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2010年2月

信仰心を考える-現世利益か後生大事か-

  信心深いとはどういうことだろう。信仰心とは一体何なのか。改めて考えてみると、一般に言われている信心というものが、どうもあやふやな気がしてならない。信心深いと言われる人が何をしているかというと、お寺や神社や教会に詣で、神仏に手を合わせる、又自宅に祭壇を作ってお灯明を上げて朝夕祈っている、といった感じだろう。そこにあると確実に言えるのは、神仏に対する尊敬の念だろう。
  では、「信」はどこへいったのか。そもそも、信仰における「信」とは何なのだろう。そこにあるのが尊敬だけならば、「神仏は尊し、神仏を頼まず」といった神無用論者宮本武蔵の態度が一番偉いことになる。
  はたまた、神社などで絵馬を書き賽銭を投じて「所願成就」と祈っている人はどうなのだろう。何か頼み事をしている姿に、我々は「欲深さ」を感じても、あまり「信心深さ」は感じない。ひろさちやさんは「神様仏様に頼み事をしてはいけない」という。なぜなら、神仏を自動販売機のように「利用」することになってしまうからだ。してみると「現世利益」は一段低いものということになるだろう。そしてそれをうたっている神社仏閣も。
  しかし現世利益って、本当にそんな下品なものなのだろうか。「お金がほしい」「試験に受かりたい」という希望と、「悟りを開きたい」という願望との間には、どのような差があるというのだろうか。

<渦巻き型銀河>               

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「現世利益」といったとき、「お金がほしい」というのと「悟りを開きたい」というのは、実はそれほど違いがないのではないか、とぼくは思うのである。なぜなら「悟り」が現世で達成されるなら、悟った本人が一番嬉しいに違いないのだから、それは立派な現世利益ではないか。
  また、「利益」は、それが果たされる限り、どこまでいっても「現世利益」でしかない。つまり、この世では迷っていても、あの世に行って「悟り」を開いたとすれば、本人にとっては行った先が「現世」なのだから、やはりどこまで行っても「現世利益」なのである。
  それなら、今生きているこの世でいい目を見たい(お金がほしい、試験に受かりたい、世界平和に貢献したい、悟りを開きたい)といった願望を抱くのは悪いことではあるまい。
  では、問題の「信仰心」との兼ね合いをどうすればいいのか。こう考えてはどうだろう。自分の願いは己一身の欲望に止まるものではなく、必ずや神仏の御陰をもって広い世界へと開いてもらえる、と信じ安心していられること、それこそが「信仰心」というものではないだろうか。
  世の中を少しでもよくするために、自分は神仏に使われているのであり、自分の願うことはすべて神仏の心から発していると信じることができれば、思うことすべて可ならざるはなく、日々心穏やかに生きていけるはずである。
  すべては、そこの所を本当にリアリティーをもって「信じ」きれるかどうか、という点にかかっていると思う。様々な祈りや、瞑想などは、その確乎たるリアリティーを形成するためのものなのである。

      風海

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祝辞

髙橋先生、お誕生日おめでとうございます。

平成二十二年二月二十二日。

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夢のからくり

  今朝の目覚めは如何でしょうか。ぼくは珍しく自らの意思?で目覚めまして、その後思ったのですが、揺曳していた夢の中から自らを引きはがすのは、思いの外困難であると。それは、身体がまだ眠りを欲しているからではありません(そういう時も勿論ありますが)。目覚めを拒んでいるもの、それは夢の世界(仮にそれがどんなに退屈なものであっても)への執着、なのです。
  少なくともぼくの場合は。ここから翻って考えると、この世は夢、と申しますが、「死にたくない」という意識は、夢から覚めたくないという思いと、かなりのところで一致するのではないでしょうか。ただ違いは夢から覚めたあと、自分がどうなるのかはかなり詳しく分っているのに対して、死んだ後どうなるのかは分らないというところでしょう。目覚めのことはしばらく置きます。夢の中で(夢に限って)、スーパーヒーローになれるという人の話をよく聞きますが、ぼくはそうなったことがないのです。

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  夢の中の自分と外の自分に殆ど継ぎ目が無く、ファンタジックでありそうな夢の世界も、どこか現実の模倣のようで新味がありません。だからかえって、夢から覚めた時後悔するのです。どうせ夢なら買っておけばよかったとか、怒りにまかせてどついてやればよかったとか、もう一歩踏み込んで扉を開けてみればよかったとか…。
  多くの人が経験しているでしょうが、つまり「夢」というある種の仮構の世界に於て、自らを損なうリスクを気にすることなく大活躍できるチャンスがあるのに、世間知によってそれを諦めてしまう、というのは実に悔しいことです。
(酒好きの人が一升手に入れて、お燗をつけているうちに目が覚めた。「あーあ、冷やで飲んどきゃよかった」)
 ということは、もしかして、この「現実」と思われている世の中も同じなのではないでしょうか。夢の中では、夢であると気づいた瞬間にその世界の王者になれます。
  ならば、この世も同じ構造を持っているのではないか。夢と違うのはぼくという個体だけがあるわけではないというところですが、「どうせできないだろう」とか「そこまでやると、後が怖い」とかいった世間知によって、我々は何と多くのものを棒に振ってきたことか(人を傷つけるような衝動は含まないのは勿論ですが)。こうして向かう先を下向修正させようとするのが、「現実」と名付けられた文化装置であることはもはや論を待ちません。
 夢のからくりに気づいた人が夢の国の王様になれるように、「現実」のからくりにも早く気づくべきでしょう。

