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冬のソーメン

 この頃やけに寒いので、温かい汁物が恋しくなる。街で食べるとなると、蕎麦かうどんかラーメンか。

 蕎麦といえば、以前壇ふみさんのエッセイで(本のタイトルは失念した)、ふみさんがお父さん(檀一雄)とデパートの食堂に行った話を読んだのを思い出した。そのときお父さんは上機嫌で、「何でも好きなものを注文していいから」と言ったそうだが、ふみさんはお父さんの懐具合を心配して、「じゃあ、ざるそば」と言った。すると、檀一雄は聞くや否や烈火のごとく怒りだし、「なんてぜいたくな子でしょう」と、ふみさんの注文に対して不服そうだったという。

 ザルとモリにどのような本質的差異があるのか、ぼくにはわからない。が、「ザル蕎麦はぜいたく」ということだけは、印象的で、深く潜在意識に刷り込まれた。だからかどうか、ぼくは蕎麦屋でザル蕎麦を注文したことがあまりない。というよりも、同じ分量の蕎麦を食べるのなら、汁の分だけ得をしたような気になるから、たいていはカケである(うどんも同じ)。では、ソーメンは、と言われると少し迷う。家庭で食べるときに、ニュウメンが出てくることがまずなかったので(味噌汁に入っていることはよくあった)、その良さがあまりよくわからないのである。

 ぼくの個人的な麺の食べ方の好みはともかくとして、蕎麦屋うどん屋ラーメン屋とあるのに、どうしてソーメン屋というのはないのでしょうか。少なくとも、そういう看板を見かけたことはありませんね。介護の仕事であちこちに付き添いで出かける人に聞いたのだが、奈良の三輪素麺の工場では、出来立てをゆでて食べさせてくれるそうで、それがまことに美味なのだそうである。

 うちで食べるのは大体「揖保の糸」で、あまりブランドにこだわったことはないのだが、「通」に言わせると、産地によって微妙な違いがあるという。江戸時代に書かれた『和漢三才図会』(1712)には、

「備州三原、奥州三春より出るものは細白にして美なり、予州阿州も亦劣らず、和州三輪古くより名物といえども佳ならず」

 とあって、奈良の三輪ソーメンは今ひとつなのだとか。しかし、四十年後に書かれた『日本山海名物図会』(1754)では、

「大和三輪素麺、名物なり。細きこと糸の如し、白きこと雪の如し。ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶ所にあらず」

 と絶賛されており、その間の企業努力による品質改良の跡がうかがわれる。同書によれば、この、品質改良された三輪素麺は大あたりで、大神神社に参詣する人をもてなすのに必ず供されるほどになったという。このことは、高橋隆博『巡歴 大和風物誌』(関西大学出版部、2010)で知った。

 『巡歴 大和風物誌』は、奈良の工芸や伝統行事などを紹介し、確実な現地調査と綿密な文献渉猟によって裏打ちされた、深い蘊蓄がたくさん詰まった、三段重ねのお重のような書物である。年の初めの初読みに、ぼくはうまいおせちに舌鼓を打ちながら一杯やるような気持ちで、この本を読んだ。読んでいるうちに、かつて訪れた奈良の町や田舎の風景が脳裏をよぎり、お寺のたたずまい、神社の杜のにおいなどが思い出されてくる。

 名文とは何か。ぼくはそれをいつも考えている。そして、高橋氏の文章は、その一つの理想型に限りなく近いように思われる。演劇評論家の渡辺保氏が、うまいエッセイの条件を五つ挙げている(丸谷才一『双六で東海道』(文春文庫、2010)解説)。かいつまんで言うと、

 ①ユーモア②上品で洒落ていること③文章がいいこと④話題が次から次へ飛ぶこと⑤オチがきいていること。

 となっている。高橋氏のエッセイは、これらの項目をほぼ満たしていると思う。わざと苦虫をかみつぶしたような顔で世相をうれいてみせるときのたくまざるユーモアと言い、すべてをある着地点へ持っていく構成の妙と言い、全体を包む文化への深い理解と愛着、文化遺産を通じて人と人の心の共鳴を描く語り口のうまさは、いい酒のようにページを繰る手を止めさせない力を持っている。

 また随所に現れる「これは自分の力で成し遂げたのではない。誰それの協力があってはじめて形になったものである」といった表現は、このエッセイ集がそのまま感謝の祈りになっていることを覗わせるものである。扱っているのが奈良という伝統的な宗教都市であることの影響もあるのかもしれない。

 そして、祈りは日本文化を底辺で支える根源的な存在である。件の素麺は、室町時代には七夕のお供えとして梶の葉とともに重要な役割を果たしていたそうで、高橋氏の故郷山形では、お盆にそうめんを供える風習があるという。そして、8月16日の送り盆の日の夕食は、無論のこと素麺であった。ちなみに三輪の手延べ素麺は、初瀬川、巻向川、寺川そして粟原川水系において水車とともに発達したのだという。
 
 「(水車は)明治初期には三〇基を超え、そのほとんどが素麺粉の製造にかかわっていた。三輪素麺の全盛期は、明治の後半から昭和一〇年代ごろまでで、多いときで、約三〇〇戸をかぞえたという。現在、三輪素麺の全国シェアは八%ほどという。極寒の一二月から三月までのきびしい仕事がつづくとはいえ、大和の伝統産業はなお健在である」(112頁)

 なお、高橋氏の談話によれば、現在市場に出回っている素麺のほとんどは韓国産で、
夜中にトラックを駆ってやって来るのだそうである。

 

   風海

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