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守・破・離

 昨日風邪をひきそうだったので、四股を踏んでみた。夏前まで大体毎日やっていたが、暑くなって汗をかきすぎるので、休止していたのを、このほど冬に差し掛かるに及んで復活したのである。鼻が詰まっていたのがすっと通り、汗をかいて氣持ちがしゃんとした。

 四股を踏むと、大量に汗をかくのである。ま冬の早朝、起きぬけに火の氣のない部屋で始めて、三十分後には足元に垂れるくらいの大汗になっている。そのご、風呂に行って真水を浴びてもなんともないくらい、体が火照る。デトックスになるのだと思う、多分だが。

 すもーじゃあるまいし、四股なんて、と思うかもしれないが、こういう根っこにつながる鍛錬を面白いと思うかどうかが、稽古が続くかどうかの分かれ目だと思う。合氣道にいって、技の練習をして、投げた投げられた、というのも面白いけれど、自分の体が抜本的に変化してゆくのを観察する方が数段面白い。しまいには、技そのものはどうでもよくなってさえ来る。

 そういう次第だから、ぼくは投げるのが上手くない。受け身はそこそこ。三歩進んで二歩退がる、といった感じである。悪くすれば、二歩進んで三歩退がっているかもしれない。しかし、稽古の本質は、二歩ないし三歩退がるところにあるような氣がするのである。進むだけでなく、敢えて退がってみる、という余裕が必要なのではないか。

 ずっと技を進歩させ続けるわけにはいかない。だからこそ、二歩三歩後退することで、余裕を作り、直線ではなく円環的な時間感覚で練習をする必要があると思う。茶道の用語に「守・破・離」というのがある(これを武道の用語に転化したのは千葉周作)。直線的に進むのには限界があるが、延々と続く「守・破・離」の連続だと思えば、氣が楽である。

 ちなみに一般的な理解として、「守」は型を守る段階、「破」はそれから脱皮するブレイクスルーの時、「離」は次の次元へ離陸するフロー状態のことである。しかし、「破・離」に関して、「破」は自分の形が分からなくなる段階(二歩後退)で、「離」はゲシュタルトが崩壊して離散してしまう段階(三歩後退)であるという見方もできる。その時に初めてもとの「守」へ戻ることの重要性が出てくるのである。

 こうした円環を限りなく繰り返して、地中深く根を張っていくと、いずれは達人の域に達するのではないか、と、少なくともそういう希望だけは持てる点に、この「守・破・離」というシステムの優れた点があるのだと思う。

 とまあ、のーがきたれて、今日も四股をやってはみると、さっきから熱が上がっている感覚があって、計ってみると37℃台であった。なあんだ、四股やっても効かないんじゃないの、と思うのは早計で、熱が上がるのこそがデトックス効果なのである。今日は高熱出して、うんとうなされるとしよう(とこれはやせ我慢)。

    風海

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