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2010年9月

みちはつづく(幻視人の庭 2)

「みちはつづく~久木朋子版画作品詞書~」

春――

あたりの空氣はまだ肌理(きめ)が粗く、風は東(こち)風、
うかれでるにはちょっと寒いけれども、
歩き出してみました。

道はのぼり、そして下り、
右へ折れ、左へ曲り、
山頂、谷間、深い森、
目路の限りに花畑、
どこまで続いていることか。

歩く、歩く、歩く。
小鳥たちの声を伴奏に、
高山植物が笑っています。
それぞれの形、とりどりの色、
地の底から然(も)えあがる命のありさまを、
めいめいが筒一杯に表現しています。

その合奏に背中を押されて、春の生命を呼吸して、
ゆっくりと力を抜き、
あるく、あるく、あるく、
目の前のみちはつづく

夏――

夏の思い出を、訊ねられて。
流れの速い溪川に、跳ねる小魚見下ろして、
渡る吊り橋、初夏の風。
トチの木に咲く皓(しろ)い花、
瀬音に合奏(あわ)すミソサザイ。

木陰のみちは、はてもなく、
路傍のカエル鳴きやまず、
クマの背分ける夕立の、
向こうにゆれるギンリョウソウ、
ちょっと不思議な素(しろ)い花。

ただひとり、歩きつづけて、
ささやかな、記憶(おもいで)をきざむ。
行きくれて、たたずむことも、
折々に、あったけれども。
それでも何となしにでも、進んできた夏の真ん中を、
貫いて、みちはつづく

秋――

まだ歩いているの、どこまで行くの、ってよく聞かれます。
それでもみちはつづいていますから。
山の景色は刻々と変っていますから。

ごらんなさい。
陽をあびて清澄(きよら)かに輝く黄葉の下で、
熟れた赤い実を啄んでいるのは、
ルリビタキでしょうか。
ついでにぼくもひとつ口にいれたりして。

紅(もみ)の葉散りしく林の中で、
鳴き交わす鹿の遠音がきこえませんか。
その声を秋の悲しさととらえた王朝の歌人(うたびと)に、
あなたは同感なさいませんか。

もう一度、耳をすまして。
こうしている間に、イノシシが追いついて参りました。
えらい鼻息です。
もう少し先へ行ってみましょう。
つるべ落としの秋の日が、わづかな残照として、
みちをてらしているうちに。

冬――

深山(みやま)に暮らすクマも、その友人のヘビと一緒に、どうやら
冬眠の真最中のようです。
林の中にものかげはなく、
ただ梢をわたるカラ風の音だけが、
妙に心を騒がせるテンポで鳴っています。

みちは折からの雪にすっかりうもれて、
見えなくなってしまいました。
夜――。
幸い満天の星と月、
わずかな明かりに目をこらして、
一歩一歩、あるいています。

行くてに見える足あとは、――
ウサギでしょうか。姿は見えません。
降りつもった雪の上にハの字ハの字、
リズム好く伸びています。
その足あとのさしてゆく彼方に、
おそらくぼくの歩くみちはつづく

再び春――

雪がとけ、ふたたび姿をあらわした大地に、ウサギが跳ねています。あの冬の夜に、足あとを残して、ぼくをみちの行手へと誘(いざな)ってくれたウサギでしょうか。

その軽快な身のこなしにつられて、ぼくの心も軽やかになります。ふたたびめぐってきた木の芽時。シダの芽息吹く草はらに、ふと目をとめる花々の香も懐かしい。

ぼくは、ほんのすこし足どりをとめて、笑っている名もない草花の声がすいこまれてゆく青い空をふり仰いで、いたずらな風が吹きぬけてゆく梢の下にいます。

みちはつづく。前途の遼遠(はるけ)さなど問題ではありません。ただ「みちはつづく」という、そのこと自体が、そしてそのみちを歩きつづけていられるという単純なことが、ぼくの心を安らかにしてくれるのでした。

      風海

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カルタヘナのアンヘラ(幻視人の庭 1)

 暑い。ほんとうに暑い。
 到着が正午を回ってからになったのがいけなかった。街は既にシェスタの最中で、どの通りにも人影は見えない。すぐに入れると思っていた考古学博物館までが、シェスタのため閉館中だったのも誤算の一つである。この空っぽの街を、太陽は容赦なく焙りつけ、ぼくは眩暈を起こしそうになるのを辛うじてこらえながら、観光ガイドがやってくるのを待っていた。

