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カルタヘナのアンヘラ(幻視人の庭 1)

 暑い。ほんとうに暑い。
 到着が正午を回ってからになったのがいけなかった。街は既にシェスタの最中で、どの通りにも人影は見えない。すぐに入れると思っていた考古学博物館までが、シェスタのため閉館中だったのも誤算の一つである。この空っぽの街を、太陽は容赦なく焙りつけ、ぼくは眩暈を起こしそうになるのを辛うじてこらえながら、観光ガイドがやってくるのを待っていた。

 この街の名はカルタヘナという。スペインの地中海岸にある地方都市で、古代地中海沿岸で活躍したフェニキア人の造った街である。ラテン語で「カルタゴ・ノウァ」という。
 本家のカルタゴはもともとチュニジアにあったのだが、第一次ポエニ戦争でローマに敗れたカルタゴの人々がスペインに落ち延び、この地に都市を再建したので、ノウァつまり「新しいカルタゴ」と呼ばれたのだ。

 古代に生きた交易の民フェニキア人は、まったく「合理的」な人々であった。都市を造るために彼らが選んだ土地は、交易にも軍事基地としても便利な位置にある。そのため、国は滅んでも街は残り、再利用されて繁栄を続けた。

 カルタゴ・ノウァも第二次ポエニ戦争の後、一度ローマによる徹底的な破壊を蒙るが、百年後に再建され、カエサルがスペイン進出を行う際の拠点となった。そして、この地の重要度は、ローマ帝国時代を通じて揺るがなかったのである。

 フェニキア人の「合理性」は、理に適った奇想といってもよい。一時城門近くまで攻め寄せて、ローマを恐怖の底にたたき込んだ稀代の名将軍(ファンタジスタ)ハンニバルは、象軍を率いたまま、ピレネーそしてアルプスを越えてローマを直撃するという奇策に出た。ローマ側からすればそれは「ありえない」ことであったかも知れないが、それは彼等の認識不足であり、ハンニバルにとっては、十分に勝算のある合理的な作戦だったに違いないのだ。

 こんな人たちが生きていた場所(都市自体としては幾多の変遷を経てきているが)を見たくて、ぼくはわざわざバルセロナからマラガを経てカディスを目指す旅の予定を一部変更して、カルタヘナにやってきたのである。
 そして、効率よく遺跡や博物館を見学できるよう、普段は頼まない観光ガイドを予約しておいたのだが、おおらかな土地柄の所為かさっきから三十分以上待っているのに、ちっとも姿を現さないのだった。
 ガイド氏もシェスタをとっているのではあるまいか。この暑さだから、それも仕方がないのかも知れない。日本人観光客をたった一人案内するよりも、涼しい室内で眠っている方が、よほど「合理的」なことには違いないのだから。

 しかし、心配があきらめに変わりかけるころ、一台の軽乗用車がぼくの立っている駅前に現れた。ごめんなさい、係の者の手違いで、時間を間違えてしまったみたいで。ドアが開いて、若い女性が出てきた。はっとするほど綺麗な顔立ちである。

 ガイドのアンヘラ・アルメイダです。美しい黒髪を後ろで束ね、爽やかな青いタンクトップに白のホットパンツという出で立ちは、ガイドというよりもリゾート客のように見える。暑かったでしょう、さあ乗ってください。ぼくの荷物をトランクに入れながら、彼女はにこやかに言った。先ずは古代ローマの劇場跡へ行ってみましょうか。

 車が走り始めると、涼しい風が窓から入ってきて、ぼくはようやく生き返った。あたりの街並みは整然としている。
 カルタヘナは現在、大規模なリゾート開発が行われている。道は舗装され、区画を整備して建物が新しくなり、遺跡の発掘修復を行って、観光名所にする、といったことが急ピッチで進められているのだ。海外資本が導入され、外資系のスーパーやホテルが軒を連ね、インフラが整って、街は便利で新しく、きれいな姿に生まれ変わろうとしている。

 でも、わたしはあんまり変化してほしくないんです。とアンヘラは言う。昔は不便で貧しかったかも知れないけど、たたずまいには独特の風情と暖かさがありました。それじゃあ、あなたは開発に反対なんですか。ぼくが訊ねると、うちの父も兄も、街の観光局に勤めているんです、そしてわたしもね。そう言って苦笑した。
 彼女の母方の家系は、ウソかまことかフェニキア人の流れをくんでいるという。だからこの街にはとりわけ愛着があるんです。アンヘラは少しさびしそうな顔をした。資本主義的な、利便性と効率重視の考え方はあまりに現実的すぎて面白くない、と言うのである。

 ぼくは彼女に、あなたがこの街で一番好きな場所に連れて行ってくれませんか、と頼んだ。あら、遺跡を見学するんじゃなかったんですか。アンヘラは車を止めてぼくの方をじっと見た。こちらが気恥ずかしくなるような美人である。ぼくは何気なく彼女の視線を外しながら言った。いいんです、観光地化された遺跡を見るよりも、もっとこの街のよさが分かるところを見ておきたくなったんです。アンヘラはなにも言わずに車を出した。

 しばらく走ると、海が見えてきた。大きな湾が、青い地中海を抱きかかえている。そのあたりの道端で、彼女が車を止めて外へ出たので、ぼくも続いて車を降りた。照りつけるような日射しは変わりなかったが、海からの風がここちよい。

 湾のその場所に立つと、遙か後方にそびえる山々と目の前の海に、この街全体が包み込まれているように感じられた。フェニキア人は、この海を愛していたんです。アンヘラが言った。緑柱石のような色の凪いだ海のきれるところから、透きとおるアクアマリンの空が広がっている。それは、まさにフェニキア人たちの海だった。

ここからの眺めが、わたしは一番好きです。でも、ここにお客さんを案内してきたのは、今日が初めてなんです。アンヘラはそう言った。屈託のない黒い瞳が、生き生きと輝いている。

 ありがとう、何よりもいい思い出になりました。と、ぼくは言った。こちらこそ、久しぶりにこの場所へ来ることができてよかったです。そう答えてアンヘラが差し出した片手を握りながら、ぼくは今夜彼女を夕食に誘ってみようか、とふと思った。もし彼女が、ぼくの申し出に対して「合理的」な判断を下すとしたら……。

 刺すような鋭い日の光のなかで、風が吹くたびに幾つもの宝石が波間に現れては消えてゆく。幸せそうに海を見つめるアンヘラの顔が、ぼくのすぐ近くにあった。

        風海

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