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2010年3月

お詫びと訂正

「宇文研準備室」の設立口上に、

「少なくともぼく達は現在日本の「研究環境」に不満を持っています。」

 というような文章を書いておりました。この書き方では、誤解されてしまう。宇文研の趣旨は、面白いことを楽しんでやろうということなので、いかなる意味においても「不満」は言うものではない。

 よって、この文章、次のように言い換えます。

「ぼくたちは、現在日本の「研究環境」を多様多彩で楽しいものにしてゆきたいと思っています。既存の研究機関、施設に受け入れてもらえないのなら、自分で身の丈に合うものを作ればいいじゃないか」

 訂正をお願いします。

     風海

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春日のもり

 春日大社は心地の良いところだ。
 奈良公園から神域へ入ると、木々の密度が若干変わるような気がする。山全体がご神体なのである。

 下の禰宜道を歩いていると、梢を風が伝ってゆく気配がする。風は時に下まで吹き抜けてきて、早春の息吹を感じさせてくれる。たまにその揺れる空気の密度が、細かくてほんのり暖かいことがある。あれは神様が動いているのだろうか。ふっと、心を吸い寄せられるような気がする。そういうとき、体がのびのびして、神妙で心地がよい。

 神社などへ行って、お参りするのに本殿のほうばかり向いているのは間違いだ、という話をよく耳にする。神様はその時の気分で、どこに居られるか分からないからだそうである。だから、神社へ行ったら、とりあえず本殿の周りをぐるっと回ってみて、全方向に「神気」を感じようとしなくてはならない。

 神域に入るときから、心を澄ましておき、木や森があれば、梢を見上げて、神様を感じてみる。これが楽しい神社へのお参りの仕方ではないかと思う。そして、お参りの仕方も、注意が必要である。

 大体お賽銭を投げ入れ、「商売繁盛、家内安全、学業成就…etc,etc」と念じるのが普通だが、そういうことをいくらやっても神仏は答えてくれないのだそうである。
 炊飯器や自動ドアなどいくつもの発明をしたことで知られる政木和三さんの本に、「神仏が願いをかなえることはない。神仏の前では手を合わせてひたすら、今現在幸せです、ありがとうございます、と御礼を言うと、自分の中にある神仏が、生命体を活性化してくれ、幸運となる」という意味のことが書かれていた。

 そういうことを指摘する人は他にもいるから、おそらくそれが真実なのだろう。ぼくは頭上を神様が風と共に通り抜けるのを感じると、心の中で「ありがとうございます」と言ってみた。すると、なんだかいい気分になっている。これからは、どこへ行ってもそういう風にお参りしてみようと思う。

         風海

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久木のもり その③

 離れがたくて、まだ「かむなびの杜」の前にいる。
 オーブのような円いものが、木の梢からいっせいに空へと舞い上がってゆく、幻想的な画面のなかには、さらに小さな木々や植物、鳥たち、星と月、波間をはしる舟の舳先、弓を引く人、騎馬隊などが描きこまれている。
 久木さんの、すべての絵に共通することだが、この作品は特に上へ上へと伸びあがってゆくエネルギーが強い。あふれんばかりの生命の合唱、すなわち宇宙の歌声が聞こえてくる。

 この絵はほかに様々な象徴に満ちているのだが、中央やや左上に描かれた、扉の鍵穴のようなものが目を惹く。あれはいったい何だろうか。オレンジ色、金色を基調とした画面の構成要素が、すべて渾然となって光の中に溶けてゆくなか、この扉だけが妙にくっきりと浮かび上がってくるのである。

 眺めているうちに、下から伸びあがる木々の幹が、鍵そのもののように見えてきた。このうちのどれかが、そこにぴったりとはまるのかもしれない。
 すると、その扉が開いたあとに広がるのは、どんな世界なのだろう。