 この街の名はカルタヘナという。スペインの地中海岸にある地方都市で、古代地中海沿岸で活躍したフェニキア人の造った街である。ラテン語で「カルタゴ・ノウァ」という。
 本家のカルタゴはもともとチュニジアにあったのだが、第一次ポエニ戦争でローマに敗れたカルタゴの人々がスペインに落ち延び、この地に都市を再建したので、ノウァつまり「新しいカルタゴ」と呼ばれたのだ。

 古代に生きた交易の民フェニキア人は、まったく「合理的」な人々であった。都市を造るために彼らが選んだ土地は、交易にも軍事基地としても便利な位置にある。そのため、国は滅んでも街は残り、再利用されて繁栄を続けた。

 カルタゴ・ノウァも第二次ポエニ戦争の後、一度ローマによる徹底的な破壊を蒙るが、百年後に再建され、カエサルがスペイン進出を行う際の拠点となった。そして、この地の重要度は、ローマ帝国時代を通じて揺るがなかったのである。

 フェニキア人の「合理性」は、理に適った奇想といってもよい。一時城門近くまで攻め寄せて、ローマを恐怖の底にたたき込んだ稀代の名将軍(ファンタジスタ)ハンニバルは、象軍を率いたまま、ピレネーそしてアルプスを越えてローマを直撃するという奇策に出た。ローマ側からすればそれは「ありえない」ことであったかも知れないが、それは彼等の認識不足であり、ハンニバルにとっては、十分に勝算のある合理的な作戦だったに違いないのだ。

 こんな人たちが生きていた場所(都市自体としては幾多の変遷を経てきているが)を見たくて、ぼくはわざわざバルセロナからマラガを経てカディスを目指す旅の予定を一部変更して、カルタヘナにやってきたのである。
 そして、効率よく遺跡や博物館を見学できるよう、普段は頼まない観光ガイドを予約しておいたのだが、おおらかな土地柄の所為かさっきから三十分以上待っているのに、ちっとも姿を現さないのだった。
 ガイド氏もシェスタをとっているのではあるまいか。この暑さだから、それも仕方がないのかも知れない。日本人観光客をたった一人案内するよりも、涼しい室内で眠っている方が、よほど「合理的」なことには違いないのだから。

 しかし、心配があきらめに変わりかけるころ、一台の軽乗用車がぼくの立っている駅前に現れた。ごめんなさい、係の者の手違いで、時間を間違えてしまったみたいで。ドアが開いて、若い女性が出てきた。はっとするほど綺麗な顔立ちである。

 ガイドのアンヘラ・アルメイダです。美しい黒髪を後ろで束ね、爽やかな青いタンクトップに白のホットパンツという出で立ちは、ガイドというよりもリゾート客のように見える。暑かったでしょう、さあ乗ってください。ぼくの荷物をトランクに入れながら、彼女はにこやかに言った。先ずは古代ローマの劇場跡へ行ってみましょうか。

 車が走り始めると、涼しい風が窓から入ってきて、ぼくはようやく生き返った。あたりの街並みは整然としている。
 カルタヘナは現在、大規模なリゾート開発が行われている。道は舗装され、区画を整備して建物が新しくなり、遺跡の発掘修復を行って、観光名所にする、といったことが急ピッチで進められているのだ。海外資本が導入され、外資系のスーパーやホテルが軒を連ね、インフラが整って、街は便利で新しく、きれいな姿に生まれ変わろうとしている。

 でも、わたしはあんまり変化してほしくないんです。とアンヘラは言う。昔は不便で貧しかったかも知れないけど、たたずまいには独特の風情と暖かさがありました。それじゃあ、あなたは開発に反対なんですか。ぼくが訊ねると、うちの父も兄も、街の観光局に勤めているんです、そしてわたしもね。そう言って苦笑した。
 彼女の母方の家系は、ウソかまことかフェニキア人の流れをくんでいるという。だからこの街にはとりわけ愛着があるんです。アンヘラは少しさびしそうな顔をした。資本主義的な、利便性と効率重視の考え方はあまりに現実的すぎて面白くない、と言うのである。

 ぼくは彼女に、あなたがこの街で一番好きな場所に連れて行ってくれませんか、と頼んだ。あら、遺跡を見学するんじゃなかったんですか。アンヘラは車を止めてぼくの方をじっと見た。こちらが気恥ずかしくなるような美人である。ぼくは何気なく彼女の視線を外しながら言った。いいんです、観光地化された遺跡を見るよりも、もっとこの街のよさが分かるところを見ておきたくなったんです。アンヘラはなにも言わずに車を出した。

 しばらく走ると、海が見えてきた。大きな湾が、青い地中海を抱きかかえている。そのあたりの道端で、彼女が車を止めて外へ出たので、ぼくも続いて車を降りた。照りつけるような日射しは変わりなかったが、海からの風がここちよい。