  ぼくはまだそのからくりがいかなるもので、どうすれば裏をかけるのか、「完全定式化」するところまでは至っていません。ただ、「気づく」だけでもいいような気がするし、合わせ技が必要な気もします。夢の研究は精神分析学その他、人文学だけでなく科学においても盛んですが、それを現実攻略のために構造分析して使おうという妄想を抱く人はなかなかいないようです。
  人生夢の如しと古人がいったとき、それは単なるアナロジーを超えて、もっと重大な本質にまで言及しているのだという考えを、ぼくは捨てることが出来ないのです。

            風海

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天地と一体になる日本語

 つかぬ事(前の話に関係ない(着かない)話題)を申しますが、日本語には「単語」という概念が薄いような気がします。つまり、英語やフランス語ほど、一つひとつの「語」が自己を主張しないというか、文脈の中に溶け込んでいると言うことです。

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 だから、日本語の場合、「単語の使い方」はあまり重要ではなく、語順や「ことば(複合的な)」の使い方が問題になるのだと思います。
  名文とは、それ自体が光ることのない、つまり「単」として独立しない「ことば」が連なり、心地よい語感を形成してゆくわけで、さらに日本語を手で上下に書いていくというのは、「天地と一体となる」ということではないでしょうか(それを言うのがブログというのもナンですが)。
 また、筆記具を持って、手で書くという運動に何か意味があるとすれば、その筆記具が垂直方向への氣の流れを表し、そこに「神」が宿るためのよりしろとしての働きをするのだと思います。だから、インスピレーションを効率よく、かつ確実に獲たいと思うなら、先ず初めに手で書くという行為が必要なのではないでしょうか。
                                  風海

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髙橋隆博論

 ダダイストの作家辻潤が「俺は天狗になったぞ」と言って家の二階から飛び降りたのは、昭和七年のことである。辻は程なく青山病院に入院し、ある程度回復したが元には戻らなかった。
  最近、髙橋隆博が天狗になったという噂を耳にした。自分がいかに偉いかを周囲に向かって吹聴し、同意を強要するというのである。迷惑な話だ。K大学文学部教授、同大学博物館長、なにわ大阪文化遺産学研究センター長(肩書きはすべて2010年2月現在)と、これだけの座布団を重ねておきながら、なお自ら直截に誇るとは、どういう了見だろう。

  どうにも理解に苦しむと思っていたが、ははあ、そういうことかと気がついた。誰も喧嘩を売ってくれなくなったので、先生寂しいのである。学問が積み上がり、地位が向上すればするほど、誰も本音で褒めたり貶したりしてくれなくなる。毀誉褒貶は表裏のもので、どちらかに偏っても不安になる。そこで誰かが喧嘩を売ってくれて、丁々発止めでたく相手をねじ伏せれば、やっぱり自分は凄いのだと我人共に示すことができるのに、偉い先生にはそういうチャンスは滅多無い。あれだけ座布団を重ねておいて、さあ対等にかかって来いと言っても、それはできない相談だろう。と、周りは思うが髙橋は思わない。
  若いのである。いつまでも挑戦者で居たいのである。誰もが追従笑いを浮かべて取り巻くだけなのが居心地悪いのである。誰がこちらに気を遣って、早めに投了してくれる相手とばかり将棋を指したいものか。世の趨勢といえば諦めもつくが、きょうびの学生は真に先生を「利用」する術を知らない。ただ学問的な知識や史料の読み方を教わるだけで、先生を先生たらしめている所以のものに肉薄しようとしない。先生の胸を借りて、徳俵いっぱいまで押し込み、最後に力尽きて土俵に転がされる快感を知らない。この状況を私は髙橋のために残念に思うのである。

