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諸子百家―不安の時代を生き抜く技術―

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 春秋、戦国時代(前6~前3世紀頃)にかけて、大量の思想家群が輩出した。各流派の先生方という意味で「諸子百家」という。全盛期は前4世紀頃である。斉の威王(在位:前358~前320)、宣王(在位:前319~前301)は、著名な学者を好待遇で招聘し、彼らの屋敷を都臨淄の稷門の下に集めたので、「稷下の学」といわれる。
 前1世紀、漢の成帝のとき宮中の典籍目録が作られ、諸子を十流に分類。儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家、(小説家)、兵家。これらの学問を展開した諸子は、偉大な思想家たちであり、理想の実現に邁進していたとされているが、そうした一面的な理解では、実体を見落としてしまうところも多いのではないかと思う。ここでは、彼らを活動へと駆り立てた原動力が何だったかに焦点を当てて考えてみたい。

2「思想」という技術
 諸子百家という現象は、はたして思想家の大量発生というだけのことだったのだろうか。それにしては数百年の間に連続して大思想家達が登場しており、後の千年にも匹敵するほどの量と高い密度を誇っている。それはただ単に「そういう時代だった」で終わらせてもいい問題なのだろうか。終わってもいいのだが、それではつまらないから少しお付き合い願うとして、人が頭を使おうと思うのはどういう場面であろうか。恐らく一番頭脳が活性化するのは、自らの身が危険にさらされつつあるときではあるまいか。目の前に銃弾が飛んできた、という場合は避けようがない。しかし、匕首を突きつけられて、「さあどうする」となったときは、瞬時に頭脳がフル回転しはじめるのではないだろうか。

 そういう時代だったのである。
 春秋・戦国時代は民族的にまとまりのない人々が、広大な領域を「中国」として統一しようと動きだし、そのために生じた正のエントロピー(つまり混乱)が極点に達した時期であった。「春秋に義戦なし」というように、野望がぶつかり合い、陰謀が渦巻く、不安の時代の到来である。
 この状況で生き残るためには、極限まで頭を使わなくてはならない。具体的には人の考えないことを考えるための視点の切り替え、思考改革が必要だった。諸子達は、そうした技術のエキスパートだったのである。需要のあるところ必ず供給がある。思想家の大量発生は、故無きことではなかったのである。

 もっとも、後世から見て時代が統一へ向かっていた、ということから、当時の人々が「現在は統一への過程である」と認識していた、と言いきることはできない。諸子百家の全体を一言でいうと、「理想の追求」であり、最も現実的と思われる法家でもある理念型を創り出し、現実をそれに合わせて行く、ということを提案している。彼らは世の人々に「理想」と「考える方法」を売って生きていた。人々は自らの置かれた立場や状況に応じて、そのうちのどれか適当なものを選択すればよかった。中国人は現実的な人々である。その彼ら(の一部)が、目に見えるモノではない「思考」に人生をかけたのは、費用と物資の必要なモノづくりではなく、場所も元手も要らないものを売る方が、逆に食いはぐれない、と考えた証である。

 つまり諸子たちは、ただ理想的な思想を展開しただけではなく、様々な技術を持ってコンサルタントとして各国の君主たちに仕え、彼らを操縦することで、不安の時代を生き抜こうとした人々だったのである。
 ひるがえって現代も、打ち続く不況は止まるところを知らない。経済中心の政治が、さらなる不景気を呼び込む原動力として働き、働くことの意味がゲシュタルト崩壊の一歩手前まで来ている。あらゆる宗教や思想が研究され、色々なイズムが「乗り越えられた」にもかかわらず、物質的豊かさの呪縛から解放されていない。BSE(狂牛病)問題などで顕著なように、ベネフィットを求める動きが正のエントロピー(事態の悪化)をまねき、結果的に不幸を拡大する。不安の時代の出来である。

 この状況を生きる上で必要なのは、もはや金銭や物質ではない。視点の切り替え、思考改革の技術である。より現代的に思想工学(ソート・エンジニアリング)といってもいい。昨今雨後の竹の子のごとくちまたに溢れている自己啓発、思考改革本、その類のセミナーは、このような現実の反映であろう。モノを生産するよりも、思考を伝える方が「相手のためになる」と同時に「自分が生きて行きやすい」からである。今も昔もモノづくり、農業、工業こそが生活の基本である。しかし、モノ自体ではなく、「考え方」を創り出すことで生きていこう、という方向が次第に鮮明になりつつあるようである。
 こうしたとき、諸子たちの「方法」は、同じように不安の時代を生きる現代人にとって、直接には使えないとしても、学ぶべき所が多々あるのではないか、と思うのである。

        風海衛門しるす

附録:諸子の概略は以下の通り。

1儒家
孔子(前552~前479)→礼学の先生。実は礼学の実態を知らなかった可能性がある(浅野裕一)。
孟子(前370頃~前290頃)→性善説、徳治主義、易姓革命。
荀子(前320~前235頃)→性悪説、礼治主義、諸子批判。
2墨家
墨翟(前439~前390頃)→魯に学団創設も、弟子は実利優先のちゃっかり者ばかり。十論をとなえ、遊説のマニュアル化を推進。
孟勝(?~前381)→三代目鉅子。統制された墨者集団の形成。守城戦に敗れ、墨者の集団自決を指導。
3道家
老子(生没年不詳)→『老子』テクストは前403~前343頃成立。無為自然、「道」の思想。
荘子(前4世紀頃)→何もしないこともしない。すべてを貫く「道」のあるがまま。
4兵家
孫武(春秋末:前6~5世紀頃)→『孫子』十三篇の作者。呉王闔閭に仕え、宮中で美人を軍事訓練する。
孫臏(戦国中期:前4~3世紀頃)→魏で計略にはまり、両足切断の刑罰にあう。後に斉の威王に仕える。魏の将軍龐涓との宿命の対決を制し、斉の地位向上に貢献。『孫臏兵法』がある。
呉起(?~前381)なりふり構わぬ上昇志向。楚の悼王に仕え、貴族弾圧策を行ったため、恨みを買って暗殺される。『呉子』六篇を残す。

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