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後藤田武先生の思い出

 三月一日で、私が道場でお世話になった後藤田武先生の一周忌を迎えます。ご家族の方から、皆に何か思い出を書いてほしいとご依頼があり、筆を執った次第です。本来ならここに載せるようなものではありませんが、合氣道をはじめる直前に、手引きをしてくださった師匠ですから、自らの気持ちに区切りをつける意味でも、書いておきたかった次第です。
 
 光心館道場に通いはじめて一月ばかりたったころでした。まだ厚手のコートを着ていましたので、三月の半ばあたりだったと思います。玄関を上がったところで、道場の中にいる人と話をされている後藤田先生をお見かけしました。
「あ、先生、お久しぶりです」
と声をかけると、一瞬怪訝そうな顔をされて、
「君は、誰やったかな」
「氣圧入門コースでお世話になった者です」
改めて自己紹介すると、先生ははにかんだような笑顔を傍らの人に向け、
「年やな。もう人の顔が覚えられへん」
そう言われてから私の方へ向き直り、
「ああ、あの時の。いや、何となくは憶えてまっせ」
そうして、あの鋭い小さな瞳がキラリと光ったのです。
「あんた、まったく氣が出とらんな」
突如、そう言われました。合氣道を始めて一ヶ月、自分では相当「氣が出ている」ことを意識しているつもりでしたが、今から思えばやっぱりしょぼくれていたのです。そのことを先生にズバリと指摘され、「このままではいけない」と本氣で考えるようになりました。その時のことは、今も深く胸に刻まれ、折にふれて思い出します。あれ以来、約三年たちますが、いつか後藤田先生に「氣が出るようになったな」と言われるようになりたい、そういう思いがずっとあったような氣がします。

 後藤田先生にはじめてお目にかかったのは、二〇〇七年の一月でした。受講した氣圧療法入門コース第二回目の時で、講師の荒川先生が都合でお休みされ、代わりに担当されたのが後藤田先生だったのです。セミナースペースの椅子に腰掛けておられた先生の、そのヘアスタイル、眼光、物腰など一目見て、ただ者ではないオーラを感じました。
 その時の授業は、呼吸法、意志法、統一の印、合氣道のつぶし系の技などから氣の原理を解説し、氣圧のポイントを指導するというもので、非常に多岐にわたる内容だったと記憶しております。ただ、右も左も分からない状態でしたので、一つひとつがいかなる意味をもつのかは皆目分かりませんでしたが。
 お話をされる先生の表情は大変明るく、身のこなしは颯爽とされていました。氣圧と心身統一合氣道を身につけ、氣の原理を実践していることが愉しくて仕方がない、という氣持ちが伝わってくる、その語り口の快活さに強い印象を受けました。しきりに、体の動きを軽くし、柔らかく動くということを強調され、色々と実演して見せてくださいました。私たち受講者の上げた腕を、魔法のように下ろして見せたり、統一体がいかに強いかを実証するため、立ち姿や正座の模範を見せてくださいました。その時驚いたのは、寝転がって足の方を持ち上げると、先生の体が棒状になってふわりと持ち上がったことです。
「統一体で寝とったら、こないなるんですわ」
 ア然としている我々受講者に対して、先生は面白そうに他にも色々とやって見せ、氣のことが分かったら、いかに生活が愉しく便利になるか、ということを熱く語ってくださいました。先生は職を退かれてからこの道へお入りになったということで、
「もうかれこれ二十年近くなりますか。やればやるほど、深くなってきて、面白さが分かります」
 その言葉には実感がこもっていました。私は入門コースを受けて、チョチョッと技術を身につけようなどと考えていた自分の浅はかさに恥じ入った次第です。そして、クラス終了間際に、先生が言われた一言で、こういう方がおられるのなら、自分も正式に氣のことを学んでみたいという氣持ちが高まってきたのです。
 後藤田先生は統一体を正しく学べばいかに生きるのが楽になるかを繰り返し強調され、最後にこう言われました。
「私も若い頃は色々と難儀もしましたけど、氣の世界に入ってからホントに楽になりました。今は人生軽い、軽~いですよ」

                風海

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合氣道日和」カテゴリの記事

コメント

その生き方(呼吸の仕方)に憧れに似た感情を抱かせてくれる、そんな年上の友人(あえて、こう呼びます)を持てた人は幸せだと思います。たとえ、お別れの時が早くきたとしても、その人の「晩年」に出会ったことの意味は決して小さくはないように思います。

投稿: AS | 2010年2月 4日 (木) 16時51分

 おっしゃる通り、年上の「友人」というのはいいものです。しかし、まだ彼らの「晩年」には遭遇したくありませんが。
 ところで、私の年上の「友人」(多分、まぎれもなく)には、自分の友達を「知人」と言いはってきかないひとがいます。で、私のことは「後輩」。まあ、それでいいわけですが、年を取ってくると、たいていの先輩が「友人」みたいな感覚になりますね。同様に後輩も。

投稿: 宇則斎 | 2010年2月14日 (日) 20時37分

私は、後藤田先生がなくなるまでの11年間
先生の治療を受け続けていました。

先生は本当にキュートで面白くて、
妖精というか不思議な人でしたね。
ゲニウスさんの日記を拝見させていただき嬉しく思いました。
ありがとうございました。

投稿: かおり | 2011年1月24日 (月) 00時25分

かおりさま。コメントを頂きありがとうございます。
いつになるかは分かりませんが、本部長のY先生のブログが始まり、そこで後藤田先生の思い出を随時書かれるご予定だそうです。またそちらのほうもご覧になれば、思い出の光彩がさらに豊かなものになるかと存じます。

投稿: 風海 | 2011年1月24日 (月) 14時23分

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