  髙橋は民俗学美術史学における当代の碩学である。また独自の風格を持つ文章の書き手である。政治的人間関係において抜群の手腕を発揮する謀略家でもある。しかしこれらは先の座布団同様、その皮相を表すにすぎない。末梢であって根幹でないこと言を待たない。 髙橋は知の冒険家である。その年代をとうに過ぎた今でも、青年である。対象が美術であれ文学であれ生きた人間であれ、それに関わることによる心の震え、魂の躍動を求めてやまないのである。ただし、その性向の本質は洗練された精緻な思考とは裏腹に、驚くほど直線的で拙いのである。 
  政治の腐敗に本気で怒り、品性の欠如した行為にしばしば罵言を浴びせる。黙っていればいいのに、それができないのである。年を取っても、否、実年齢が上がれば上がるほど、行動力は増し、東西を縦横に駆けめぐる。珍しいもの、美しいものに出会う悦びを抑えきれず、旅につぐ旅を強行する。そして何であれ自らの目で見なければ気が済まない。数年前には、奈良の山間で危うく遭難しかけた。山路に立つ石仏を見て歩くうちに足を滑らせて溪川へ転落したのである。足を折って死に瀕したが生還し、後で面白そうにこの脱出劇を語ってくれた。

  こういう人だから、周りが自分に喧嘩を仕掛けないことが不満なのである。弟子であれ同僚であれ、噛みついてきたら倍にして返してやろうと手ぐすね引いて待っているのに、誰も噛みつかない。それが面白くないのである。しかし、今どき誰が三つ殴る間に十も二十も殴り返されるような者を相手に喧嘩などしようと思うだろうか。それをするのは馬鹿か余程喧嘩が好きな人間だけである。お前はどうなのか。確かに私は今このような文を草して髙橋に喧嘩を売っている。髙橋にしてみれば私ごときでは相手にとって不足だろう。私だって伸されるのはごめんである。しかし誰もいないのなら出て行かざるを得ないのである。
  以前髙橋は「自分には外に二人の弟子が居る」と言った。「一人はS(中国近世史専攻)であり、もう一人がお前(風海)だ」と。だから私は師の学統を重んじ、追従やお座なりを言う代わりに一戦を挑むのである。負けると分かっていて喧嘩をするのである。申し訳ないが何十年大学教授をやっていると、大概闘志は失せてくる。堂々たる組打ちの代わりに陰湿な意地悪をするようになる。少なくとも表だった喧嘩はしなくなる。そんな中、まだ師弟で取っ組み合いができるなんて、こんな嬉しいことはないではないか。故に私は喜々として師の痛棒を待つ者である。
  
  髙橋よ、「天狗」にはなるな。イエスマン相手の自慢話などやめるがいい。学問への情熱の他に、一体何が大切だというのか。真への希求、善との格闘、美への憧憬を流動する知性の拳として、拙い戦いを戦い続けるより他、何ができるというのか。

    碩学もなほ青年の拙さよ
       我が師なりけり我が師なりけり
                                                                                        
          風海しるす

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大喜利-寝てか さめてか

 新拾遺和歌集
世の中の現の闇にみる夢の 驚くほどは寝てかさめてか
 
 亭主
家の中のメイクオフ後にみる嫁の 驚くほどは寝てかさめてか

 伊弉諾尊
約束を破って黄泉にみる嫁の 驚くほどは寝てかさめてか

お粗末さまでした。空

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胡蝶さんの夢

梅の香がするとお能の胡蝶の舞を思い出します。

「春のスミレさん。夏は撫子の君。秋には白菊さまと遊べるんだけど、まだ寒い季節に咲く梅子さんにはお会いしたことがないの」

と嘆く胡蝶さんですが、仏果によって梅子さんともご縁を結ぶことができ、明けゆく雲に翅うちかわし霞のなかに消えてゆきます。

東から天空を見渡してゆく所作が、自分で舞っていても気持ちのよい場面です。

夢つながりで気になった歌を二首。

世の中は夢か現か現とも夢とも知らずありて無ければ
 古今集

世の中の現の闇にみる夢の驚くほどは寝てかさめてか
 新拾遺和歌集

 空味

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夢日記

夢の話ばかり書いている気がするが、それは私が寝てばかりだから。

今日は、なんだか夢をたくさん見た。
たとえば、

なんだかお化け屋敷みたいなところに、前の職場のメンバーがいて、どうやらぼくはあと二日で退職することになっている。あと二日って、長いなあ、とおもった。また、このメンバーで働くのは楽しいんだけど…とも思った。

急に場所が変わって、先輩の某氏とカウンターに座っている。L字型のカウンターで、むこうにドイツ人らしき目つきの鋭い男がいて、ビールのグラスを差し出してきた。
「乾杯」と言って飲もうとすると、その人物はすでにグラスを干しており、
「乾杯、というのは飲み終わってからいうのだ」
と言う。
急いでグラスを干し(悪酔いしないことを祈りつつ)バーテンにグラスを差し出すと、ビールの注ぎ口が沢山あって、銘柄が皆違う。「どれがいい」と聞かれるが、知っているのがないから適当にお願いというと、なんだか色の薄いビールを差し出された。しかもグラスの中に氷が入っている。妙な飲み方をするものだ、と思った。
某氏の隣に戻ると、丼いっぱいにラーメンか焼きそばのようなものが盛られている。食べようとすると、丼の端から麺がこぼれ、箸で一生懸命もとへ戻しているうちに目が覚めた。

