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聖地見物 序

  今時、パワースポットの探訪記など巷にあふれかえっている。詳細な地図つきで、森羅万象神社仏閣、有名無名の仏像神像、どこそこの山のエネルギーが強いとか、なにがしの巌に力を感じるなど、情報はいくらでもある。

Dscn5100_6  しかし、そのエネルギーなるものは、一体何であるのか。その辺の理解があいまいだ。また、それらの力に触れることで、人はどういう変化を起こすのか。癒される元気になる、運が良くなる。でもそれでは、あたかも聖地をサプリメントとして「消費」しているようで、気にかかる。聖地はもっと神聖なものであるべきではないのか。

もっとも、結論を言えば、「聖地はサプリメント」でいいのだと思う。いいのだが、ビタミン類などでも体調に合わせて摂らなくてはあまり効果が期待できないように、パワースポットのパワーもそれがいかなる種類のものなのか、正しく把握して服用する必要があるのではないだろうか。

薬の薬効を知るために手っ取り早いのは、自らそれを飲んでみることである。三皇の一人神農氏はそこら辺にある草をすべて食べてみて、毒と薬を見分けたというし、ホメオパシーの創始者ハーネマンも自らの心と体を実験台にして、幾つものレメディを発見していった。

Dscn5167_4 ぼくたちも「聖地とは本当は何か」という疑問を解くために、同じことをしてみようと思う。すなわち各地の聖地霊場を見物し、そこに立って空気に触れることで、心身にいかなる影響を及ぼすのか、観察してみたいのである。この方法がうまく行くかどうかは分からない。単なる見物記になるだけかもしれない。しかし、こうした問題意識を持つだけでも、ただ漠然と「癒されたい」といった気持ちで出かけるのとは違って、結果はともあれその過程はずいぶん変わるのではないかと思う。

聖地の心身に与える影響について、一つの仮説を提示するならば、それはその力に触れることで「現実を変える」可能性が生まれるのではないか、ということである。もっといえば、「今自分が生きていて、現実と思われている現象世界のあり方を変える力を、聖地は持っているのではないか」ということである。この仮定からぼくたちの聖地見物は始まることになる。

              風海之介 識

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