあったものだ。

 詣でたのは、2月2日と3日の二日間である。今年は旧正月が3日になっており、大晦日元日とおまいりしようと思ったのである。参詣は、一応定めに従って外宮‐内宮という順序で行なった。

 伊勢参りを、なぜ「おかげ参り」というのか。知ってるようで知らない薀蓄。おかげ横丁でお会いした五十鈴塾塾長の矢野憲一先生によると、内宮では、分け隔てなくこの世を照らしてくれるお日様、天照太御神の「おかげ」に感謝し、下宮では、食べ物というエネルギーを与えてくださる豊受太御神の「おかげ」に感謝するというところから、「おかげ参り」の名がついたそうである。お参りをするのに、「おかげ」というのは、お伊勢さんだけのことである。

 矢野先生にお会いしたのは、ほんの偶然だった。地図を見るとあちこちに「○○の世古」という字が書いてあり、こりゃどういうことかしら、と思っていたので、「五十鈴塾」なるところへ行けば教えてもらえそうだということで、実際に行って事務の女性に尋ねたのである。

 答えは「路地」ということだった。しかし、ぼくはいつも一言余計なことを言ってしまう性分で、今回も「世古、というのは、(狭いという意味から派生した)『セコい』からきてるんですか」と訊いてしまったのである。するとその人は手に負えないやつが来たと直感されたのか、即座に「塾長~」と奥へ呼ばわった。

 出てきたのが、七十才くらいのおじさんで、それが矢野先生だった。先生は手にスクラップブックを持っていた。そこにはかつて先生が書かれた新聞記事が貼り付けてあり、そこで「世古」について講義していただいたのである。世古は京、大阪で小路、江戸で横丁というもので、幅が荷車の通れる一間程度、長さが百メートル以内で、向こうに通り抜けできる小さい道、というのがその定義だそうである。

 伊勢には世古が多いというのは江戸時代には有名で、ある伊勢人が船で漂流して朝鮮に流れ着いた。その地で取調べやなんかがあって、その後、家に手紙を出していいということになるのだが、この人は字をあまり知らなかったようで、あて先に「○○世古」とだけ書いた。この手紙が長崎に着いて、長崎奉行が思案の末、「伊勢には世古が多いから、大方伊勢であろう」といって転送し、その手紙は無事に着いたのだった。

 これが矢野先生から伺ったお話の概略である。少々長くなったので、参詣についてはまた後日……。

   風海

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