夢を見ているとき、魂はあちこちに旅行しているのだという。だから目覚めて疲れていることがあるらしい。
さしずめ、今日がそれだ。

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書き初め

 2月14日。

バレンタインデー、というのはだれもが知ることだが、今日が旧暦の元日だということに気付いている人は少なかろう。

元旦と言えば、書き初めである。

ペンとノートをご用意ください。そこに欲しいもの、またぜひ実現したいことなどを書きつけるのです。よくある成功法則のようだ、といって馬鹿にしてはいけません。あれらは確かに正しいのですが、皆さん実行しないから実効がないのです。

この機会に、実行してみてはいかがでしょうか。聞くところによれば、新月の日にそれをすると効果倍増なのだそうです(根拠は知りませんが)。

私も、これからピーナツの入った安いチョコレート(好物なのである)かじりながら、「書初め」します。

              風海
           

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アンチエイジングと恋

  以下、かつて書いたものです。あまり面白くないけれど、何かのせておこうと思って。

 最近――でもないが、アンチエイジングといって年をとることに対する危機感を煽る美容法が人気らしい。何とかいう(名前は忘れた)薬品を注射したり、漢方薬を用いたり、流派は色々、方法論もそれぞれだが、共通しているのは老化に対する恐怖感である。それはもう、死ぬことよりも恐れているのではないか。若さを、いかに保つか。それだけが生きる目的であるような錯覚すら抱かせる。
 しかし、若く見えるということは本当にいいことなのかどうかという議論は暫く措いたとしても、様々な理論や実践方法があるなかで、ほとんどが身体の外側だけを問題にしているのはどうしたわけか。唯一興味深かったのは、ある人(名前は忘れた、忘れてばかりだ)の考え方で、「時間の観念を忘れると、人は若返る」のだそうである。それが究極のアンチエイジングなのだと。

 確かに、現代では兎角時間に追われ、いつの間にか余裕を失ってしまう、という状況が多いようである。何かに心を向けて、時間が止まるような深い感覚を味わう、といった事柄は次第に望めなくなってきているようだ。美しいものを見たり、聴いたり、触ったり、対象が何であれ魂が揺さぶられるような体験をして時間が静止する、そのことで精神が躍動し、その現象面である肉体も若々しくなって行く、という理屈は非常によく分かるが、そういう状況を作ることが既に困難になっているようにみえる。しかし、事はそう簡単ではないが、そう難しくもないのである。私は恋の話をしているのだ。

   愛は四年で終わる、という説がある。なれきった相手の存在に未知な所がなくなり、新たな刺激を欲しはじめるまで、およそ四年かかるということらしい。ただし、その説を唱える人も、本当に愛を四年で終えてしまった人も、気づいていない点がある。それは、相手を欲望するという形で、実は自分自身についての省察を深めるのが、恋の本質だということである。つまり四年で終えて新しい刺激を求めるのは、他ならぬ自分がその程度の退屈な人間であるということだ。この事実から目をそむけるため、人は愛が終わる様々な理由をでっち上げるのである。

  恋とは一過性の感情ではなく、相手の存在を通して自らを高める営為の総称であり、それは本来的に生きている限り続くはずのものである。なんとなれば自分を高めるために自分よりも高貴な精神を憧れるからである。それをこそ恋というのであり、身体的魅力にのみ惹かれ、あるいは生活上の必要のために配偶者を求めることは、ただの欲動でしかない。その関係によって自他の精神共に寸毫も高まりはしないからである。その両者のバランスがうまく取れてはじめて、持続可能な関係が構築され、恋―愛ということになるのではないか。

 佐藤春夫の詩「水辺月夜の歌」は、恋の理想を完璧に言語化している。
 
  せつなき恋をするゆゑに
  月かげさむく身にぞ沁む。
  もののあはれを知るゆゑに
  水のひかりぞなげかるる。
  身をうたかたとおもふとも
  うたかたならじわが思ひ。
  げにいやしかるわれながら
  うれひは清し、君ゆゑに。

 この、後半部分が特に重要である。敢えて無粋な分析を試みるなら、「身をうたかた」と思い、「わが思ひ」はうたかたとは思わない、というのは、精神の生き生きとした活動を感じているということである。そして、彼が求めているのは相手の肉体ではない。自分の身を「うたかた」とする限り、相手の肉体もまた「うたかた」でなくてはならないからで、求めている、憧れているのは精神だということになる。
 だからこそ、自分は身体をも含めて「いやし」い存在だけれども、その純粋な憧れは「君(の精神)ゆゑに」清らかだといいうるのである。胸を張って。プラトニック・ラブは兎角評判が宜しくないが、これはある究極の形であり、精神の到達できる最も喜ばしい境位の一つではないだろうか。