       風海 

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久木のもり その②

 久木さんの作品は、絵自体の出来もさることながら、タイトルの付け方が実にいい。どれも、ぼくの語感にぴったりとおさまってくれる。
 木の葉のデフォルメされた形状が面白い大木の下に、ふとったバクのような馬が草を食んでいる「厳橿(いつかし)がもと」、釣鐘を逆さにしたような木々を描く「夏山の木末(こぬれ)」、いろいろな木に様々な鳥を配した「それぞれの木にそれぞれの鳥」、生命樹のような木の下で春の女神が見上げる天空を高く舞う鳥が印象的な「春をつげる」などである。

 すべてそれ自体で物語を内包しているではないか。これらのタイトルの向こうに、絵の画面が広がっている。そして、その奥に物語が、いまにも紡ぎだされるのを待っているのである。さらにその物語は詩をうちに秘め、詩は音楽とともに流れ出てくる。

 これは宇宙が生命を通じて行っている創造行為そのものではないか。かむなびの久木のもりは、いつもそんな神秘に満ちている。

       風海

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トポス(場)からの離陸 その②

 ぼくは日本を代表する人気食育教養マンガ『美味しんぼ』(雁屋哲・原作/花咲アキラ・画 小学館)を愛読し、感心したり首をかしげたりして愉しんでいるのだが、その最新巻は環境問題がテーマであった(104巻「食と環境問題」小学館、2010)。天竜川、長良川のダムや河口堰、築地市場移転、六ヶ所村再処理工場の四つの環境問題に絞って登場人物達がそれぞれを取材し、「究極のメニュー」対「至高のメニュー」で対決をするという内容である。

 対決自体は形骸化して、もはや興味の範疇からは外れてしまった感があるのだが、その結論は興味深かった。環境問題を引き起こす三角形として「政府・ゼネコン・学者」を指摘しているところである。

学者が何で、と思うところだが、これが重要なのだ。政府とゼネコンは官民の利益団体の代表で、学者は彼らの行う事業の正当性を「客観的科学的」に裏付ける存在として利用されているというのである。『美味しんぼ』では河川工学や原子物理学など主に理系の学者ばかりが登場しているが、古来からの伝統を考えると、文系の学問もこのトライアングルの一角に組み込まれていることは確かである。中国においては科挙に合格して官僚となるためには、学者としての蓄積が不可欠だったし、ヨーロッパの神学も、教会による民衆支配の理論的支柱を造りあげて来たという側面が大きい。

以前ある先輩が、仲間内で飲み会をする度に、理科系の学問は役に立つけれど、文系は今ひとつ役に立たないから劣等感を禁じ得ない、という話題で盛り上がる、と語っていたことがある。確かに大型プロジェクトのほとんどは理系であり、文系は次々と予算を減らされているから、そう思っている関係者は以外と多いのではなかろうか。

しかし、一寸まった。「役に立つ/立たない」とは、どういうことなのか。この場合の「役に立つ」とは、くらしを便利にするとか、人生を豊かにする、という意味ではない。即刻「金になる」ということである。つまり先のトライアングルの一角を占めることができて、政府の方針に学問的根拠を付与するための、潤沢な研究資金が与えられるという意味である。その証拠に、すぐに「利用」できない基礎数学などは、科研費も少なく、人気も薄い。そうであるならば、役に立つといっても、決して自慢できる事柄ではないように思う。

基礎数学などに比べたら、歴史学には「これまで国家の役に立ってきたという歴史」がある。つまり金になってきたわけだ。ところが、現在は研究費は削られ、学生には人気がない、という凋落の危機に見舞われている(らしい)。これは大変だ。みんな歴史研究の今日的意義、有用性を示そうとして必死である。

そうは言っても、たくさんの研究費をもらえて、成果を生みだしている歴史学者も多いことだろう。そして彼らは『美味しんぼ』の指摘する環境問題を誘発するような政府との癒着は自分にはないと信じて疑わないだろう。直接的にはその通りである。