 湾のその場所に立つと、遙か後方にそびえる山々と目の前の海に、この街全体が包み込まれているように感じられた。フェニキア人は、この海を愛していたんです。アンヘラが言った。緑柱石のような色の凪いだ海のきれるところから、透きとおるアクアマリンの空が広がっている。それは、まさにフェニキア人たちの海だった。

ここからの眺めが、わたしは一番好きです。でも、ここにお客さんを案内してきたのは、今日が初めてなんです。アンヘラはそう言った。屈託のない黒い瞳が、生き生きと輝いている。

 ありがとう、何よりもいい思い出になりました。と、ぼくは言った。こちらこそ、久しぶりにこの場所へ来ることができてよかったです。そう答えてアンヘラが差し出した片手を握りながら、ぼくは今夜彼女を夕食に誘ってみようか、とふと思った。もし彼女が、ぼくの申し出に対して「合理的」な判断を下すとしたら……。

 刺すような鋭い日の光のなかで、風が吹くたびに幾つもの宝石が波間に現れては消えてゆく。幸せそうに海を見つめるアンヘラの顔が、ぼくのすぐ近くにあった。

        風海

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「幻視人の庭」にようこそ

 幻視(ヴィジョネール)とは、この世にないものをあたかもあるかのごとく眺めることである。
それをするのが、幻視の人。

 バルザックがそう呼ばれた。

 それはまた、詩的想像力の別名でもあるだろう。壮大な冒険、この世ならぬ美しい世界、幸せなひと時、それを眺めて文字にする。
 幻視人とは、幻に現実性を与える人である。幻を幻のまま人々の眼の前に繰り広げ、一時の夢の世界にいざなう。そういう人に、ぼくはなりたい。

  風海

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借景-風景の共生―

街場の集合住宅に住む身で、自分も批判する権利はないのだが、このマンションの売り文句には驚いた。
「四天王寺を借景とする」マンション。
自邸から隣接する四天王寺の境内が見晴らせるというのである。

四天王寺は一千四百年の歴史をもち、今なお参詣人が絶えることのない大阪の生きた文化遺産である。その境内を南の窓下に望み、周囲もある程度は展望が広がるのだから、都会の真ん中にしては展望はよかろう。でもちょっと傲慢ではないだろうか。

借景とは、簡単にいえば自然に存在する風景を、自分の庭にちょっと拝借するというもの。景観を作り出す造園技法のひとつで、庭園の内側から庭園外部の風景を眺められるように設計する手法である。比叡山を借景とする京都の円通寺や、嵐山を借景とした天龍寺の庭園が世に知られている。

四天王寺は…と言えば、境内の極楽浄土の庭は、近年改装されて一般公開されるようになったようだから、もともと借景を考えて造園されたものでもなく、周辺にはすでに中高層の建築物が見えているので今さらしょうがない。

しかし、ここで問題なのは「四天王寺を借景に」と謳うマンション側が、自分の建ち位置を見ていないことである。まるで、自分さえよければいいと言ってるみたいだ。
居住者から見れば四天王寺は借景になるが、四天王寺の庭から見れば、このマンションが「借景」になってしまう。客観できれば、もしくは境内の庭にたたずんだことがあるなら、こんな謳い文句はおかしいと気づきそうなものだが。

上町台地にある四天王寺や夕陽丘は本来、西に眺望が開けている。江戸時代には、大坂でもトップクラスの料亭が建ち並んだ。ここから大坂湾や美しい夕陽が鑑賞できたからである。さらに平安の昔には、西海に沈む夕陽を観て西方浄土を想う「日想観(にっそうかん)」という修行がおこなわれた。伝説の域を出ないが、空海もここで日想観を行ったという。
でも、前述の物件はマンションにお決まりの全邸南向き。「せっかくこの地に建てるなら、西向きがいいのに」と、精一杯の皮肉を言わせてもらおう。

「建設を止めよ」とは言わないが、せめて四天王寺界隈の風土にあった建築にしてはもらえまいかと思う。

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五重塔から北を眺める

   空味

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本当は 泣きたくないのよ ホトトギス

2回目のサンチャゴ・メンバーの山行きです。
今回は7月30日と同じルートで、バス停の東お多福山口~土樋割~七曲り~六甲山山頂~魚屋道~有馬のコース。有馬では金の湯に入湯する特典プラン付きです。
初参加のアキオ氏に加え、AS氏、風海氏と私の4名の山行きとなりました。

さて、私にとってこのルートは2回目。土樋割までは談笑しながら歩いていたものの、七曲りの登りでバテバテ。体調は万全なはずなのに、何が悪いのか、呼吸が浅くて足も動かない。いつもより汗の量も多い。
楽しそうな中島みゆき談義も聞こえてくるというのに、もはや会話に入る余裕もなく、果ては荷物を持ってもらうことに。

