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天地と一体になる日本語

 つかぬ事(前の話に関係ない(着かない)話題)を申しますが、日本語には「単語」という概念が薄いような気がします。つまり、英語やフランス語ほど、一つひとつの「語」が自己を主張しないというか、文脈の中に溶け込んでいると言うことです。

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 だから、日本語の場合、「単語の使い方」はあまり重要ではなく、語順や「ことば(複合的な)」の使い方が問題になるのだと思います。
  名文とは、それ自体が光ることのない、つまり「単」として独立しない「ことば」が連なり、心地よい語感を形成してゆくわけで、さらに日本語を手で上下に書いていくというのは、「天地と一体となる」ということではないでしょうか(それを言うのがブログというのもナンですが)。
 また、筆記具を持って、手で書くという運動に何か意味があるとすれば、その筆記具が垂直方向への氣の流れを表し、そこに「神」が宿るためのよりしろとしての働きをするのだと思います。だから、インスピレーションを効率よく、かつ確実に獲たいと思うなら、先ず初めに手で書くという行為が必要なのではないでしょうか。
                                  風海

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