しかし、世の中には「タダ(フリー)」は存在しないという原則がある(苫米地英人『フリー経済学入門』フォレスト出版、2010)。ぼくたちが買う商品の価格には、必ずその広告代が上乗せされているように、何かがタダで提供されるとき、必ずそれを回収し利益を上げる仕掛が確立されているのである。

文科省の科学研究費とて、例外ではない。これをもらうためには、国の要求する研究基準を満たさなければならず、それは次第に内容にも及ぶ。個々の研究者単位ではなにも見えないとしても、俯瞰的な位置から眺めてみると、政府の研究費を与えられて行われた研究の蓄積から、もしかしたら取り返しのつかない代償をぼくたちが払わされる仕掛が生み出されているかも知れないのだ。

だから、ぼくは学術振興会の研究費をもらえなかった友人に、おめでとうといったのだ。彼は始め憮然としていたが、自分の好きな研究を心おきなくできるという、何物にも代え難い自由を保証されたと思えば、安いものではないか。

歴史というものの、もう一つの側面には「ものがたり」がある。というよりも、『史記』列伝の躍動的な記述やホメロスの叙事詩を持ち出すまでもなく、歴史の始原(アルケー)は場(トポス)に付随した人間の物語ではなかっただろうか。始原において、歴史はトポスに密着し、人々の物語を紡ぐものであったのだ。

金にならなくなり、その有用性を研究者自身が疑い始めた今、歴史学は本来の面目を取り戻す時期に来ているのではないだろうか。トポスからの離陸を得意満面になって疑いもなく推し進めるのではなく、始原の場所へ回帰してみるのも一興ではないか。「学界」に隷属したテーマではなく、他の誰でもない自分のテーマを研究し、ただ友人の間で愉しむだけ、という形態であってもいいのではないだろうか。何でも金に換算して、工学まで用いてせこく稼ぐことに汲々とする現代世界において、再び自由な知のひらめきのアゴラが重要になってくるに違いないのだから。

        風海  

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トポス(場)からの離陸 その①

 先日、フランス近世史のアレクサンドル・シマノフ氏、同中世史のモーリス・ダウエ氏および自称ローマ史専攻でおもろいこと探訪家のアキヲ君と、大阪某所にあるワイン屋さん「トルメカ」(仮名)にて会談する。話題は主にサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼のことなどだったが、帰りにアキヲ君と電車に乗っているとき、彼が語ってくれた博士論文の構想を聞いている内に、ある思考が胎動しはじめるのを覚えた。

 アキヲ君は古代ローマの劇場にこだわり続けている。そして彼は劇場が人々の認識の中で「ローマ的なものの代表」となったのは近代であり、「歴史」というものがいかに「見たいようにしか見ない思考」の産物であるかを主張したい、いうことだった。その言やよし。

 ぼくは彼に個物または特定の場としての劇場が、観念の上で「ローマ的象徴」へと離陸していく瞬間をとらえると面白いんじゃないの、と例によって無責任なアドバイスをしたのだが、自分で言うのもおかしいが、この「トポス(場)からの離陸」って、ちょっと魅力的な表現なんじゃないだろうか。

 思うに歴史はいつも「トポスからの離陸」を目指していたのである。つまり、「その地域土着の物語」であるはずの歴史は、それを利用する者の手によって、常に権力構造の補強材として使われ、事象が事象のまま観念へ統合される、という「歴史」を持っている。その際の、誰もが疑わなくなる「イメージ」への事象の昇華を指して、「トポスからの離陸」というのである。

アキヲ君のフィールドであるローマ史で言うと、ローマ帝国は確かに広大な領域に活動範囲を持っていたが、それは今で言う「領域支配」ではなかった。当時は都市国家の時代であるから、局地的な人口密集地とそれらを結ぶ街道をおさえるのが重要で、面積としてとらえるという見方は稀薄だった。そしてローマ帝国は支配地域の人民にローマ市民権を与えることで発展したわけだが、この「帝国」なるものも、現在の観念からすれば、実体はスカスカなものであったという。

