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研究するとは別の仕方で

 長いこと同じことやっていると、情熱がなくなるんだって。

 特に研究者は、教授になっても初期の情熱を維持するのは難しいそうな。
 山内志朗『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書、2001)にも、「自分にもすでに情熱はない」と書かれている。

 この本は、だから惰性で論文書いている人が、どうにか卒論を書きたいという人へ向けてのアドバイスをするという体裁で書かれているのである。

 ぼくはこの本を、香山リカさんの著書で知って、さっそく買って読んだのだけど、あまり得るところはなかった。論文の、注とか本文の体裁のようなところばかり丁寧に解説してあり、肝心の(とぼくが思うだけか)テーマや書き方そのものは、「オリジナルなんて出さなくていい」とかいって、するりとかわしているんである。

 香山さんが卒論指導していて、テーマも見つけられないし、どう書いていいか分からない、という学生のために、窮余の一策としてこの本を渡すことにしている、というものだから、香山さんは重宝しているようだけれど、ぼくには使いどころのないものだった。

 そして、思ったのは、論文というのはなんという表面的な部分で評価されてしまうのだろうかということだった。いや、中身が肝心、というかもしれないが、それ以前に体裁のところで各学界の指定するフォーマットに則っていなかったら、端から相手にされないのだから、同じことである。

 しかし、書く内容は毎回変わるはずなのに、どうして情熱を失ってしまうのだろうか。ぼくの仮説を提示すれば、先生方がみんな研究をする土壌ができていない、ということだろう。それは、学校のシステムが、ということに表向きなるのだけれど、やはり一人一人の自覚に待つところが大きくて、最大公約数的に見て、情熱を維持する方向へ行っていないというのが現状だろう。

 そういうわけで、詰まらん分析はおいといて、ぼくはぼくなりに、「研究するとは別の仕方で」研究していきたいと思っている。仕事ではないから、情熱がなくなったら、さっさとやめる、という公約つきで。

           風海

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