そんな中にも、山腹でAS氏が見つけた花に癒されます。後で親切なハイカーから「ヤマジノホトトギス」であることを教えていただきました。

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この花は、模様が時鳥(ホトトギス)の班紋に似ていることから、その名がついています。
杜鵑草(ホトトギス)はちょうど今の時期に咲いて、秋の季語になっていますが、時鳥は「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」の句が示すように夏鳥。

そういえば、ひと月前には草木が潤ってみえたのに、今回は猛暑のせいもあって、何だか草臥れているよう。
「テッペンカケタカ」と、時鳥の声も聞こえてこない。
今回の山行きはホトトギスは鳴かなかったけど、私は「大ブレーキ」で大いに泣きました。

    空味

Photo_2

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視点と眼そのもの

「その見方いいね、と君が言ったから、四月十日は視点記念日」……

 もう、この手のパロディは、通用しない(ネタも古い)と思いながら、ついやってしまうんですよね。しかし、パロディというものが、創作において正当な地位を得ないままなのは、いささか残念である。ま、それはさておき。

 ここで、いきなり本題めいたものが始まります。
 文化交渉を研究する際、ある文化と文化の接点に注目するという手法がとられることが一般的であるが、それしか対象として認めないというのは、いささか偏狭である。ぼくは、広く外国史を日本人が研究すること自体を、「文化の交渉」と捉えるのはどうだろう、と思う。だって、日本文化の中で育ってきた日本人が、たとえばフランスやスペインの歴史を研究するということは、すでにそこで文化の接触が行われているということだから。

 樺山紘一『カタロニアへの眼』(中公文庫、1990)は、そうした視点に自覚的に書かれた好著だといえる。樺山さんは、ある晴れたヒマな昼下がり、バルセロナの南にあるモンジュイックの丘で、ロマネスク・フレスコを見て、それがミロの「眼」と同じ迫真力を持っていると発見するところから書き起こしている。

 そして、その眼の意味を考え始める。樺山さんは、『カタロニア讃歌』のジョージ・オーウェルやアンドレ・マルローのジャーナリスティックな眼を、結局自分の国に帰ってしまう他者の眼だとして、不満を述べ、「カタロニアという特異な対象にどこまでも肉迫してその特殊性をあきらかにするためには、どのような観察者としての眼が必要か、深刻に考えたい」としている。そうして、「本書でこころみるのは、カタロニアというひとつの地域の社会と文化とをみわたすことである」と抱負を語る。

 では、その樺山さんの眼はどういう眼なのだろう。対象をスペインといった「目の粗い」ものから、精度の細かいものへ移行させる必要があるとして、「四つの眼」を樺山さんは提示する。一つ目は「時間をつらぬく眼」で、これは歴史である。二つ目は「空間を這う眼」で、カタロニアの津々浦々を訪問してガイドするそうな。三つ目は「あるひとつの集落群を細かに観察した記録」で、調査報告だそうである。四つ目は「私の眼」で、眼の国カタロニアにむけた観察者の眼、なのだそうである。

 上の四つのうち、四つ目に「私の眼」と断っているのはなぜだろう。前の三つが「私(樺山さん)の眼」ではなく、客観的な学問の眼によって記述されるから、なのだろうか。ともかく、樺山さんはカタロニアという一地方を研究の対象とし、それを「私の眼」で語ろうとしているのである。

 最近歴史学は文書館などに残る未発表のマニュスクリプトを発掘しそれを使って、なにがしかの研究を行うというのが主流である。それは、まさに対象を限定し、目の粗いものから精度の細かいものへ移行させようというねらいがあるのだろう。しかし、たとえばフランスの地方文書館の史料を用いてなにがしかを言ったとしても、それは「郷土史」なんじゃないかという疑問が常にある。

 それを言うことによって、何を言おうとしているのか。歴史家に限らず、何かものを言おうとする人は、そこに自覚的でなければならないのではあるまいか。いたずらに対象を絞って精度を上げてみても、そこから何を言うのかという大本がなければ、それは何かを言ったことにも、見たことにもならないのではないか。ただの精緻な分析に終わっては、何かを言ったことにはならない。

 視点とは、眼そのものである。眼は口ほどに物を言うのであってみれば、どこに視点を据えるかによって、方向性は自ずと決まってくるだろう。また眼は心の窓である。卑しい視線は、そのまま卑しい心根の証拠となる。だから、何を見ているか、ということは、案外その人の人間性の演出にかかわる、重大な問題なのである。

    風海

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