 ここで深まっている省察は、相手へのそれではなく、自分自身についてであるということが分かるだろう。相手の心を通して、自分の心が成長してゆく課程、それが恋の全貌である。相思相愛というのは、この時相手も自分に対して、自分が相手から学んでいることを学んでいるという状況であり、本来そうした心の学び精神の跳躍に終わりがないように、この関係はとても四年くらいでは終わりようがないはずなのである。
 それはいわば本物の「自分探し」だから。昨今流行の自分探しなら一人でもいいけれど、対話的な理想の自分探しは一人ではできない。だから好きな人と一緒にやりましょう、というのが恋の形相(エイドス)なのである。そして、こうやって浮世離れした思考に身を委ねていれば、時間は自ずから静止し、アンチエイジングにもなるという寸法だ。「恋はいいものだ」とは誰しも言うものだが、それはそんな按配にいいものだったのである。
 
 そうしたいけど相手が見つからない、という諸君。朗報がある。精神は死なないのだから、何も近くにいる人間や、生きている人間でなくてもいいのだ。書物やスクリーンの中に、永遠の恋人を求めよう。選ぶ権利は、全てこちらにあるのだから。就中、偉大なる精神の軌跡を残した死者はいいものだ。遠慮することはない。さもなければ差別か。差別はいかん、と日頃から教えられているではないか。何故、死者を差別するのかね。

           風海

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大・阪・人

大阪人とは何か。
山本七平にならってそういう本を書こう、というつもりはないが、これからちょっと考えてみよう。

大阪人とは何か。
大阪府内に住んでいるひとをさすのか、大阪弁をしゃべるひとが大阪人なのか。
あるいは、大阪を愛していれば「私は大阪人である」と公言しても《大阪人》なら許してくれそうだ。
という文脈中の《大阪人》の心意気が大阪人を表しているのか……。

関西出身とはいえ、大阪のまちに慣れるには少し時間がかかった。イナカ育ちの身にはナンバ・ウメダの人の多さは、特に圧倒される。

私は大阪の住民ではないが、これで「大阪人」の仲間入りをしたと実感できたことがある。

梅田の巨大地下街。
特に複数の地下街が交差するポイントでは人の流れが凄まじい。
阪神・阪急百貨店の地下入り口、地下鉄梅田駅南改札、ホワイティの交わる広場が特にそうである。

この広場は
東方に泉の広場まで続くホワイティの通路―
南方に大阪駅前ビル、ディアモール方面へ向かう通路―
西方に西梅田駅、ドーチカ、ハービス方面へ続く通路―
北方にJR大阪駅に向かう出口と阪急梅田駅・阪急三番街までつながる通路(現在は工事中)が重なっており、デパ地下への入口等含めると八差路もしくは九差路にもなる。

ここでは自分の行きたい方向がきっちり頭のなかに入っていないとその入口にたどり着けないばかりか、人波のうねりを読み、
且つ、しっかりした足取りで歩まないと漂流する恐れがある。

ちなみに、パリの凱旋門のロータリーには信号がなくても、車が反時計回りに進んで行きたい道路に抜けていくそうだが、ここはそうではない。四方八方から各々の行きたい方向目指してただ突っ切ってゆくのみである。

この広場を
一人のひとにもぶつからず、タンゴを踊るようなステップでスムーズに通り抜け阪神のイカ焼き売り場までたどり着いたとき。
私は「これで大阪人になった」と感じた。もし「大阪人」の認定試験があるならこれを一項目にしてもいいと思う。

明日も
「大阪人」の顔をして、地下街をゆこう。

  空味之助

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夢の不思議

 今日は母方のおじいちゃんの誕生日だ。

 おじいちゃんはもう亡くなったけれど、たまに夢で出会う。夢の中でおじいちゃんは、もう少しで体調が良くなる、という感じで出てくることが多い。いつものジャージを着て、居間に寝転がっていたりする。ぼくはその様子を見て、いつも、

「ああ、おじいちゃん、もうだいぶん良くなったんだ」

 と思う。

 現実では亡くなっている、ということには思い至らない。なぜだろうか。もしかしたら夢の中が本当の世界で、今ぼくが現実だと思っているほうが夢なのかもしれない、という『荘子』的観念にとらわれることもある。むろん、「目覚めて」からだけれど。

  風海

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おおさか鉄道クイズ

問1 ナンバには次の四つの駅があります。
   それぞれの鉄道会社名を答えなさい。

  ① なんば 
  ② 大阪難波 
  ③ 難波
  ④ JR難波 

問2 以下は大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県にまたがる営業路線網を持つ鉄道会社の駅名である。空欄を埋めよ。

   大阪難波-(    )日本橋(1)-大阪上本町

   (1) 「にっぽんばし」と読む。「にほんばし」は東京。

        出題:空味

 

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慶事

日曜日は妹の結婚式でした。
両家族だけのささやかな会でしたが、神様・仏様に見守られたいい式でした。

実家がお寺なので弟は仏式で結婚式を挙げましたが、今回は新郎さんのお母様がクリスチャンということで人前式になりました。
折衷案?