かつてその筋の専門家であるイアン・H・ヒッサン氏のお話を伺う機会があったときに尋ねてみたのだが、ローマ帝国というのはいわばやくざの親分のようなもので、必ずしも精緻な統治機構を有していたわけではなかったのだそうだ(少なくとも資料から実証できる範囲では)。それゆえ、ぼくたちの考える「ローマ帝国」像というのは、これはアキヲ君の指摘通り近代以来のいわゆる「歴史学」の産物なのである。

そんなら、近代歴史学が何用あってそのようなローマ像をつくったのだろうか。ごくおおざっぱに言えば、当時現在進行形で進められていたヨーロッパ列強による帝国主義の精神的より所を創出するためである。ギリシャ・ローマに発想の源泉を持つハイデッガー存在論が、ナチス・ドイツの思想的基盤を担保したのも同じ構造である。そのハイデッガーがイマジネーションの基礎としたのが、歴史学者の創り出した「ギリシャ・ローマ」だったというわけだ。

ものすごく雑駁な話しで、ご専門の方々のおしかりは覚悟の前で言うのだが、そもそも「歴史学」というのは、そういう役割を持った/持たされた学問なんじゃないかとぼくは思っている。日本において『記・紀』が作られた事情も、政府(大和王朝)が中国と付き合う上での「歴史の必要性」に応じたものであった。その本家の中国では、現在の王朝の正統を示すために前代の王朝の歴史が是非とも必要だった。今ある二十四(五)史という正史は、すべて官撰かそれに準ずるものであり、個人が自分の興味を満たすために研究した成果ではなかったのである。

だから、歴史学くらい権力と不可分の学問はない、とさえ言えるではないか。前に、ぼくの友人が博士論文の口頭試問で、某教授から「テーマは学界に属するもので、君個人のものではないのだ」という指摘を受けた話を書いたが、あれはある意味実に正統な、正しい発言であったのだ。(この項続く)

         

風海

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久木の森

 昨日、A・シマノフ氏と大阪梅田にあるYアートギャラリーに絵を見に行った。
 久木朋子さんの、「ことのはのもり」シリーズである。

 彼女の絵と出会ったのは、去年のこと。一目見て惚れ込み、生まれて初めて絵を買った。その時は「鳥の時間~オオルリ~」(ハガキサイズ)で、今回は本を売ったお金を懐にしていたので、ちょっとぜいたくに少し大きめの「伊波瀬の社の呼子鳥」(20×20センチ)。このたび彼女は、万葉集ゆかりの場所をおとづれ、歌ををタイトルとして連作のシリーズを作っているのである。

 展覧会などの詳細は久木さんのホームページ(http://www.geocities.jp/ktkyuki/information.html
Yアートギャラリーのホームページ
http://www.yart-gallery.co.jp/contact.html
をご覧いただくとして、彼女の作品についてぼくの感じたことを書いてみたい。

「伊波瀬の社の呼子鳥」というタイトルの由来は、『万葉集』八巻の1419、鏡王女(かがみのおおきみ)春の雑歌の、

神名備の磐瀬の社(もり)の呼子鳥 いたくな鳴きそ わが恋まさる

 というものである。呼子鳥とはカッコウのことらしい。作者の鏡王女は近江の鏡山の司祭である鏡王の娘で、額田女王の姉という。はじめ天智天皇に寵愛され、のち藤原鎌足の正室となった。鎌足の病気平癒を祈願して、興福寺を開基したという。「いわせのもり」は龍田地方にあった森といわれるが詳細は未詳である(中西進編『万葉集事典』講談社文庫、1985 桜井満訳注『万葉集』旺文社、1988)。

