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ぷちっとした発見

 最近トリビアルでぷちっとした発見(?)をいくつかした。

 その一、「漢帝国における貨幣の意味」。
 詳細は友人のS氏と共同研究することになっているので、簡単に説明する。中心にあるのは、なぜ漢代において人頭税を「銅銭」で支払わなくてはならない、という法律が出来たのか、という疑問である。
 当時の経済は主に物々交換で成り立っており、多くの研究者が指摘するような「貨幣経済」は、成り立っていなかった。貨幣史を研究する方々は、どうしても現代の状況に無意識を絡めとられて、貨幣に相当するものが出てくると、古代においても現代と変わりない貨幣経済があったと錯覚してしまうのだろう。
 それは、『詩経』の時代でも江戸時代でも、「恋」という語が出てくると、現代風の「恋愛」における心の動きがあったと、錯覚してしまうのに似ている。

 それで、ぼくが気づいたのは、貨幣の役割は、「人頭税として収めなくてはならないモノ」であるということである。なんだ、トートロジーじゃないか、といわれそうだが、そこに漢代法制を整えた人々の陰謀が隠されているのである。

 周囲の経済は物々交換である。ところが人民は、人頭税を払う「ためだけ」に銅銭を必要とする。そこに政府の付け目があるので、政府は銅銭鋳造の初期投資だけで、人民から物品や労働力を無限に手に入れることが出来るのである。なぜなら、何かを買うときに等価交換しないで、銅銭で支払うことが可能になり、人民に支払った銅銭はいずれ税金として戻ってくるからである。溜め込んで外に出さないやつがいる場合、「蓄銭叙位令」によって、官位を授けることにしてあるから、年月がかかってもいずれ戻ってくる。

 そうして、そのような税制経済体制が整備されてくると、帝国内部に多くの諸侯王国があることがうるさくなってくる。しかも、呉の国は銅の産地であった。そこで色々な情報操作や圧力をかけるなどして、呉王を中心に反乱を誘発する。これが世に言う「呉楚七国の乱」である。
 経済と国政が絡み合っている証拠に、チョーソというおっさんが、上奏して、色々経済問題などを説いている(『史記』など参照)。そこから、S氏の専攻する国制史の領域に入ってゆく、という寸法。

 その二、「四天王寺聖徳太子像は、なぜ曲尺を持っているのか」。

 曲尺を持っている、という点で共通するのは、中国古代の「フクギとジョカ」という二人の神様である。フクギは、八卦などを作ったとされていて、制度や統治の神様なのだという。そのフクギが象徴的に手に持っているのが曲尺で、これはまた古代の建築技術とも関わっているだろう。

 福永光司先生が聖徳太子がもたらしたのは仏教ではなく道教である、という説を唱えておられるが、そこへとこの話はつながっていく。古代中国の民間宗教であるフクギとジョカの日本版が聖徳太子にくっつけられたのである。では、ジョカに相当するのは何か、といえば、おそらくは「天照大神」だろう。どういうわけか、天照大神は、男のパートナーを持っていない。月読命やスサノオがいることはいるが、どうも迫力に乏しかったり、パートナーとして成立しがたかったりする。

 そこへいくと、聖徳太子は万能の超人であり、象徴的なパートナーとして実力十分なのではないか。と言うのは言いすぎだろうか。まあ、妄想でもいいや。

 というわけで、最近そういうことを考えていたのである。どちらも「実証」するためには、随分時間がかかりそうだが、閑なときに少しずつやってみようと思う。以前は何でも一気に仕上げてしまわないと不安だったのだが、このごろは気分の持続が出来るようになったし、ぼちぼちやるという楽しみも覚えてきたのである。

   風海

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