仏式の結婚式は周りにもよく珍しがられます。
指輪の交換はなく、お数珠を交換するところが他の式と違うところです。
弟のときは参列者全員で般若心経を唱えました。
お寺とは関係の少ない従妹たちはさすがに戸惑っていました。

 空味

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古典問題

○以下の文章を読み、問題に答えよ。

 春の月もなくいとさうざうしき宵なりけり。なにがしの蔵人とて五位にてありける人のたづぬるかたのありて(1)、ひとり逢坂の関わたりをすぎゆくほどに、夜深くなりて道を失い馬まどひにけり。とかうするうちに、かたへにいほりのいとをかしげに住みなしたるあり。

(A)<鄙にはあれど、けしうはあらずなんおぼゆるほどに、>柴戸のひまより甘き香りのもれくる心地して、馬降り徒歩(かち)よりゆけば、縁の簀の子近くに「をのや」と書きなしたる手のいとつきづきしき、行灯のほの明きに見えたり。よべば、内よりいらへあり、いりにければ、いとどうつくしくはづかしげなる人の女房だちたるにはあらず、さりとて上ともみえずなるが、うちゑみてさしまねくさま、をかしきことかぎりなし。朱き酒(ささ)もて、蔵人にすすむ。いずくの産とも知られざるも、いと甘き香りに覚えず重ねたる。程なうして酔ひふす。

(B)<蔵人、これぞかりほるにやあらんとおぼえけるも、え起きあへず、夢に入りにけり。>とばかりあり、風の音におどろきてみれば、いほりなく、呼べどもいらへるかたなし。ただ草の上にまろび居たり。物の怪ともおもはれず、立たんとすれば、酒の酔ひにや、腰砕けにてえ立たず。やうやうあけぼのの雲しらじらと明りゆく。やがてこの人ひとり筆とり、たたう紙(2)に書きすさび、

  君をなみ尋ぬるかたの宵闇に小野の草原あやなかりけり

とこそ詠みける、とぞ。
(『こんにゃく物語』第三巻「五位の蔵人朱き酒(ささ)に酔ひたる事」)

問一 <>括弧部分 A、Bを現代語訳せよ。

問二 いつ「甘き香り」の酒を飲むのか。

注(1)女の家に行こうとしていたのである。
   (2)懐紙のこと。

                       出題人:風海

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白昼夢

午前で終わりの仕事帰り、本町に寄った。
ちょうどオフィス街の昼休み。

周りのテーブルではOLさんが社内のうわさ話に
熱中している。

ちょっと気持ちを落ち着けたいと思って
先日から眼を付けていた英国風の喫茶店に入ったのだが
女ばかりのおしゃべりは留まるところがない。
あっちの席ではお嬢さんたちの爆笑の渦、
こちらの席では仏教高校を卒業したというベテランOLさんの
梵字の話が展開されていく。

シューマンのトロイメライが流れていても、誰の
耳にも入っていない。

12時50分になった。

話題の切り上げ方はおみごとである。
今までの話は何もなかったかのように仕事場に帰っていった。

真昼のトロイメライ -白昼夢-

   空味子

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暦のはなし

明日3日は節分、そして4日の立春は春の始めとされる日だ。
沈丁花の香に出会える日も近くなってきた。

さて、節分・立春は毎年日にちが決まっているが
毎年変動するのが月の暦、太陰暦。いわゆる旧暦である。
旧暦は太陽暦と比べて約1か月遅い勘定になる。

今年は2月14日のバレンタインデーが旧暦の1月1日。
ちなみに今日は旧暦12月19日。
3日前がきれいな満月だったので、
今日が晴れなら、下方がすこし欠けた伏待月が見えるだろう。

現在の太陽暦が日本で採用されたのは、明治6年から。
月の満ち欠けで日にちを決めていた時代には、
3日ならば三日月が、15日ならば満月が出て当然である。

となれば赤穂浪士の討ち入りは、よくもまあ12月14日と
月明かりのある日に決行したものだと思う。
当日の天候はどうだったのかな?

元禄15年の12月14日は新暦では1月30日にあたるが、
今と同じように立春を目前にしていた。
春を、浪士たちが開いような出来事だった。

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 空味

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諸子百家―不安の時代を生き抜く技術―

1
 春秋、戦国時代(前6~前3世紀頃)にかけて、大量の思想家群が輩出した。各流派の先生方という意味で「諸子百家」という。全盛期は前4世紀頃である。斉の威王(在位:前358~前320)、宣王(在位:前319~前301)は、著名な学者を好待遇で招聘し、彼らの屋敷を都臨淄の稷門の下に集めたので、「稷下の学」といわれる。
 前1世紀、漢の成帝のとき宮中の典籍目録が作られ、諸子を十流に分類。儒家、道家、陰陽家、法家、名家、墨家、縦横家、雑家、農家、(小説家)、兵家。これらの学問を展開した諸子は、偉大な思想家たちであり、理想の実現に邁進していたとされているが、そうした一面的な理解では、実体を見落としてしまうところも多いのではないかと思う。ここでは、彼らを活動へと駆り立てた原動力が何だったかに焦点を当てて考えてみたい。

