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雅号

 最近、雅号をつける人ってあまりいないようだ。
 夏目金之助が漱石、森林太郎が鴎外、二葉亭長谷川辰之助など明治の文人は大体雅号を用いている。また昔は新聞記者なんかも、雅号を使っていた。「天声人語」で有名な長谷川如是閑などである。

 しかし、最近トンと見ない。ペンネームというのともちょっと違い、雅号というのは書斎や家の名前だったり(○○斎、★★軒とか、××庵とか)、かっこいい字や好きなものや尊敬する人にちなんだ名前(緑雨、荷風、篠蘇など)だったりするのである。

 特に見なくなったのは、何とか斎とか軒とか庵とかといった字である。それでも堂は文房具屋、庵は蕎麦屋などで見かけ、軒はラーメン屋などに多いが、斎を見ることまれである。ぼくはこの斎の字がなんだか好きなのだ。書斎の斎であり、どこか私密的な空間で教養のにおいがするではないか。

 この欄のタイトルは「宇則斎志林」である。下のほうにちっちゃく出るから、あまり気づかれていないようだけれど、宇則斎がぼくの書斎の名であり、志林というのは、まあ「書いたもの」みたいな意味である。

 ぼくはこの他に「諦観堂」「応草堂」「蟋蟀草堂」なども使っている。堂が多いのは偶然である。蟋蟀という字はあまり見かけないが、キリギリスのことである。中国六朝成立(梁の昭明太子撰)の詩文集『文選』には「文選読み」という訓読法がある。「片時」をヘンジカタトキというように、熟語を一度音読みしてから訓じなおすというややこしい読み癖であり、その代表的なものとして「蟋蟀」を「シッシュツのキリギリス」と読む例がある。この雅号はそこから来ている。

 それはともかくとして、このうちで自分が最もよく使うのは「宇則斎」と「諦観堂」だろうか。後者はいいとして、「宇則斎」という字は何かいわくがありそうでいながら、実は何もなく、ただ「うそ臭い」という言葉とのしゃれになっているだけという落ちが自慢なのである。

 無意味な閑文字を連ねてしまったが、このブログ先に書いたように総合タイトルが見えにくいので、宣伝がてら由来を書いてみました。古の文人に倣って、皆様も雅号を考えられてはいかがでしょうか。見慣れた勉強部屋も「今日からここは『○○斎』」と思うだけで、気分が違うかもしれません。

        風海

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