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脳を共有する―ジャルダン派集会報告

 先日、福岡からS氏が神戸にやってきて、平成22年度第2回ジャルダン派集会が行われた。朝十時から、A・シマノフ氏と三人で、新神戸の登り口から、布引の滝にゆく。久々に大きな滝をまじかで眺めた(滝を見ると、故・G先生の逸話を思い出す。先生は、滝行が大好きで、見ると入りたくなるのだそうで、ふらっと山に入って、滝に打たれるのだそうである。そのとき、海パンなど持参されるのですか、ときくと、「いや、フリチンですわ」と答えられたそうである)。

 閑話休題。山道を登りながら、三人でいろいろと話をし、さらに三宮に移動して、ハンドルネーム・ヒサ氏とアキヲ君が合流する。ここで、何が話し合われたのかは、さして重要ではない。もっといえば、何を話したかあまり覚えていないのである。しかし、しばし奔流のような知性の交流に身を浸すという快感に酔いしれることができた。ここが実は重要で、対話相手の知性と合流できたとき、初めてその相手と脳を共有できるからである。

 脳を共有してしまえば、自分の考えと相手の考えは一体であり、誰が何を言ったとか、思いついたとか言った、プライオリティーの主張が無効になる。だって、「誰」が何を言ったかではなく、その「場」でなにが言われたかの方が、大切だから。ジャルダン派は、お互いに自我を主張しないことで、結果的に数人分の脳を共有でき、「それ、面白い」と感じた発想やネタを発展させる権利を担保できるのである。

 それは、お互いが相手の知性に対する尊敬を堅持していることの証であり、翻ってそれが自分の自信ともなるという構造をなしているということである。こういう構造がないうちに、他人の着想やネタを使うのは、通常「パクリ」といわれる。ジャルダン派は、脳を共有しているがために、「パクリ」ではなく、「A氏の脳を使って、B氏が思いついたもの」と表現される。この違いは、案外大きいように思う。

 先日、某大学の某先生による新書本が刊行された。そのなかに、ある人物の逸話が書かれているのだが、そこに、ぼくがその某先生のゼミ生である某某氏と、一緒に読んでいた漢文史料が使われていたのである。史料を使うのは自由だが、その史料が、別の史料と明らかに関連する、という「発見」をも自分のものとして発表する態度は、如何なものだろうか。

 その史料は、ある人物が持ち帰った絵画作品集に添えられた序文であった。従来、その序文に出てくる絵画作品集の持ち主「何某君」は、不明の人物とされてきた。それを、某某氏は「何某君」の日記の記事から、絵画作品集との関係を見出したのであった。 

 そのことを、ゼミで発表し、ある研究機関の報告書に書いてしまったのが、某某氏の失敗だった。自分の論文にする前に、情報をすべて開示してしまったのだから。結局、その「発見」は、某先生の手柄として新書というマスメディアに載せられ、天下に流布したのである。

 ぼくは、某先生を非難するものではない。こういう形でネタを採取するしかなくなった、その精神の枯渇を憐れむものである(もっとも、昔からそういう人だった、という噂もあるのだが)。ジャルダン派なら、誰が言っても、それは自分の思いつきである。また、そこまで自己と他者の境界をあいまいにしているが故に、さまざまな神霊が憑依して下さり、精神の枯渇を来す間がないことも、有り難いことである。ぼくは、某先生の所行から、自分の幸せをかみしめたのであった・・・。

(某某さん、ごめんね。天に代わってぼくが謝ります。まあ、もっと別の史料から、もっと面白いことを思いつきましょう)

           風海

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宇則齋志林」カテゴリの記事

コメント

 先日は、たいへん楽しい時間をありがとうございました。私も「脳を共有」させていただいたおかげで、懸案の問題について、良い方向に修正できそうです。
 普段からメイルや電話等で「会話」はできますが、やはり生身の身体を差し出した「会話」のパワーは違いますね。山登り+シンポというのはとてもよかったです。定例にしてもよさそうですね。
 ぜひ近いうちにまたジャルダン派の集会を開催しましょう。機会があれば、福岡での開催も…。

投稿: S | 2010年10月30日 (土) 19時54分

Sさん、こちらこそ愉しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。今読んでいる堀田善衛の『ミシェル城館の人』にも、モンテーニュの考える方法は、「会話」(友人だけでなく、故人をも含む)と指摘されており、われわれのやり方が間違っていないことを確認して、喜んでおります。ただ会って話すだけでなく、山(運動一般)+シンポジウム、という組み合わせは、確かに相性がよさそうですから、ぜひ定例にしましょう。そうなると開催地が毎回同じというのも面白くありませんので、あとは福岡(またはほかの土地)へ行けるだけの余裕を、天地に祈るばかりです。

投稿: 風海 | 2010年11月 3日 (水) 22時04分

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