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神仏依存症

友人から「本当に信仰心あるの」とつっこまれて
落ち込んだ。これでも人並み以上には神仏を信じて日々
手を合わせてお祈りしている。
彼曰く、私はお釈迦さまや弘法大師の説く本来の教えが
理解できておらず、さらにその教えを聞いても実践しようと
しないのは、本当の信仰じゃないということらしい。
ああお大師さま。
これまでの私の信仰心って何だったんでしょ?

そういえば、密教の修行である四度加行(しどけぎょう)
を受けたイギリス人の友人からもこう言われ、答えられ
なかったことがある。
「あなたは、仏教の信者でしょう。だったらなぜ加行を
 受けないのですか」

〈なぜって。だって私には必要ないような…。
 加行はお坊さんの資格が欲しい人だけが受ければいいもの
 じゃないの…〉

彼女によれば、護摩行をしていると自分の中にあるモヤモヤ
したものが解消され、精神が研ぎ澄まされていくらしい。
行を終えた彼女の顔は弥勒菩薩のように穏やかで、
まぶしかった。

――ふと周りを見渡せば、右も左も仏さまのご利益を求めて集まる衆生。

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ここは、西宮市の門戸厄神東光寺。毎年1月18日、19日は
厄除大祭が行われている。門戸厄神という名前から神社だと
思われることが多いが、れっきとした真言宗のお寺である。
私も例年の習慣で、お参りせねば気が落ち着かず、厄年でも
ないのに厄払いにやって来たというわけである。
厄神明王の前でお賽銭を入れ、手を合わせる。
〈どうぞ、厄を払ってください。厄神さま〉
こんなに信心深いのに、何が違うんだろう。

加行を受けた友人とご利益を求めてお参りする私。
どちらも、仏に向かっていることには変わりはない。
でも向かい方はだいぶん違うようだ。

どのように違っているかというと、私は家内安全、良縁成就、
学業向上etc.ご利益を求めて神仏に取りすがっている。
「なんかええもんおくれー」というスタンスだ。
私の心だけが強く神仏に向っているのである。

では、友人の場合はどうか。
仏の前でclear になる。静観している。
空海は「自分の心のなかにこそ仏がいる」と説いているが
彼女は自分のなかの仏と向き合っているのである。

求めて与えられるのを待つのではなく、
自分が本来持っているものを十分に開花させることが
「悟り」に繋がるのかも…と思いつつも、依存する心は
なかなかしぶとく残っているのです。

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          孫悟空な空味子

逆立ちが上手なお猿(厄除大祭で)

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