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2010年10月

呼吸法

 最近、呼吸法の有効性に氣付き始めている。氣の呼吸法を確立した藤平光一先生は、車の中であれどこであれ、暇さえあれば呼吸法をされていたという。それは、単に暇だからという理由ではなく、呼吸法がいいものだから、続けておられたのであろう。

 では、具体的にどういう効果があるのだろうか。呼吸法を十五分以上すると、血中の酸素濃度が何百倍になったとか、吸酸除炭作用がるとか、免疫力が上がるとかといった医学的データがあるそうだ。道場では、呼吸法をした時の「落ち着いたリラックスの心境」を潜在意識に入れるのだ、といった説明がなされることもある。あるいは、横隔膜を上下させる深部筋を鍛えるという意味合いもあるだろう。

 要は、それらすべての総合であり、氣分よく座る(瞑想する)ことに意義があるのだと思う。藤平先生は、呼吸法によって至る境地を「我が天地か、天地が我か」という「至妙境」であると表現される。これは、禅定であるといっても過言ではなかろうと思う。実際興に乗って呼吸法をしていると、いつの間にか呼吸を忘れるという事態が起こる。そのとき、脳波を測ると、おそらくアルファ波かシータ波になっているのだろう。

 そういった、リラックスしているときが、一番いいことを思いつきやすい。また、心身も休まっているときである。そうやって、心と体を作っていくことは、「浩然の氣」を養うことに通じるだろう。それが何の役に立つのか、と近頃の人は尋ねがちだが、一問一答式に何の役に立つ、というものは実はあまり何の役にも立たない。これが何の役に立つのかは分からないが、何かがありそうだ、というものが本当に汎用性の高いツールなのだと思う。

 ともあれ、何かになりたいと思ったら、迷わず呼吸法をしてみるといいのではないか、と考えて、今実行しようとしているところである。

       風海

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脳を共有する―ジャルダン派集会報告

 先日、福岡からS氏が神戸にやってきて、平成22年度第2回ジャルダン派集会が行われた。朝十時から、A・シマノフ氏と三人で、新神戸の登り口から、布引の滝にゆく。久々に大きな滝をまじかで眺めた(滝を見ると、故・G先生の逸話を思い出す。先生は、滝行が大好きで、見ると入りたくなるのだそうで、ふらっと山に入って、滝に打たれるのだそうである。そのとき、海パンなど持参されるのですか、ときくと、「いや、フリチンですわ」と答えられたそうである)。

 閑話休題。山道を登りながら、三人でいろいろと話をし、さらに三宮に移動して、ハンドルネーム・ヒサ氏とアキヲ君が合流する。ここで、何が話し合われたのかは、さして重要ではない。もっといえば、何を話したかあまり覚えていないのである。しかし、しばし奔流のような知性の交流に身を浸すという快感に酔いしれることができた。ここが実は重要で、対話相手の知性と合流できたとき、初めてその相手と脳を共有できるからである。

 脳を共有してしまえば、自分の考えと相手の考えは一体であり、誰が何を言ったとか、思いついたとか言った、プライオリティーの主張が無効になる。だって、「誰」が何を言ったかではなく、その「場」でなにが言われたかの方が、大切だから。ジャルダン派は、お互いに自我を主張しないことで、結果的に数人分の脳を共有でき、「それ、面白い」と感じた発想やネタを発展させる権利を担保できるのである。

 それは、お互いが相手の知性に対する尊敬を堅持していることの証であり、翻ってそれが自分の自信ともなるという構造をなしているということである。こういう構造がないうちに、他人の着想やネタを使うのは、通常「パクリ」といわれる。ジャルダン派は、脳を共有しているがために、「パクリ」ではなく、「A氏の脳を使って、B氏が思いついたもの」と表現される。この違いは、案外大きいように思う。

