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涼しい風が吹いてきた

 夙川から西宮北口まで歩いた。最近、よく歩いている。この頃は三四十分歩くのではあまり何も感じなくなっているので、試しにつま先歩きをやってみる。

 ぼくの習っている合氣道のT・S会長が幼少のみぎり、ご母堂と一緒に散歩に出ると、必ずつま先歩きをやらされたそうである。それも、東京の街中を二三キロも歩いたというのである。嫌だというと、ここで死ぬか、続けるかどっちにするか、と本気で詰め寄られたのだそうで、まるでバタン死の行進だが、そのおかげで実力が涵養されたのだと言っておられた。

 小学低学年の男の子にできて、ぼくにできないことはあるまい、と思って、ほんの軽い気持ちでやってみた。やってみたら、どこか悪くなったりするか疲れきってこむら返りになるかするかもしれないと、半ば覚悟していたが、案外なんということもなく、ガーデンズ阪急百貨店の扉をくぐることができた。

 しかし、それでは帰りも同様に、とならないところが凡夫の悲しさである。帰るときには半ばつま先歩きのことは忘れていた。そのかわり、先週に引き続き広田神社に参拝した。

 あの、社殿の前のぽっかりと広がった空間がぼくは好きである。何もないけど、何かある、という感じが非常にしていて、無性にありがたみを感じるのだ。神様は何か願い事をかなえてくれる存在ではない、とはよく言われる。では何なんだ、という疑問を抱く向きもあるだろう。

 ぼくは、その、「何もないけど何かある」という、いわく言い難い「ありがたみ」それ自体ではないかと思う。すくなくとも、その一端はそうだろう。

 先ず本殿天照太神の荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))に向かって礼拝し、次に右手の脇殿に鎮まる住吉大神と八幡大神に合掌。

 そのあと、向かって左側の脇殿に鎮まる武御名方大神、高皇産霊神へ手を合わせた時だった。社殿の方から「涼しい」風が吹いてきたのである。現在季節は冬のど真ん中で、風が吹いてきたら、寒いのだ。ところが、このときの風ばかりは寒いどころか、いつまでも吹かれていたいような、やさしく涼しい風だった。

 こういう感じが、神さまのありがたさであり、その象徴と実在の中間のような形態こそが神さまの存在そのものなのではないだろうか。ともあれ、ぼくは前回に引き続き、非常にすがすがしい気持ちで神社を後にしたのである。

Hirotajinnjya

Yuisho

     風海

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