« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

甲山、あるいはバッタの王国

 初めの予定では、越木岩神社から北山植物園に入り、北山貯水池を回って鷲林寺を詣でて弘法大師を偲び、そこからごろごろ岳を通って再び夙川へ帰ってくるはずだった。ところが植物園のある山の中でずいぶんくたびれてしまい、貯水池に出たとき、さらにそこから二三時間も山道を歩く気がしなかったので、すぐそこに見えている甲山に登って甲陽園の方に帰ろう、ということになった。

 甲山は標高309メートルという、岡のような山である。登山口にある神呪寺(ここもお大師さんのお寺である)からのぼりはじめたところ、山の上までずっと半分舗装された階段状の登山道が続いていた。

 山の舗装路というか、石段というのは、どうしてあんなに登りにくく下りにくいようになっているのだろうか。普通の階段のように一歩で登りきれないし、通常の山道のように融通無碍な登り方もできない。

 とにかく苦労して甲山の頂上へ出た。そこは丸い丘のような広場になっており、草が刈り込まれている。頂上の中心に木がないので、全体が丸まる日干しになっている。雨もなく、草も短いので、そこには何もいないだろうと思ったが、草の上に足を乗せた瞬間、無数のバッタが足元から飛び立ったのである。これには驚いた。ぼくは長いこと甲山はバッタの楽園として記憶にとどめることになるだろう。

 さて、山道をのぼりながら考えた。現在進行中の橋下府政改革は、文化事業を大幅に刈り込んで、学識経験者たちには実に評判が悪い。文化が衰退するというのである。しかし、だよ。そもそも、橋下氏にそういう政策をとらせたのは、府民の総意なのである。とにかくお金があればそれでいい、という民意を受けて、橋下君は一生懸命考えて改革を行っているのだ。だいたい、文化財がどうの、ということをいうのなら、自分の家で一度国宝を預かってみればいい。保管料は国と折半、その代わり破損したら、賠償責任は自分にかかってくるという条件で、それでも国宝をうちに置きたい、という人はいるだろうか。いないだろうと思う。

 橋下氏も、大坂の民意は経済状態の復興にあって、文化の振興ではない、と思うから、めんどくさい博物館などをつぶしてしまえ、と言っているのである。だいたい、「文化」というのは、人々の動きと環境が合い俟って生まれるものであり、残念ながら現代大阪の「文化」は、文化財の保護ではなく、お金がほしいと思う人をたくさん作る方向へ行っているのである。だから、橋下政策は至極妥当なのである。

 だいたい、「文化がどうの」と言っている学識経験者の方々が、自分の研究や文化財の本当の価値を、多くの人に効果的に伝える努力を怠ってきたのではなかったか。企業努力の足りない会社は淘汰される、というのが現代の「文化」である。

 そして、ぼくは文化財というのは、過去の遺物ではなく、現在進行形で文化の形成に役立っているものをこそそう呼ぶべきであり、もっと違う形の文化観があってもいいのではないかと思っている。今日登った山の自然環境というようなものも、大事な「文化」であり、またそういったものを伝承する人々の育成が、「文化事業」であるべきだ。かつての遺産にしがみつくのではなく(破壊する必要はないが)、今生きている人がどうやって生き生きと生活できるか、という方向で考えてもらいたい。

 でもそう言うと、結局「経済状態が好転すればいいのだ」という方へ考えが向いてしまうような気がするので、やっぱり橋下政策はあれよりほかにやり方はなかったのだろうな、といささかさびしい結論をもう一度繰り返さざるを得ないのだ。

         風海

バッタの王国~甲山山頂です~

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

サンチャゴ遥かなり

以下は、友人AS氏の原稿です。先日一緒に行った六甲山の感想で、決して自分で書くのが面倒だから依頼したというわけではないのだが、ぼくは短期記憶をうまく編集できないたちなので(風海)。

「サンチャゴ遥かなり」

 昨日(8月5日)、風海氏、空味氏と六甲山系のお山に登った。芦屋川を出発し、高座の滝から風吹岩をめぐって、岡本に下山するコース。サンチャゴ巡礼のため、身体を慣らしておこうというのが名目だ。長い目で見れば、今日の一歩がサンチャゴにも続いているはず。
 

 しかし、思い知らされた。いかにサンチャゴが遠いかということを。高座の滝からロック・ガーデンまでは暑さがしんどいとはいえ、順調な歩きだし。

 ところが、ロック・ガーデンを過ぎたころから息が切れる。心臓の鼓動が全身に響く。身体全体が脈打つ。 

 風吹岩で一休みして、ようやく落ち着いたと思ったのもつかの間、今度は下り坂で足裏と膝が悲鳴を上げる。眼下に広がる阪神の街並みと瀬戸内海、そして頭上に響き渡る野鳥の歌に心は晴れやかになるものの、足はうめき声を上げ続ける。岡本駅付近でようやく平地に辿りついたときの安堵感は忘れがたい。

 それにしても、自分のノーテンキさにはほとほと呆れ果てた。サンチャゴ巡礼の厳しさを本で読んで知ってるつもりになっていたが、やっぱりどこか物見遊山の気分が濃かったらしい。わずか数キロの山登りで身体が弱音を上げているのに、ピレネーを越えられるわけがない。雨が降り、霧が立ち込める日だってあろう。あるいは肌を焼く炎天や行く手を阻むかのような強風に、足がすくむ日もあるに違いない。今回の山登りで一歩サンチャゴに近づくはずが、逆にサンチャゴが遠のいた気分になった。

 でもその一方で、遠いからこそ思いは募る。辿りつけないかもしれないからこそ、みちゆきに心ひかれる。筋肉痛の臀部をさすりつつ、遥かなるサンチャゴに旅立つ日を今日も夢見る。
              AS

As

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »