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自分探しの旅―理論編・その一

 裕福な青年たちの一団が、遊女を連れてピクニックへ出かけたときのこと。貧しい遊女の一人が青年たちの金品をかっさらって逃げてしまった。怒った青年たちは血眼で後を追う。せっぱつまった遊女はお釈迦様の瞑想しておられる林の中へ逃げ込み、かくまって下さいと頼みこんだ。お釈迦様は静かに頷かれる。

 青年たちが息せき切って林の中へ駆け込んできたとき、お釈迦様は変わらぬ姿で瞑想しておられた。中の一人が尋ねる。「尊師よ、ここへ女が逃げてきませんでしたか」。お釈迦様は答えた。「君たち、女のゆくへを探すよりも、まず自分を見つけるのが先なのではないか」と。その場で青年たちはお釈迦さまに帰依し、遊女のことは忘れて修行に入った、というお話である。

 それと、今巷間いわゆる「自分探し」とは違うのではないか。ぼくなんかはそう思う。先日、ある先生から、せっかく受かった学校をやめ、全国の教授たちの講義を聞いて回るという一種の行脚をしている青年がいるという話を伺った。こういうのを、世間で「自分探し」というのだろう。

 しかし、ぼくはそれは徒労だと思う。何を得たいのかはっきりしていないし、第一全国の教授たちの話を聞いてもあまり身になるとは思えないから。ぼくは極度のものぐさだから、あまり動きまわるのが好きではない。だから、何かを得たいというとき、一発必中でものにしたい。動き回って疲れるのはご免である。その学生が実り多き人生を過ごすことを祈っているが、ぼく自身は自らの自分探しを考えると、お釈迦様のように静かに座っている方を選びたい。

 この世は主体の認識の総合という仮の世界でしかない。世間虚仮、唯仏是真、である。ただそれを主張するためには、この仮構された「現(幻)実世界」で、何かを成し遂げなくてはならない。それは、引力のように引き寄せられるという、法則の反映でしかないのだが、それをして見せなくては、ぼくのいうことにぼく自身がリアリティーを感じられなくなってしまうだろう。

 何が起こるかはお楽しみに。とはいえ、何も起こらなかった時の保険のため、敢えて書かないわけではありませんので。念のため。

        風海

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