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江戸ルネッサンス、もしくは文化財等の「復元」

 ずっと不思議だったことがある。
 史跡とか景観とか、文化財といったようなものを「復元」する、と一般によくいわれるが、どこの時点を「元」として、「復」するのか、分からなかった。

 だって、たとえば法隆寺なら、ざっと千五百年はそこに存在しているんである。平安時代にもあったし、室町時代にも、明治時代にもあった。で、鎌倉時代の様式に戻したら、室町や平安はどうなる、という声がするし、飛鳥時代当時のものがどうだったかは、ほとんどファンタジーの世界だから、「復元」は難しい。

 で、いつだよ「元」って、と思っていたわけだ。

 しばらく忘れていたけれど、このあいだ空味さんと話していて、史跡というものが、江戸時代に認定されるようになった、という話を聞いた。

 それだ、と思ったわけです。

 「史跡」とか、「名所」という概念が生まれ、もしくは定義が確定した時点を、「元」とすれば、すっきりするように思う。もしくは、その概念が生まれたとき、「史跡」のモデルをどの時代に取ったかが分かれば、そこまで戻ってもいい。

 江戸時代は近世市民社会である。それは、十一世紀の中国、十四~十五世紀のイタリア(ドイツ、フランスはもう少し遅れる)が近世市民社会であるのと同じである。そして、それらの時代は、「ルネッサンス」とよばれる。

 それぞれ国も時代も違うけれど、同じようにそう呼ばれるということは、同じ要素があるということである。それは、ひとつは、「史跡」「文化財」などというものがあることに気づき、積極的に保存し、またはそれらに学ぶ建築様式などが生まれる、という点だろう。

 もうひとつは、「文人の時代」、である。文芸文化に関連する人間が、その時代のドミナント・フォームを牽引するグループを形成するわけで、そこからさまざまな技術体系が生まれてくる。イタリア・ルネッサンスはその好例である。無論中国の宋代にも、江戸時代にも当てはまると思う。

 で、現在「史跡の復元」というとき、平安時代や奈良時代はさておき、江戸時代にそうであった姿を復元すればよいのである。とはいえ、発掘された集落のあとや、「平城京」などは、江戸時代にはすでに土の中であったから、ファンタジーを覚悟で「奈良時代」当時を目指すしかないわけであるが。

 まあ、何事にも例外はある、というか反証可能性とか例外があることこそが、「学問」の条件なのだから(記憶違いかもしれないが)。

          風海

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