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2011年1月

涼しい風が吹いてきた

 夙川から西宮北口まで歩いた。最近、よく歩いている。この頃は三四十分歩くのではあまり何も感じなくなっているので、試しにつま先歩きをやってみる。

 ぼくの習っている合氣道のT・S会長が幼少のみぎり、ご母堂と一緒に散歩に出ると、必ずつま先歩きをやらされたそうである。それも、東京の街中を二三キロも歩いたというのである。嫌だというと、ここで死ぬか、続けるかどっちにするか、と本気で詰め寄られたのだそうで、まるでバタン死の行進だが、そのおかげで実力が涵養されたのだと言っておられた。

 小学低学年の男の子にできて、ぼくにできないことはあるまい、と思って、ほんの軽い気持ちでやってみた。やってみたら、どこか悪くなったりするか疲れきってこむら返りになるかするかもしれないと、半ば覚悟していたが、案外なんということもなく、ガーデンズ阪急百貨店の扉をくぐることができた。

 しかし、それでは帰りも同様に、とならないところが凡夫の悲しさである。帰るときには半ばつま先歩きのことは忘れていた。そのかわり、先週に引き続き広田神社に参拝した。

 あの、社殿の前のぽっかりと広がった空間がぼくは好きである。何もないけど、何かある、という感じが非常にしていて、無性にありがたみを感じるのだ。神様は何か願い事をかなえてくれる存在ではない、とはよく言われる。では何なんだ、という疑問を抱く向きもあるだろう。

 ぼくは、その、「何もないけど何かある」という、いわく言い難い「ありがたみ」それ自体ではないかと思う。すくなくとも、その一端はそうだろう。

 先ず本殿天照太神の荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))に向かって礼拝し、次に右手の脇殿に鎮まる住吉大神と八幡大神に合掌。

 そのあと、向かって左側の脇殿に鎮まる武御名方大神、高皇産霊神へ手を合わせた時だった。社殿の方から「涼しい」風が吹いてきたのである。現在季節は冬のど真ん中で、風が吹いてきたら、寒いのだ。ところが、このときの風ばかりは寒いどころか、いつまでも吹かれていたいような、やさしく涼しい風だった。

 こういう感じが、神さまのありがたさであり、その象徴と実在の中間のような形態こそが神さまの存在そのものなのではないだろうか。ともあれ、ぼくは前回に引き続き、非常にすがすがしい気持ちで神社を後にしたのである。

Hirotajinnjya

Yuisho

     風海

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直視できない?

 先日、合氣道関連の某セミナー(呼吸法など)に出席したとき、講師の先生が、

 「みなさん、太陽を見て下さい。氣が出ていれば見られます」

 と、言われた。

 ぼくのならっている合氣道の宗主が、あるところで太陽を見つめる修行をしている行者さんに出会った。行者さんいわく、これは大変難しい修行で、すぐには会得できません、と。そこで、負けず嫌いの宗主は、試しに自分もやってみたところ、いきなり見ることができたそうである。

 ぼくもやってみました。ところが、お日さまの出ている方向に顔を向けただけで、強い光線を浴びて、眼をそらしてしまう。見ようとして見上げながら、心は逃げているという感じが長く続き、こりゃ無理だ、と思いました。おそらく、宗主やセミナーの先生が変態なんだと。だいたい、「太陽と死は直視できない」と言いますから。

 しかし、やってはやめ、ということを繰り返しているうちに、ふと周囲からの刺すような光が消え、うすい紗のようなものがくるくると回りながらかかって、日輪を直接見ることが出来た。
 何か尊いお方の顔を見上げたような氣がして、非常にありがたい氣持ちになったので、ぼくは思わず手を合わせて礼拝したのである。

     風海

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冬のソーメン

 この頃やけに寒いので、温かい汁物が恋しくなる。街で食べるとなると、蕎麦かうどんかラーメンか。

 蕎麦といえば、以前壇ふみさんのエッセイで(本のタイトルは失念した)、ふみさんがお父さん(檀一雄)とデパートの食堂に行った話を読んだのを思い出した。そのときお父さんは上機嫌で、「何でも好きなものを注文していいから」と言ったそうだが、ふみさんはお父さんの懐具合を心配して、「じゃあ、ざるそば」と言った。すると、檀一雄は聞くや否や烈火のごとく怒りだし、「なんてぜいたくな子でしょう」と、ふみさんの注文に対して不服そうだったという。

