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夢のからくり

  今朝の目覚めは如何でしょうか。ぼくは珍しく自らの意思?で目覚めまして、その後思ったのですが、揺曳していた夢の中から自らを引きはがすのは、思いの外困難であると。それは、身体がまだ眠りを欲しているからではありません(そういう時も勿論ありますが)。目覚めを拒んでいるもの、それは夢の世界(仮にそれがどんなに退屈なものであっても)への執着、なのです。
  少なくともぼくの場合は。ここから翻って考えると、この世は夢、と申しますが、「死にたくない」という意識は、夢から覚めたくないという思いと、かなりのところで一致するのではないでしょうか。ただ違いは夢から覚めたあと、自分がどうなるのかはかなり詳しく分っているのに対して、死んだ後どうなるのかは分らないというところでしょう。目覚めのことはしばらく置きます。夢の中で(夢に限って)、スーパーヒーローになれるという人の話をよく聞きますが、ぼくはそうなったことがないのです。

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  夢の中の自分と外の自分に殆ど継ぎ目が無く、ファンタジックでありそうな夢の世界も、どこか現実の模倣のようで新味がありません。だからかえって、夢から覚めた時後悔するのです。どうせ夢なら買っておけばよかったとか、怒りにまかせてどついてやればよかったとか、もう一歩踏み込んで扉を開けてみればよかったとか…。
  多くの人が経験しているでしょうが、つまり「夢」というある種の仮構の世界に於て、自らを損なうリスクを気にすることなく大活躍できるチャンスがあるのに、世間知によってそれを諦めてしまう、というのは実に悔しいことです。
(酒好きの人が一升手に入れて、お燗をつけているうちに目が覚めた。「あーあ、冷やで飲んどきゃよかった」)
 ということは、もしかして、この「現実」と思われている世の中も同じなのではないでしょうか。夢の中では、夢であると気づいた瞬間にその世界の王者になれます。
  ならば、この世も同じ構造を持っているのではないか。夢と違うのはぼくという個体だけがあるわけではないというところですが、「どうせできないだろう」とか「そこまでやると、後が怖い」とかいった世間知によって、我々は何と多くのものを棒に振ってきたことか(人を傷つけるような衝動は含まないのは勿論ですが)。こうして向かう先を下向修正させようとするのが、「現実」と名付けられた文化装置であることはもはや論を待ちません。
 夢のからくりに気づいた人が夢の国の王様になれるように、「現実」のからくりにも早く気づくべきでしょう。

  ぼくはまだそのからくりがいかなるもので、どうすれば裏をかけるのか、「完全定式化」するところまでは至っていません。ただ、「気づく」だけでもいいような気がするし、合わせ技が必要な気もします。夢の研究は精神分析学その他、人文学だけでなく科学においても盛んですが、それを現実攻略のために構造分析して使おうという妄想を抱く人はなかなかいないようです。
  人生夢の如しと古人がいったとき、それは単なるアナロジーを超えて、もっと重大な本質にまで言及しているのだという考えを、ぼくは捨てることが出来ないのです。

            風海

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