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アンチエイジングと恋

  以下、かつて書いたものです。あまり面白くないけれど、何かのせておこうと思って。

 最近――でもないが、アンチエイジングといって年をとることに対する危機感を煽る美容法が人気らしい。何とかいう(名前は忘れた)薬品を注射したり、漢方薬を用いたり、流派は色々、方法論もそれぞれだが、共通しているのは老化に対する恐怖感である。それはもう、死ぬことよりも恐れているのではないか。若さを、いかに保つか。それだけが生きる目的であるような錯覚すら抱かせる。
 しかし、若く見えるということは本当にいいことなのかどうかという議論は暫く措いたとしても、様々な理論や実践方法があるなかで、ほとんどが身体の外側だけを問題にしているのはどうしたわけか。唯一興味深かったのは、ある人(名前は忘れた、忘れてばかりだ)の考え方で、「時間の観念を忘れると、人は若返る」のだそうである。それが究極のアンチエイジングなのだと。

 確かに、現代では兎角時間に追われ、いつの間にか余裕を失ってしまう、という状況が多いようである。何かに心を向けて、時間が止まるような深い感覚を味わう、といった事柄は次第に望めなくなってきているようだ。美しいものを見たり、聴いたり、触ったり、対象が何であれ魂が揺さぶられるような体験をして時間が静止する、そのことで精神が躍動し、その現象面である肉体も若々しくなって行く、という理屈は非常によく分かるが、そういう状況を作ることが既に困難になっているようにみえる。しかし、事はそう簡単ではないが、そう難しくもないのである。私は恋の話をしているのだ。

   愛は四年で終わる、という説がある。なれきった相手の存在に未知な所がなくなり、新たな刺激を欲しはじめるまで、およそ四年かかるということらしい。ただし、その説を唱える人も、本当に愛を四年で終えてしまった人も、気づいていない点がある。それは、相手を欲望するという形で、実は自分自身についての省察を深めるのが、恋の本質だということである。つまり四年で終えて新しい刺激を求めるのは、他ならぬ自分がその程度の退屈な人間であるということだ。この事実から目をそむけるため、人は愛が終わる様々な理由をでっち上げるのである。

  恋とは一過性の感情ではなく、相手の存在を通して自らを高める営為の総称であり、それは本来的に生きている限り続くはずのものである。なんとなれば自分を高めるために自分よりも高貴な精神を憧れるからである。それをこそ恋というのであり、身体的魅力にのみ惹かれ、あるいは生活上の必要のために配偶者を求めることは、ただの欲動でしかない。その関係によって自他の精神共に寸毫も高まりはしないからである。その両者のバランスがうまく取れてはじめて、持続可能な関係が構築され、恋―愛ということになるのではないか。

 佐藤春夫の詩「水辺月夜の歌」は、恋の理想を完璧に言語化している。
 
  せつなき恋をするゆゑに
  月かげさむく身にぞ沁む。
  もののあはれを知るゆゑに
  水のひかりぞなげかるる。
  身をうたかたとおもふとも
  うたかたならじわが思ひ。
  げにいやしかるわれながら
  うれひは清し、君ゆゑに。

 この、後半部分が特に重要である。敢えて無粋な分析を試みるなら、「身をうたかた」と思い、「わが思ひ」はうたかたとは思わない、というのは、精神の生き生きとした活動を感じているということである。そして、彼が求めているのは相手の肉体ではない。自分の身を「うたかた」とする限り、相手の肉体もまた「うたかた」でなくてはならないからで、求めている、憧れているのは精神だということになる。
 だからこそ、自分は身体をも含めて「いやし」い存在だけれども、その純粋な憧れは「君(の精神)ゆゑに」清らかだといいうるのである。胸を張って。プラトニック・ラブは兎角評判が宜しくないが、これはある究極の形であり、精神の到達できる最も喜ばしい境位の一つではないだろうか。

 ここで深まっている省察は、相手へのそれではなく、自分自身についてであるということが分かるだろう。相手の心を通して、自分の心が成長してゆく課程、それが恋の全貌である。相思相愛というのは、この時相手も自分に対して、自分が相手から学んでいることを学んでいるという状況であり、本来そうした心の学び精神の跳躍に終わりがないように、この関係はとても四年くらいでは終わりようがないはずなのである。
 それはいわば本物の「自分探し」だから。昨今流行の自分探しなら一人でもいいけれど、対話的な理想の自分探しは一人ではできない。だから好きな人と一緒にやりましょう、というのが恋の形相(エイドス)なのである。そして、こうやって浮世離れした思考に身を委ねていれば、時間は自ずから静止し、アンチエイジングにもなるという寸法だ。「恋はいいものだ」とは誰しも言うものだが、それはそんな按配にいいものだったのである。
 
 そうしたいけど相手が見つからない、という諸君。朗報がある。精神は死なないのだから、何も近くにいる人間や、生きている人間でなくてもいいのだ。書物やスクリーンの中に、永遠の恋人を求めよう。選ぶ権利は、全てこちらにあるのだから。就中、偉大なる精神の軌跡を残した死者はいいものだ。遠慮することはない。さもなければ差別か。差別はいかん、と日頃から教えられているではないか。何故、死者を差別するのかね。

           風海

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コメント

はじめまして。崇高な恋愛論拝見しました。
お互いに精神を高めていく相思相愛の考え方に頷きつつ、果してこのような恋ができているかどうか、思わずわが身を振りかえりました。

バレンタイン目前ですので、女性(肉食系cat)の意見としてちょっと意地悪に、あえて次の歌をあげさせていただきます。

柔肌の 熱き血潮に 触れもみで
 寂しからずや 道を説く君 
              与謝野晶子

「あひみての のち」も、自分が
相手を高められるような存在になれているかどうか、時折考えながら精進したいものですね。

投稿: coupon | 2010年2月13日 (土) 10時52分

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