2「思想」という技術
 諸子百家という現象は、はたして思想家の大量発生というだけのことだったのだろうか。それにしては数百年の間に連続して大思想家達が登場しており、後の千年にも匹敵するほどの量と高い密度を誇っている。それはただ単に「そういう時代だった」で終わらせてもいい問題なのだろうか。終わってもいいのだが、それではつまらないから少しお付き合い願うとして、人が頭を使おうと思うのはどういう場面であろうか。恐らく一番頭脳が活性化するのは、自らの身が危険にさらされつつあるときではあるまいか。目の前に銃弾が飛んできた、という場合は避けようがない。しかし、匕首を突きつけられて、「さあどうする」となったときは、瞬時に頭脳がフル回転しはじめるのではないだろうか。

 そういう時代だったのである。
 春秋・戦国時代は民族的にまとまりのない人々が、広大な領域を「中国」として統一しようと動きだし、そのために生じた正のエントロピー(つまり混乱)が極点に達した時期であった。「春秋に義戦なし」というように、野望がぶつかり合い、陰謀が渦巻く、不安の時代の到来である。
 この状況で生き残るためには、極限まで頭を使わなくてはならない。具体的には人の考えないことを考えるための視点の切り替え、思考改革が必要だった。諸子達は、そうした技術のエキスパートだったのである。需要のあるところ必ず供給がある。思想家の大量発生は、故無きことではなかったのである。

 もっとも、後世から見て時代が統一へ向かっていた、ということから、当時の人々が「現在は統一への過程である」と認識していた、と言いきることはできない。諸子百家の全体を一言でいうと、「理想の追求」であり、最も現実的と思われる法家でもある理念型を創り出し、現実をそれに合わせて行く、ということを提案している。彼らは世の人々に「理想」と「考える方法」を売って生きていた。人々は自らの置かれた立場や状況に応じて、そのうちのどれか適当なものを選択すればよかった。中国人は現実的な人々である。その彼ら(の一部)が、目に見えるモノではない「思考」に人生をかけたのは、費用と物資の必要なモノづくりではなく、場所も元手も要らないものを売る方が、逆に食いはぐれない、と考えた証である。

 つまり諸子たちは、ただ理想的な思想を展開しただけではなく、様々な技術を持ってコンサルタントとして各国の君主たちに仕え、彼らを操縦することで、不安の時代を生き抜こうとした人々だったのである。
 ひるがえって現代も、打ち続く不況は止まるところを知らない。経済中心の政治が、さらなる不景気を呼び込む原動力として働き、働くことの意味がゲシュタルト崩壊の一歩手前まで来ている。あらゆる宗教や思想が研究され、色々なイズムが「乗り越えられた」にもかかわらず、物質的豊かさの呪縛から解放されていない。BSE(狂牛病)問題などで顕著なように、ベネフィットを求める動きが正のエントロピー(事態の悪化)をまねき、結果的に不幸を拡大する。不安の時代の出来である。

 この状況を生きる上で必要なのは、もはや金銭や物質ではない。視点の切り替え、思考改革の技術である。より現代的に思想工学(ソート・エンジニアリング)といってもいい。昨今雨後の竹の子のごとくちまたに溢れている自己啓発、思考改革本、その類のセミナーは、このような現実の反映であろう。モノを生産するよりも、思考を伝える方が「相手のためになる」と同時に「自分が生きて行きやすい」からである。今も昔もモノづくり、農業、工業こそが生活の基本である。しかし、モノ自体ではなく、「考え方」を創り出すことで生きていこう、という方向が次第に鮮明になりつつあるようである。
 こうしたとき、諸子たちの「方法」は、同じように不安の時代を生きる現代人にとって、直接には使えないとしても、学ぶべき所が多々あるのではないか、と思うのである。