 ザルとモリにどのような本質的差異があるのか、ぼくにはわからない。が、「ザル蕎麦はぜいたく」ということだけは、印象的で、深く潜在意識に刷り込まれた。だからかどうか、ぼくは蕎麦屋でザル蕎麦を注文したことがあまりない。というよりも、同じ分量の蕎麦を食べるのなら、汁の分だけ得をしたような気になるから、たいていはカケである(うどんも同じ)。では、ソーメンは、と言われると少し迷う。家庭で食べるときに、ニュウメンが出てくることがまずなかったので(味噌汁に入っていることはよくあった)、その良さがあまりよくわからないのである。

 ぼくの個人的な麺の食べ方の好みはともかくとして、蕎麦屋うどん屋ラーメン屋とあるのに、どうしてソーメン屋というのはないのでしょうか。少なくとも、そういう看板を見かけたことはありませんね。介護の仕事であちこちに付き添いで出かける人に聞いたのだが、奈良の三輪素麺の工場では、出来立てをゆでて食べさせてくれるそうで、それがまことに美味なのだそうである。

 うちで食べるのは大体「揖保の糸」で、あまりブランドにこだわったことはないのだが、「通」に言わせると、産地によって微妙な違いがあるという。江戸時代に書かれた『和漢三才図会』(1712)には、

「備州三原、奥州三春より出るものは細白にして美なり、予州阿州も亦劣らず、和州三輪古くより名物といえども佳ならず」

 とあって、奈良の三輪ソーメンは今ひとつなのだとか。しかし、四十年後に書かれた『日本山海名物図会』(1754)では、

「大和三輪素麺、名物なり。細きこと糸の如し、白きこと雪の如し。ゆでてふとらず、全国より出づるさうめんの及ぶ所にあらず」

 と絶賛されており、その間の企業努力による品質改良の跡がうかがわれる。同書によれば、この、品質改良された三輪素麺は大あたりで、大神神社に参詣する人をもてなすのに必ず供されるほどになったという。このことは、高橋隆博『巡歴 大和風物誌』(関西大学出版部、2010)で知った。

 『巡歴 大和風物誌』は、奈良の工芸や伝統行事などを紹介し、確実な現地調査と綿密な文献渉猟によって裏打ちされた、深い蘊蓄がたくさん詰まった、三段重ねのお重のような書物である。年の初めの初読みに、ぼくはうまいおせちに舌鼓を打ちながら一杯やるような気持ちで、この本を読んだ。読んでいるうちに、かつて訪れた奈良の町や田舎の風景が脳裏をよぎり、お寺のたたずまい、神社の杜のにおいなどが思い出されてくる。

 名文とは何か。ぼくはそれをいつも考えている。そして、高橋氏の文章は、その一つの理想型に限りなく近いように思われる。演劇評論家の渡辺保氏が、うまいエッセイの条件を五つ挙げている(丸谷才一『双六で東海道』(文春文庫、2010)解説)。かいつまんで言うと、

 ①ユーモア②上品で洒落ていること③文章がいいこと④話題が次から次へ飛ぶこと⑤オチがきいていること。

 となっている。高橋氏のエッセイは、これらの項目をほぼ満たしていると思う。わざと苦虫をかみつぶしたような顔で世相をうれいてみせるときのたくまざるユーモアと言い、すべてをある着地点へ持っていく構成の妙と言い、全体を包む文化への深い理解と愛着、文化遺産を通じて人と人の心の共鳴を描く語り口のうまさは、いい酒のようにページを繰る手を止めさせない力を持っている。

 また随所に現れる「これは自分の力で成し遂げたのではない。誰それの協力があってはじめて形になったものである」といった表現は、このエッセイ集がそのまま感謝の祈りになっていることを覗わせるものである。扱っているのが奈良という伝統的な宗教都市であることの影響もあるのかもしれない。

 そして、祈りは日本文化を底辺で支える根源的な存在である。件の素麺は、室町時代には七夕のお供えとして梶の葉とともに重要な役割を果たしていたそうで、高橋氏の故郷山形では、お盆にそうめんを供える風習があるという。そして、8月16日の送り盆の日の夕食は、無論のこと素麺であった。ちなみに三輪の手延べ素麺は、初瀬川、巻向川、寺川そして粟原川水系において水車とともに発達したのだという。
 
 「(水車は)明治初期には三〇基を超え、そのほとんどが素麺粉の製造にかかわっていた。三輪素麺の全盛期は、明治の後半から昭和一〇年代ごろまでで、多いときで、約三〇〇戸をかぞえたという。現在、三輪素麺の全国シェアは八%ほどという。極寒の一二月から三月までのきびしい仕事がつづくとはいえ、大和の伝統産業はなお健在である」(112頁)

 なお、高橋氏の談話によれば、現在市場に出回っている素麺のほとんどは韓国産で、
夜中にトラックを駆ってやって来るのだそうである。

 