 先日、某大学の某先生による新書本が刊行された。そのなかに、ある人物の逸話が書かれているのだが、そこに、ぼくがその某先生のゼミ生である某某氏と、一緒に読んでいた漢文史料が使われていたのである。史料を使うのは自由だが、その史料が、別の史料と明らかに関連する、という「発見」をも自分のものとして発表する態度は、如何なものだろうか。

 その史料は、ある人物が持ち帰った絵画作品集に添えられた序文であった。従来、その序文に出てくる絵画作品集の持ち主「何某君」は、不明の人物とされてきた。それを、某某氏は「何某君」の日記の記事から、絵画作品集との関係を見出したのであった。 

 そのことを、ゼミで発表し、ある研究機関の報告書に書いてしまったのが、某某氏の失敗だった。自分の論文にする前に、情報をすべて開示してしまったのだから。結局、その「発見」は、某先生の手柄として新書というマスメディアに載せられ、天下に流布したのである。

 ぼくは、某先生を非難するものではない。こういう形でネタを採取するしかなくなった、その精神の枯渇を憐れむものである(もっとも、昔からそういう人だった、という噂もあるのだが)。ジャルダン派なら、誰が言っても、それは自分の思いつきである。また、そこまで自己と他者の境界をあいまいにしているが故に、さまざまな神霊が憑依して下さり、精神の枯渇を来す間がないことも、有り難いことである。ぼくは、某先生の所行から、自分の幸せをかみしめたのであった・・・。

(某某さん、ごめんね。天に代わってぼくが謝ります。まあ、もっと別の史料から、もっと面白いことを思いつきましょう)

           風海

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ぎっくり腰から生還する方法

 先日来やっていたガーデニング(という名の農作業)の疲れがたまったのか、しばらく腰が重いと思いながら過ごしていたが、ある日の夜、椅子に浅く腰かけて、そり身の姿勢で本を読んでいると、そこから動き出そうとしたとき、腰に激痛が走ってそのまま尻餅をついてしまった。

 その姿勢で読書していたのはほんの十五分ばかりである。しかし、疲れのたまった筋肉が硬直し、断裂するのには十分な時間だったらしい。正直あわてた。このまま起き上がれなくなったらどうしよう、という不安と焦りにとらわれる。後ろに反ることは辛うじてできるが、前屈が全くできない。損傷部分は、腰だけでなく、腹筋にも及んでいるようだった。

 直感的に、このまま安静にしていては治らない、と思った。しかし、動ける範囲は制限されているし、息をしても痛いのである。試みに座って、開脚と合蹠をしてみると、なぜかこれはできた。そこで、動かせる部分を最大限に動かそうという方針を立てて、しつこく開脚をし続けているうちに、腰から背中へかけての張りが緩んでくるのが分かった。そのご、正座して呼吸法を一時間弱ほどやって眠りについたのである。

 翌日も、開脚を中心に身体を動かし、結局前屈が問題なくできるまでに二日かかった。腰痛だけでなく、痛いところがあるときに、そのまま安静にしているより、動かした方が治りが早いという話を聞いてはいたが、今回のことでそれはある程度本当だということが分かった。
 たとえば、腰が本当に一ミリも動かなくなったのであれば、腕や足など動かせるところを動かしてみるといいだろう。腕のストレッチをしつこくやっていると、体は全体としてつながっているのだから、いずれ腰も動くに違いない。

 ぎっくり腰になって稽古も休んで、なんだか損をしたような気がしていたが、実はいろいろな気づきがあり、どちらかと言えば有意義な体験だったのかもしれない。

        風海

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着想など

 悟りを開いていないから(当り前か)だろうか、いろいろなことをつい考えてしまう。その大半というか、ほぼ九分九厘は全く何にもならないことばかりだが、たまにそれを大事に育てたら何かになるんじゃないかと思われるような着想も混じっている。

 ①ギリシャの古いつぼなどの絵や彫刻を見ていて、動いている兵士などの図像で、どうも右手と右足(左手と左足)が同時に出ているように見えるものがある。それって、「ナンバ」(古武術の動き)じゃないだろうか。
 もしそういう身体運動がギリシャにあったとするならば、現在のような体をひねる歩き方はいつどこで始まったのだろうか。あるいはギリシャにはその両方があったのだろうか。古代史を政治史的に見る場合、全く何の役にも立たないが、文化史として見ると案外面白いのではないか、と思った次第。