        風海衛門しるす

附録:諸子の概略は以下の通り。

1儒家
孔子(前552~前479)→礼学の先生。実は礼学の実態を知らなかった可能性がある(浅野裕一)。
孟子(前370頃~前290頃)→性善説、徳治主義、易姓革命。
荀子(前320~前235頃)→性悪説、礼治主義、諸子批判。
2墨家
墨翟(前439~前390頃)→魯に学団創設も、弟子は実利優先のちゃっかり者ばかり。十論をとなえ、遊説のマニュアル化を推進。
孟勝(?~前381)→三代目鉅子。統制された墨者集団の形成。守城戦に敗れ、墨者の集団自決を指導。
3道家
老子(生没年不詳)→『老子』テクストは前403~前343頃成立。無為自然、「道」の思想。
荘子(前4世紀頃)→何もしないこともしない。すべてを貫く「道」のあるがまま。
4兵家
孫武(春秋末:前6~5世紀頃)→『孫子』十三篇の作者。呉王闔閭に仕え、宮中で美人を軍事訓練する。
孫臏(戦国中期:前4~3世紀頃)→魏で計略にはまり、両足切断の刑罰にあう。後に斉の威王に仕える。魏の将軍龐涓との宿命の対決を制し、斉の地位向上に貢献。『孫臏兵法』がある。
呉起(?~前381)なりふり構わぬ上昇志向。楚の悼王に仕え、貴族弾圧策を行ったため、恨みを買って暗殺される。『呉子』六篇を残す。

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後藤田武先生の思い出

 三月一日で、私が道場でお世話になった後藤田武先生の一周忌を迎えます。ご家族の方から、皆に何か思い出を書いてほしいとご依頼があり、筆を執った次第です。本来ならここに載せるようなものではありませんが、合氣道をはじめる直前に、手引きをしてくださった師匠ですから、自らの気持ちに区切りをつける意味でも、書いておきたかった次第です。
 
 光心館道場に通いはじめて一月ばかりたったころでした。まだ厚手のコートを着ていましたので、三月の半ばあたりだったと思います。玄関を上がったところで、道場の中にいる人と話をされている後藤田先生をお見かけしました。
「あ、先生、お久しぶりです」
と声をかけると、一瞬怪訝そうな顔をされて、
「君は、誰やったかな」
「氣圧入門コースでお世話になった者です」
改めて自己紹介すると、先生ははにかんだような笑顔を傍らの人に向け、
「年やな。もう人の顔が覚えられへん」
そう言われてから私の方へ向き直り、
「ああ、あの時の。いや、何となくは憶えてまっせ」
そうして、あの鋭い小さな瞳がキラリと光ったのです。
「あんた、まったく氣が出とらんな」
突如、そう言われました。合氣道を始めて一ヶ月、自分では相当「氣が出ている」ことを意識しているつもりでしたが、今から思えばやっぱりしょぼくれていたのです。そのことを先生にズバリと指摘され、「このままではいけない」と本氣で考えるようになりました。その時のことは、今も深く胸に刻まれ、折にふれて思い出します。あれ以来、約三年たちますが、いつか後藤田先生に「氣が出るようになったな」と言われるようになりたい、そういう思いがずっとあったような氣がします。

 後藤田先生にはじめてお目にかかったのは、二〇〇七年の一月でした。受講した氣圧療法入門コース第二回目の時で、講師の荒川先生が都合でお休みされ、代わりに担当されたのが後藤田先生だったのです。セミナースペースの椅子に腰掛けておられた先生の、そのヘアスタイル、眼光、物腰など一目見て、ただ者ではないオーラを感じました。
 その時の授業は、呼吸法、意志法、統一の印、合氣道のつぶし系の技などから氣の原理を解説し、氣圧のポイントを指導するというもので、非常に多岐にわたる内容だったと記憶しております。ただ、右も左も分からない状態でしたので、一つひとつがいかなる意味をもつのかは皆目分かりませんでしたが。
 お話をされる先生の表情は大変明るく、身のこなしは颯爽とされていました。氣圧と心身統一合氣道を身につけ、氣の原理を実践していることが愉しくて仕方がない、という氣持ちが伝わってくる、その語り口の快活さに強い印象を受けました。しきりに、体の動きを軽くし、柔らかく動くということを強調され、色々と実演して見せてくださいました。私たち受講者の上げた腕を、魔法のように下ろして見せたり、統一体がいかに強いかを実証するため、立ち姿や正座の模範を見せてくださいました。その時驚いたのは、寝転がって足の方を持ち上げると、先生の体が棒状になってふわりと持ち上がったことです。
「統一体で寝とったら、こないなるんですわ」
 ア然としている我々受講者に対して、先生は面白そうに他にも色々とやって見せ、氣のことが分かったら、いかに生活が愉しく便利になるか、ということを熱く語ってくださいました。先生は職を退かれてからこの道へお入りになったということで、
「もうかれこれ二十年近くなりますか。やればやるほど、深くなってきて、面白さが分かります」
 その言葉には実感がこもっていました。私は入門コースを受けて、チョチョッと技術を身につけようなどと考えていた自分の浅はかさに恥じ入った次第です。そして、クラス終了間際に、先生が言われた一言で、こういう方がおられるのなら、自分も正式に氣のことを学んでみたいという氣持ちが高まってきたのです。
 後藤田先生は統一体を正しく学べばいかに生きるのが楽になるかを繰り返し強調され、最後にこう言われました。
「私も若い頃は色々と難儀もしましたけど、氣の世界に入ってからホントに楽になりました。今は人生軽い、軽~いですよ」

                風海

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