 この絵は臙脂オレンジを基調とした配色で、画面いっぱいに俯瞰的に木々が描かれ、その上を大きなカッコウが飛んでいる。そのカッコウが白ぬきになっていて、中に蔓草のような模様が描きこまれているという、実に幻想的な作品である。今にもカッコウの声が春の夕暮れを染めるようである。
 久木さんは自然派(アウトドアが大好きという意味)の画家で、抽象に近いデザイン的な作風なのだが、中に描かれている鳥や植物は驚くほど正確である。

 また、この作品に限らず、久木さんの作品は共感覚を呼び起こすものが多い。絵を眺めているといつしか鳥の声を聞いており、風の匂い、陽光の肌触りを覚えるのである。そして、山歩きを趣味としておられるだけあって、山の雰囲気を実によくとらえていると思う。本人が本当に楽しんでいないと、こうはならないだろう。

 このたびの「ことのはのもり」の連作や、大作「かむなびの杜」など、ここ最近の作品は神あるいはサムシンググレートといった存在を意識されている(いないかもしれない)のではないかと思う。顕在意識には浮かび上がっていなくても、そうした方向性が開かれていることは確かであり、これはぼくたち「宇文研」の近年の問題関心である「巡礼」にもつながるものだろう。

 久木さんは山野を歩くことで神に触れているに違いない。それは作品が証明している。疑う人は「かむなびの杜」を見よ。

      風海しるす

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泣きの一ヶ月

気づけば、一ヶ月近くブログを書いていなかった。

嫌なことはさっさと済ませて楽になった方がよい、という人と、できるだけ嫌なことは後廻しにしたい、という人がいるとかと思うが、私は明らかに後者のタイプである。

お尻に火がついてやっとスタートするので、締め切り前にいつも泣きをみる。

毎回同じパターンなので、早く済ませる方がいいことは分かっているつもりなんですが…。

心のどこかで「ギリギリでもいつも間に合ってるやんか」という妙な自信があるのだが、それがそもそもの間違いで、生活面、健康面、人づきあい、ブログ、そして美容面などなど日常に確実に悪影響がでている。

3月は16日が新月。4月からいいスタートがきれるように新月のお祈りをしておこう。

  空味

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断捨離

…という文字の入った本を町で見かけて購入した。

やましたひでこ『新・片づけ術 断捨離』(マガジンハウス 2009)

である。
内容は、いかに物を捨て、機能的な家にしていくかというものだが、
語感に非常にインパクトがある。ただ要らないものを「捨てる」というよりも、
「断捨離」というと、少し次元の違う行為のような気がしてくるから不思議である。

残念ながら、ぼくの大掃除が七割がた終わった頃にこの本を読んだので、
そのメソッドを十全に利用できなかったが、本を処分するときに背中を押してくれた。

これは「断捨離」なんだと思うと、気が楽になって、ごみ置き場へ行ってもらうことが出来た。
合掌。

        風海しるす

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大掃除

いま、我ながら何を思ったのか、大掃除をしている。
大量にあった紙くずを捨て服を半減し、ダンボールを処分し、床を磨き…。そして、当然の如く蔵書整理。コピーして読んでいなかった本やファイルにとじた十年以上前の資料はすべて、そして買ったはいいけどまったく手をつけていなかった本を大量に捨てた。当然売れるものは売ることに。
TG書店へは二度行った。一度目は友人のエス氏とエム氏に手伝ってもらい、二度目は空味さんと。その都度紙袋に一杯詰めたものを四つ五つ、リュックも満載という状態で出かけた。積んどく本の学術書も混ぜておいたため、成果は素晴らしく、合計三万三千エンにもなった。
しかし、わが十数年の購書生活の果てがこれか、と思うと、一抹の寂しさを覚えたことも確かである。そしてその金で豪遊してやろうと思って入ったイタリアンがつまらない店で(のびたスパゲッティはほんのご愛嬌として、ピザは明らかに冷凍生地を使っているため、生地と上の具が分離しており、私を驚愕させた)、その寂しさはほとんど怒りに変わったのであった。

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