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自己責任なき山歩きの横行

 電車に乗っていて、『WEDGE』という雑誌の広告が出ているのを見かけたのだが、羽根田治(フリーライター)による「自己責任なき山歩きの横行を許すな 救助費の自己負担を検討せよ」という論文(評論)が掲載されているそうだ。

 中身は読んでない。しかし、タイトルだけで、何が主張されているかは明らかだろう。みんな軽々しく山へ出かけて行って、簡単に遭難し、それで救助隊を出動させすぎる。ちっとは自重させるために、救助費を自己負担にすればいい、という趣旨だろう(違っていたら羽根田さん、ごめんなさい)。

 たしかに、山歩きの人口は大変なもので、救助隊の年間出動費用もばかにはならないものなのだろう。いくら気をつけていても、事故はおこるものである。ぼくの恩師も、奈良のどこかの沢で危うく落命しかけている。安易に山へ行って、それで遭難されてはたまらん、と思うのも当然である。

 しかし、救助費を自己負担にしても、山歩きの人口は減らず、年間出動回数も減らないだろう。第一、自分が事故にあうことを前提に山へ行く人はいない。問題は、事故が起きたときに、「山の管理責任」等を問いかねない人々の心性ではないか。

 自分で滑ってけがをして置いて、山の管理者の責任を追及する(天災を人災と無理に読み替える)人が多いと思う。だから保津川下りも中止になったし、山に不細工な手すりなどが付けられるようになっている。要するになんでも金を要求するという態度がきつくなっているから、何かの管理者は常にピリピリしていなくてはならなくなったのである。

 以前某体育協会が主催するサッカーの試合か何かで、落雷によって生徒が半身不随になり、何億円という賠償を命ぜられて協会自体が解散したという話がある。当事者にしたら、当然の要求なのだろうが、こういうことが度重なると、善意のボランティアが全く機能しなくなる恐れもあるように思う。

 だから、救助費の自己負担ではなく、山の管理責任を問うてはならない、というように主張する方がいいのではあるまいか。その方が管理者は楽だし、自然の破壊も進まなくて済む。

 などということを書いておいて、ぼくは明日山へ行こうとしている。といってもハイキング程度のものであるが、山はどういう姿を見せるか分からないので注意が必要である。せいぜい氣をつけて、救助隊にも病院にも、また裁判所にもお世話にならないようにしたい。一歩一歩が祈りだと考えて、歩きたいと思う。

        風海

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