 ②合氣道開祖の植芝盛平は、門人に「持ち上がらない身体」を説明するのに、「神が私の体に入ったからだ」という説明をしていたそうである。本当かどうかは別として、それは植芝先生の実感であったのだろう。神が入ってくるということは、その分「私」というものが侵食されるということである。神が入ってきた分量だけ、自分がなくなる。
 「持ち上がらない身体」は、「甲(植芝)が乙(門人)に持ち上げさせないようにしている」のではなく、自動詞的に「持ち上がらない」のである。神が云々・・・という説明は、いかに自分をなくすか(禊=身削ぎができるか)ということの重要性を教えたものであったと思う。

 ③昨日の「マチネ・イストリック(水曜会)」において、A・シマノフと祈りの本質について話し合う。上記②の話に関連するが、ジャルダン派はどうやら「憑依」を重要視しているらしい。気に入った文人や学者の本を読む(あるいは本人に会う)ことで、その相手を自分の中に「勧請」する(あるいは憑依していただく)。そうしてはじめて、なめらかで細かい思考ができるようになる、というのがジャルダン派の考え方である。
 だからなるべく「自分」というものがない方がよく、甲、乙、丙といろいろな文人に入ってきていただくと、その集合体としての「自分」が事後的に形成される。そうなったときはじめて「自分のスタイル」と言いうるものができるのだろう。「祈り」とは、だから自分の中に入ってきてくださる方々との対話に他ならないのである。

 と、まあそういうことを考えたり考えさせられたりしていると、少なくとも退屈はしないようだ。また、よき対話相手に恵まれることも、重要だと思う。周りに誰もいないから、というときこそ、本を読むチャンスである。故・山本夏彦翁は「私は死者を差別しない」と言った。「友人」に生死は関係ない。デッド・オア・アライブ、誰とでも仲良くしておけば、いずれ何かいいことがあると思います。

           風海

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ガーデニング

 うちの庭というか、畑はここ数年ずっと放置したままだったので、繁茂したハーブが食い止めているところ以外は、すべて雑草に覆われて、どこかの山の登山口みたいな状況になっていた。それこそ「田園まさに蕪れんとす」という状況で、「帰りなん、いざ」とあいなった。

 畑の総面積は、百平米くらいあるだろうか。すでに作物が植わっているところをのぞくと、約七割が放置されて、草が生い茂っている。ついでにハーブも野生化しており、こうなったらすべて抜いてやろうと思って、クワで耕し始めた。

 すべてを掘り返して、もとの土が見えるまでにするのに、のべ一週間くらいかかった。草があっても構わないと思っていたが、やはり綺麗になると気持ちがいいもので、ついでに、ノウゼンカズラとそのそばの細い木も掘り返して抜いたら、だいぶ眺望が広がった。

 ここまでの作業を終えて、ちょっとゆっくりしようかと思っていると、近所の酒屋のおばあさんがやってきて、「田の稗の穂を摘んでおかないと、来年また生える」などと余計なことを言うものだから、その作業にも取り掛かった。

 うちの田は、無農薬だからと言えば聞こえはいいが、その実無精でほったらかしにしておいたため、やはり雑草の楽園になっており、稲だけがある状況と違って歩きにくいことこの上ない。そのなかで、稗の穂だけを選択的に摘んでいくのだが、この量が半端なものではなく、朝から五時間かかってようやく全体の七割くらいを終えた。

 田んぼに入ってわかったのは、稲の実り方がよろしくないことで、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるが、「頭を垂れ」ているのはむしろ稗の方であった。これではどうしようもない。来年こそは早い段階で草を取って、理想的な稲を育てよう、と毎年この時期になるとそういう話が家族の中から出てくるのである。

             風海

 

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