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氣で持つ

 早朝、合氣道を習っている道場で毎週行われている「息心の行」に参加する。
 息心は井上正鉄(まさかね)の神道禊教に起源を持つ呼吸法の行である。三十分くらい鈴を振りながら「と・ほ・か・み・え・み・た・め」と大声で連呼するというもので、終わると声がかれるが実に気分がすっきりする。

 そのあと、H先生、Oさんと共に第九体技(正面打ち)まで練習し、I原先生、Y田先生を交えて皆で喫茶店に行く。Y田先生と帰りが一緒になったので、「氣で持つ」ということについて質問した。肉体的な力ではなく、「氣」を通してものを持つことを「氣で持つ」と表現する。何であれ力を抜いて、ふわっと持つべし、と教わるのだが、相手がいるとなかなかそうは行かない。なんでもすぐに答えを得るのは良くないが、一人で考え続けていると次第に五里夢中に入ってゆくので、こういう場合は素直に聞いたほうがいいと思う。

 先生の解答はシンプルだった。「心を、持つところに止めないこと」。そうして、心でまず相手(物体も同様)を持ち、それから手を添えるのだと言う。その上で、相手に氣が通っていることをイメージする。あるいは、氣で相手を包み込む。まず意識が先行するのである。大事なのは肉体を忘れて、自分を純粋なエネルギーだと思うこと。その意識を反映したものが、すなわち身体なのである。

 合氣道はおもしろい。うちの道場(団体)だけかもしれないが、先生方皆さん言うことがどこか仏教じみている。明らかに宗教などとは無縁そうな人も、お釈迦様の言葉にそっくりなことを言うのである。

 Y田先生も言われた。「とらわれてはいけない」。対象にとらわれると、そこで氣が止まる。氣が止まると何も出来なくなる。そして肉体を超えるエネルギーを実感できたところから、「氣」の話は始まるのだ。そこからは、いかに「しずまっている」かが分かれ目となる。

 そしてまた、宇宙の果てまで氣を出せと教わっている。宇宙大の自分を構想せよと言うことである。そうでなければ投げられない。澤木興道老師も「天地いっぱいの自分」ということを強調されている。

 合氣道をやっているということは、つねにそういう「思想」に触れ、かつ実践し続けていると言うことである。体を動かしながら、同時に哲学もできる、だから飽きないのだと思う。

                風海衛門

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