   風海

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広田神社参拝記

 ふと思い立って、西宮にある広田神社にお参りした。官幣大社で、天照太神の荒魂(あらみたま)が鎮まっているところである。

 一の鳥居をくぐって参道を歩いていると、工事現場にぶつかった。元境内だったらしいところにマンションが立ち並び、参道がところどころわきへ入る車道によって寸断されている。生玉神社も、鳥居から境内までの参道が分断されていたり、周囲にホテルが林立して、宮司さんが怒っていたという話を聞いたことがあるが、都会の神社の宿命なのだろう。

 数百メートル歩いたところで、左手に灯籠が見えてきて、その向こうに巨大なしめ縄の張られた石の鳥居があった。それをくぐると、ぐっと森厳な雰囲気が増してきた。

 そこから少し石段を上ったところの正面に手水舎があり(近づくと自動的に水が出はじめた。どこにセンサーがあるのだろうか)、拝殿は、右手にあった。拝殿まで、街路にある鳥居から二度折れ曲がる形になっている。主祭神は天照太神で、神功皇后との関係が由緒書きに記してある。そのほか住吉大神など四柱が脇に祭られ、本殿の左手には五つの末社が鎮座していた。

 神社は本体そのものが神様だといわれる。拝殿を望むスペースは、それほど広大ではないのに、感覚的に広々としていて、清々しい氣に満ちていた。そこにいるだけで氣持ちがいい。こういう神社はあまりないと思う。

 旧正月にお伊勢参りをしようと思っていたので、この度事前のご挨拶ができてよかったと思う。あるいは、神様が面通しの意味で招いてくださったのかもしれない。

     風海

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北の戎

えべっさん寒波で西宮でも小雪がちらついています。
さて、一月九日、十日、十一日は十日戎が開催されています。
えべっさんと言えば西宮神社のえべっさんが有名です。
今年も祝日と重なっているので、さぞかし大勢の参拝客が訪れているでしょう。
行ってみたい気持ちもありますが、こんな寒空ですし、昨年、あまりの盛況ぶりに参ってしまったので、今年は穴場の十日戎詣りです。

あまり知られていませんが西宮には、えべっさんをお祀りしている神社がもう一か所あります。
西宮神社から三キロほど山手にある越木岩神社です。
越木岩神社がなぜえべっさんと関係するのかというと、江戸時代に西宮・円満寺の僧が西宮神社から勧請して当所にお祀りされたということで、現在では北の戎と呼ばれています。

普段と違って夕方にも関わらず、数人の参詣者が見られます。また境内には福笹販売所や安鯛おみくじなるものがありました。
安鯛みくじは釣竿で鯛の形をしたおみくじを釣り上げるという趣向。さっそく一匹釣りあげましたが、結果はガーン。(ρ_;)

Omikuji_2 Hunsui_2

(左:安鯛みくじ。右:噴水も鯛!)

それはさておき、この越木岩神社。現在では手前の社殿に恵比須様がお祀りされていますが、その奥にご神体の甑岩が鎮座しています。
江戸時代の『摂津名所図会』には、「祭神巨岩にして倚畳甑の如し」とこのご神体が記されています。倚畳(いじょう)とは積み重ねた畳のこと。甑(こしき)は、お米などを蒸すのに使う器具。いわゆる蒸籠(せいろう)です。
同書には山崎宗鑑の「照る日哉 蒸すかと暑き甑岩」という句が掲載されていますが、その様子からは551の蓬莱で豚まんを蒸してる光景が思い出されます。(卑近な例で失礼します。)

Koshikiiwa

私にとっての越木岩神社は日課のウォーキングコース。
九日は、いつもと違って社殿付近は「商売繁盛でササ持ってこい」の音楽が鳴り響く賑やかな雰囲気でしたが、杜のなかの甑岩は静謐な雰囲気を保っていました。

昼でも薄暗い木立のなか、ご神体の上だけはぽっかりと天が開けています。その上空へ、岩の割れ目に生い立った樹木が細い体を伸ばしています。辺りには鳥のさえずりも聞こえ、明らかに空気の流れが違うのがわかります。霊気を身体いっぱい吸い込んで、おみくじの悪運を払い去ることができました。

 空味

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謹賀新年

新年おめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします。

05_3

雪の中の根本大塔

2011_013_2

高野山は大晦日から元日にかけて雪が降り続き60cm程の積雪がありました。
こんなに積もったのは、私の記憶では数十年ぶりです。元日の朝から雪かき作業で新年早々いい運動になりました。

Photo

 上の画像は奥の院にある、某自動車会社の供養碑です。雪の帽子が暖かそうでしょ?

  空味

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