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読書の秋

 読書の秋がやってきたとたん、急に本が押し寄せてきた。

 先月からとってあるアントニオ・タブッキ、G・ガルシア=マルケス、N・ギンズブルグ、そして電車の中で読み継いでいる『ミシェル城館の人』に加えて、Y先生から浅田次郎の『中原の虹』『マンチュリアン・リポート』をお借りし、これでは順序がさかさまだからと思って『蒼穹の昴』から読み始めているので、小説漬けになっている感がある。そのほか、内田樹『武道的思考』をはじめ、武道、日本文化系統の本にも目を通さなくてはならないので、なんだか急にアメリカの大学院生のようになってきた。

 今年の五月から書きついで来た共著(ぼくの名前は出ないが)の武道と身体運用に関する論文の続編として、今度は「型」と動感察知力の関係を、フロー状態やスキャン、といった側面から捉える論文の作成にも入りつつある。そのほか、同じ流れから、Y先生の言行をまとめ、合氣道を日本文化として継承してゆくための、笑える啓蒙書『アッホー合氣道』(もしくは『お好み焼きと合氣道』)をも構想中である。

 これらの原稿は別に書かなければ書かなくてもいい、といった種類のものである。ぼくの業績にはならないからだ。自分の生きた証を残そうとするならば、自らの署名で出せる原稿を書くべきかもしれない。しかし、そのためには、いつ発表するとも知れない原稿を黙々と自分のためだけに書き続けるという、負のオーラ漂う精神力を必要とするであろう。そういった暗闇に何かを投げ込むような作業に、ぼくの神経は耐えられない。

 ぼくの生きた証は、ぼくを知る人が生きている限り心にしまっていてくれる「思い出」さえあれば、それでいいと思っている。多くの思い出がそうして保存され、消えていったのだから。後世に影響を及ぼし、万代にまでその名をとどめるというのは憧れではあるが、実感がない。ぼくはこれから頭の冴えてくる秋、冬を迎えて、閉門読書をするだろう。そうして、心に映るよしなしごとではなく、誰かがそれによって幸せになるようなものを書きたい。

 読書の秋の「秋」という字は、「とき(時)」という意味でもある。天の時、地の利があるうちに、馬ではないが教養をつんで精神を肥えさせようと思う。それは、「使い道」のためではなく、まぎれもなくどこまでも持っていける自分の思い出のためである。

         風海

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